日記風の格言
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05年10月31日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-目指せるものは無限にある。
---武田美保(シンクロスイマー)---
夢や目標というのは、やっぱりいいものだ。夢や目標を持っている間は人は
生きているという実感がどっかで持てる。その夢や目標がどんなものかは関
係ない。自分が挑戦できる何かを持つということ自体が素晴らしいのだ。そ
ういう人を見ていると、自分の方がなんだか元気になってくるから不思議だ。
だから、スポーツ選手がその目標を元気よく語る様子は、自分もその元気を
もらうような気がして楽しい。
子供は親の後ろ姿を見て育つというが、その親の後ろ姿が”うらぶれていた
ら”どうだろうか?夢や希望を失った歩き方をしていて、果たして子供は人
生に希望を持つことができるだろうか?金持ちにこしたことはないが、貧し
くても大切なことは”親が希望を持っている”ということこそ大切なのでは
ないか?NHKの朝ドラ「風のハルカ」を見ていて思うのであるが、親が希
望を持ち続けている間は、子供というのは親を尊敬できるものなのだ。
親が希望を持つということこそ、子供から夢や希望を奪わないという最小限
の方法だ。
創世記には、神は取って食べてはならないといった「善悪知るの木の果」を
取って食べたアダムとイヴを楽園から追放し、「彼らは生命の木からも取っ
て食べるかも知れない」といって、ケルビムと回る炎のつるぎとを持って、
生命の木に至る道を守らせられた。とある。だから、人類には「生命の木」
が永遠の希望として与えられたのである。生命の木という希望を持つことに
よって、人は楽園を追放された後、どんなに厳しい環境の中でもその希望に
よって頑張ることができたし、現代に至ってもそれは変わらない。
だから、自分にとって大切な希望や夢を持つことは、自分にとっても家族に
とっても「生命の木」になるのだ。
一度でいいからこういう「目指せるものは無限にある」などと格好いいこと
を言ってみたいものだ。それだから自分の「生命の木」を持っている人こそ
本当に幸せな人といえるのではないだろうか?人生にとって大切な順序を入
れ替えて、第一に夢や希望を、第二に現実の課題としてみることの方が価値
があるように思う。
占い一言居士:
個人の運勢というものはどんな状況でも一つの可能性に過ぎない。だから運
命は自分の持つ運勢をどのように活用するかによって決まる。そこに人間の
判断の恐ろしさがある。運命を良くしようと思えば、どのように判断をすれ
ばいいかという訓練を積む必要がある。そういう指針が占いのアドバイスな
のだ。だから、アドバイスをバカにする人は運勢を失う。
05年10月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-至言は耳に忤う。
---韓非子(紀元前の中国の思想家)---
的を射た言葉というのは、なかなか耳には痛いものだ。それが、自分のため
に指摘してくれたものであれば尚更である。夫婦というのは日頃よりもっと
も身近にいて、互いにその内情までよく知っているから、ちょっと飛び出す
言葉にも”毒”がある。まあ、本人がそう感じるのだけれど、互いに心の痛
みを共有しているのだろう。
親子はそこに垣根がないと思っているから、「いいたいこと」をいう。だか
らそこに売り言葉に買い言葉が飛び交う。で、心ならずも”喧嘩”というこ
とになる。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよくいったもので、端から見れば
”何のことはない”といったことで、言葉が飛び交う。だから”犬も食わぬ
”ということなのだろうが、当人達にとって見れば、びんびんと心がうなっ
ていることなのだ。
論語にある。
子夏曰 小人之過也必文(小人が過ちをすると、きっと作り飾って、誤魔化
そうとする)我ら小人は恒にこういうことの繰り返しである。長い時間がた
って、誤魔化すことだけはうまくなる。人は大概そんなものなのだ。それ以
上でもなければ、それ以下でもない。そう思っていれば間違いはない。論語
は君子のために書かれたものだから、もし君子になりたければ、先ずは自分
が十把一絡げであることを自覚するべきだ。そこから君子になる道は始まる。
昔、殿様が猟に出て子鹿を捕まえた。家来に命じて獲物を屋敷に持ち帰った。
母鹿の悲しい悲しい鳴き声に、家来は子鹿をにがしてやった。それで、殿様
に首にされてしまった。しかし、殿様は3ヶ月後その首にした家来を呼び戻
して、若君に守り役にした。「鹿にも優しいのだから、自分の子にも優しく
するだろう」ということなのだ。・・・韓非子
どんなに耳の痛い言葉が飛び交っても、やっぱり身近にいる夫や妻が一番自
分のことをよく見て知っている。だから、最後は「至言は耳に従う」になる
のが夫婦だ。
占い一言居士:
命名や改名で一番嬉しいのは、喜びのお便りをメールでいただいたときであ
る。人間というのは何かのきっかけさえあれば、自分を大きく変えることが
できるのだ。それが人間として生まれた特権なのだ。何故かというと、自己
創造というパワーは人間だけが持つものだからだ。
05年10月29日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-依存症は、いったんはまると「悪循環」に陥ります。
---衿野未矢(ライター)---
人間は本質的に依存症的な側面を持っているのではないか?そう思うことが
ある。人は自分に絶対的に自信を持っている人はいないと思う。そのように
見えるだけで、実際はそうでもない。自分以外の人を見ると、みんな相当な
自信家に見えてしまう。特に何かの試験の時はその傾向がある。
依存症といえば、いろいろな依存症がある。アルコールもそうだ。煙草もあ
る。旅行依存症?それから、携帯依存症、サプリメント依存症、薬依存症、
妻依存症、友人依存症、買い物依存症、その他何でも依存症になる可能性は
あるのだ。そこに隠されているのは、誰かに頼りたいという気持ちだ。人は
皆こういう気持ちを持っているのだ。そういえば、日本人は医者依存症に皆
かかっているのかも知れない。だから、寿命は延びても元気は?ということ
になった。
そういえば、妻が先になくなると夫はすぐにあの世にいってしまうというこ
とらしい。夫はそれだけ妻に依存して生きてきたということだ。熟年離婚と
いうのも、実は妻に依存する夫に妻の方が”うんざり”していることなのか
も知れない。難しいのは依存したい甘えの心と、自己を主張したい自我の心
が自分の中で葛藤しているということなのである。気が付くといつの間にや
ら何かに依存して自分を保っていることに気が付く。
宗教を信じる人は、この依存症の最たるものと人は思っているから、何かを
信じる人は弱い人だと、これも人はそういう信じ方をしている。依存すると
いうことは自分の弱さを露呈していると思うからだ。これも人のアンバラン
スな心の状態を表している。依存してはいけないというから問題なのだ。ど
うせ人は弱いのだから依存してもいいのだ。問題は依存する以上に自分が主
体的な部分を持てばいいのだ。主体性を持つ努力をしてこなかったところの
方にこそ問題の根は深い。
占い一言居士:
相性占いで一番の問題は、自分が考えている様に相手が反応してくれない。
相手が見えないというものだ。実はそうではなくて、自分が見えていないの
だ。そのことが、結局は相手との距離をひろげてしまう原因になっている。
そこに気が付くまでに時間がかかる。
05年10月28日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-偶然は準備のできていない人を助けない。
---パスツール(フランスの化学者・細菌学者)---
世の中神も仏もあるものか?などとうそぶく人もいる。神様や仏様も信じな
い人が大半なのだろうが、実はそういう人が皆お正月にはそろって”初詣”
に出かける。クリスマスには”メリークリスマス”などといってキリストの
誕生日を祝う。統計によれば、日本人は一人で二つの宗教を持っているとい
うことらしい。昔から八百万の宗教が日本人には合っている。それだけ、寛
容であるということなのだ。
一神教の伝統がある砂漠の民は寛容とはほど遠い。ヤッハウエは「私は嫉妬
する神だ」と聖書の出エジプト記の中に書いてある。だから、自分以外を神
とすることを許さないのだ。こういう伝統があるから、決して寛容ではない。
自分以外は認めないのだ。許しとは本来認めることのできないものを「あえ
て認める」という特例的なものなのだ。結局は異民族とのつきあいはどこか
で”妥協”というしか手がないのだ。そうでなければ、排除するしかないの
だ。
海の恵みを日本人はあまり理解していない。すべてのものを海という天然の
緩衝地帯を通して受け入れてきた日本人は、様々な思想的な攻撃にもそれら
を自分流に改造してきてしまった。だから、融合させることが上手にできる
のだ。そこに日本人のアイデアも加わる。だから日本人は創造的なのだとい
うことがいえる。”八百万の神々”は、日本人の知恵なのだ。しばしば砂漠の
民が日本人は猿まねだと攻撃するが、天地万物の創造主でない限り、猿
まねをしないで人が何かを造り出しただろうか?
あらゆるものを融合させることができる力を持った国が日本という特殊な国
だ。だから、自然の恵みをそのまま素直に受け入れる土壌を持っている。偶
然というのがありのままなのだ。そういう偶然の積み重ねをいとも簡単に組
み合わせて、何事もなかったかのように新しいものを造り得る力量こそ、日
本人の本来の能力なのだ。「偶然」を驚きと受け取り、その偶然が重なれば
それを「神の恩恵」と考える一神教の民は、新しい発見を大騒ぎする。それ
は、あくまで「神の一方的な恵」ととらえるからだ。偶然の働きを意識しな
いでも、そのままが”準備”になっている日本人はやっぱり恵まれている。
それを自覚しないところが日本人らしいともいえる。
同じ東洋でも、儒教的一神教を唱える共産党中国と韓国、北朝鮮は革命ごっ
こが好きで”砂漠の民”とそういう意味ではよく似ている。
占い一言居士:
占いの相談というのは、救急車で運ばれてくる病人のようなところがある。
その時解決しなければ”意味”が無いことが多い。だからこそ、その時々の
アドバイスがとても重要になる。その時々の判断が人生のターニングポイン
トになるからなのだ。
05年10月27日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-学習を忘れた者を人は愚か者という。
---高山正之(帝京大学教授)---
国会議員から知事に転出した政治家で、こんなことを言った人がいる。「政
治家は芸者と同じだ」全くひどい政治家がいると思った。こんな政治家がい
る限り日本の国はよくはならないのだ。こういう輩は金儲けの「政治屋」と
いうことなのだ。自分の信念を持ち、その為に怠ることのない向上心を持ち
続ける。そういう人の集まりが政治を行う人ではないか?
芸者と政治家が同じというのは、芸者さんから見れば「とんでもない、そん
な変な政治屋と私たちを一緒にしないで」と怒られそうだ。現代の芸者さん
は、相当勉強しなければその伝統的な芸を踏襲していくことはできない。そ
れほど、芸術的なのだ。そういうことからすると、人々のことを考えない政
治は政治とはいえないではないか?政治の役割は人の理想と現実を橋渡しす
る役割だ。だからこそ、政治には哲学が必要になる。
徳川慶喜という人は、研究に値する人なことだけは確かだ。何故ならば、幕
末にあって弱体化したとはいえ、大きな力を持った幕府を十分に活用すれば、
薩長土肥の攻撃などは十分に粉砕するだけの潜在的な力は持っていた。それ
なのに、あえて慶喜は何もしなかった。歴史的な明治維新は何故実現できた
か?それは、薩長土肥の尊皇攘夷勢力によってできたのではなく、徳川慶喜
の力も加わってできたといってもいい。慶喜の背景には水戸学という大きな
思想的な背景があったのだ。
勉強よりも、学習の方が大切だ。勉強とは強く勉めるということであり、学
習は学んで習う。習うは倣うになるのだ。人は2度同じ失敗をしてはならな
い。2度同じことを繰り返すのは、学習していない証拠だからだ。今の人は、
勉強はしても学習しないから問題だ。幼少期に高度な勉強をさせるのがいい
かどうかは疑問と思っている。動物は小さいときから徹底して親から生きる
ことを学習する。だからこそ、巣立ちができるのだ。この時代、巣立ちので
きない子供が増えているのは、学習してこなかった証拠だ。
占い一言居士:
襲名というのも一種の改名なのだ。ただ、伝統的な名前を相続するというこ
となのだが、それはその人の人格や業績をそのまま自分のものにするという
きわめて重い意味が隠されている。襲名という改名は、結局運命式を大きく
転換することになるのだ。
05年10月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-わかりがおそいってことは恥じゃあない、後悔しないためのたった一
つの方法だ。
---五味川純平(作家)---
”ゆっくりズム”ってのがあってもいいじゃないか?と思う。スローフード
が見直されているように、何でも早ければいいわけではないのだ。インター
ネットの時代になって、これも速いということが必須条件みたいなものだ。
それなのに遅いことが価値あるように思ってしまう。どうしてだろう?人に
はそれぞれ自分の持つ時間があるはずだ。
体内時間というのがある。自然と決まった時間に目が覚める。そういう腹時
計があるらしい。それによれば、その人のリズムというものがちゃんとあっ
て管理しているのだ。昔は当然太陽が昇ると同時に目が覚め、太陽が沈むと
同時に就寝する。そういう生活が健康的なのだろうが、現代人にはそういう
生活は無理だろうと思ったりしてしまう。スピードが求められる現代社会の
中で、一度自分の持っている体内リズムはどうなのかということを探ってみ
るのもいい。
食事の時間は、どの位の時間をとっているか?その長さは、そのまま生活の
豊かさを反映する。といって、豪華な食卓というのではない。会話が弾み、
みんなが言葉の交流ができる食卓ということだ。
テレビだけが中心の食卓というのは貧しい食卓だ。
何でもないのに、人は台所に集まる。何故だろうか?そこに食べ物があるか
らなのだろうか?多分そこは心の置き場所なのだと思う。自分の心が、台所
の中でこそわかってもらえる場所だということを本能が知っているのだ。
わかるということは納得するということだ。腑に落ちるともいう。そういう
わかり方をしなければ全く意味がない。過ぎ去っていく時間の中で、自分を
わかってもらえる場所、自分の心を置いてもいい場所、自分の心のリズムを
そのまま受け入れてもらえる場所、それが台所であったりする。だから台所
のお母さんは、そのまま自分を受け入れてくれる、自分を無条件でわかって
くれる偉大なる人になる。最近洋風化でそういう台所の役割が無くなってき
ているような気がする。サザエさん家の”おフネお母さん”が懐かしくなる。
占い一言居士:
相性占いは、多分占いの中で一番難しいと思う。何故ならば、相手とのつな
がりの中に道を見つけなければならないからだ。相性というのは、変化する
相手の中に変わらない真実を見いだすということだ。それが本当に大変なこ
となのだ。それだからこそ相性占いは価値がある。
05年10月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人生は挫折の連続である。
---土屋賢二(お茶の水女子大教授)---
挫折というのは、あまり気持ちのいい言葉ではない。そこで、「つまずく」
という言葉に直してみた。それでも、あまりいい音ではない。歩いていてつ
まずくのは決して大きな石ではなくて、気にもとめていないような「小さな
石」であることが多い。その小さな石が「何」かは、人によって違うだろう!
挫折やつまずきにもレベルというか、程度がある。それによっては、次に立
ち直れる時間やスピードが違う。で、自分がどんなことにつまずいているか
ということを経験をしてくると、どれくらいで復元するかという予測を、心
のどこかで冷静に見ている。それとどういう事でつまずきやすいかも、何と
なくその傾向が出てくる。すると、そろそろ来るなと思って、どこかで予防
線を張ってしまう。そういうところが自分を造ってしまう事になる。
火曜サスペンス劇場はよく見るのであるが、ドラマには復讐劇がよく似合う。
人が転落して行くにはそれなりの動機や顛末がある。そういうものを推理す
るのが面白いのであるが、自分がそういう場面に出会ったらどうかと思うと
考えてしまう。事件の発端はドラマだから拡張しているだろうが、些細なこ
となのだ。たいしたことでもないようなことを、当事者はショックを受ける。
そこから始まるのだ。小さな事にもそれを大きな事ととらえる伏線を人間は
持っているのだ。それが過去だ。そのことが、どらまの途中の捜査会議で説
明される。
自分の生き方で、「よかったと思える生き方」をどう送るかということは、
これは問題だ。結局復讐という問題は、自分を大きな「つまずき石」にして
しまうことになる。様々な出来事に遭遇する人間に恨みを持つな、復讐する
なといっても、聖人君子でなければそうはいかない。だから、復讐はすべき
だと思う。その復讐というのは相手よりも「偉くなること」「もっと人格的
になること」「もっと立派になること」なのだろう。それによって、相手は
自分の間違いにどこかで気づく。それよりも、自分の心に大きな変化が出る
ことの方が嬉しいのだ。すると、復讐は感謝に変わる。まさにつまずく人生
は壮大なドラマなのだ。
占い一言居士:
占いは、人の運命を扱うものだ。それだから、慎重にならざるを得ない。そ
れによって、人は何かの決断をしている。そういうアドバイスを与える立場
は何によって与えられるか?自己欲ではできないのだ。「公平無私」そうい
う精神を貫けるかどうかが、相性や改名、命名など大切な占いで重要になる。
05年10月24日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人間という奴は実によく間違いをする。まるで間違いをするために何
かをするみたいだ。
---森本薫(劇作家)---
自分は正しい。そう思う人がいるとすれば、その人は全く信用がおけない人
だ。だから、自信満々で弁舌をする人がいると、どうもそういう人は信じら
れないのである。神様でもあるまいし、全く人間が無誤謬であるというのは
あり得ない話だ。独裁者は恒に自分が絶対であり、間違いを犯すはずがない
と思いこんでいる。実際は間違いだらけなのにである。
現代でもそういう人はよくいる。断定や言い切る人、声のやたらに大きな人、
そういうタイプが多い。だから、そういうような人に出会ったら気をつけた
方がいい。まともに信じると後で「自分を悔やむ」事になりかねない。物事
というのは、様々な可能性があり、その一つ一つに”理”がある。だから決
断というのは、そういう中から最良の選択をどうするかという重いものなの
だ。
学生時代の試験というのは、どんな時でも”満点”というものは無かった。
何故かといえば、いわゆる○×式ではなかったからだ。それでもミスがない
ように自分では”よし”と思った解答でも、どこかしら”凡ミス”が発見さ
れるのだ。あんなに見直したのにと思うのだが、そういうものだ。完璧と思
っても、そんなのは自分の思い過ごしに他ならない。後から思えば、何でこ
んなところをというようなところでポカしているのだ。
自分でも自分を信じていいかどうかわからないのに、尚更人の確信に満ちた
言動を信じていいかどうかは、わからないはずだ。そういう中で、人の言動
を信じるというのは、一種の賭のようなものなのだ。だから、はずれたとき
には「そういうこともある」と思えばいいのだ。一番厄介なのは「自分が間
違っているのに、その間違っていることを正しいと思いこんでいる人」なの
だ。そういう小独裁者のような人とは関わらない道を選択する方が、賢明だ
と思うが?
占い一言居士:
親が子供に関わりを持てる最初のチャンスが「命名」なのである。だから、
その命名にはことさら思い入れがあるのが普通なのだ。それを、いい加減に
扱えば、やはり子供に対する責任や愛情がないと思われても仕方がない。そ
こでは、親子のつながりをしっかりと考えた命名が必要なことはいうまでも
ない。
05年10月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-真の勇気とは、人の見ていないときに示される。
---ラ・ロシュフーコー(フランスのモラリスト)---
お天道様が見ている。そういう考えを持てる人は、なかなかいいと想う。ど
んな人も自分しかいないと想えば、ちょっとぐらいはわからないだろう。そ
んな風に考えるのが人情だ。だからこそ、いつでもどこでも、変わらないで
何かをやり続けるということがどんなにすごいことかということになる。
若いということは、そういうことがすごいとはなかなか思えないのだ。何故
かというと、自分自身にまだ未来とか大きな可能性をもっているから、そう
いう時間的な経過のすごさは実感がないのだろう。こんな事を書くと、ずい
ぶん自分が年をとったような気がして、あまりいい気分はしないが、それも
事実だ。
孔子様が「われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にし
て惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳したがう、七十にして心の
欲する所に従いてのりをこえず」といわれましたが、今「天命を知る」とい
うところに、大きな意味を感じる。自分の「天命」を本当に知っているのか?
ということだ。天命とは自分の本当にやらなければならないことは何かだ。
それと同時に、自分の肉体の限界もそろそろわかるようなときになったとい
うことだ。
みのもんたのおもいッきりテレビは、お年寄りに大評判だという。その中に
出てくる老人達は本当にすごいと思う。なにがすごいかというと、どんなこ
とがあっても自分の生活を黙々とこなしているからだ。そういう人生のすご
さがある。環境をしっかりと自分の中に取り入れて、自分は変わらない。そ
れができているところがすごいのだ。だから、自分の天命を知っていれば、
誰が見ていようが変わらないでいられるのだ。そういうことだ。
占い一言居士:
命名で迷われる人が多い。自分の子供だから当然といえばそうなのだが、一
度命名を決めながら、迷いに迷ってこういうのはないかなどと、もう迷走列
車のごとになった人がいる。命名は野球選手でいえば素質だ。その素質が花
を咲かせるかどうかは監督如何による。親という監督の方が問題なのだ。命
名と同時に親という監督業も学ばなくては、花は咲かすことができない。
05年10月22日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-小学生の手本になりたい
---御木本幸吉(養殖真珠の創始者)---
聖書に次のような言葉がある。「赤子のようにならなければ天国へ入ること
はできない」この赤子のように・・というのがどういう意味なのかというこ
とだ。文字通り赤子はお母さんがいなければ生きていくことができない。お
母さんが命の頼りなのだ。だから、見つめるのはお母さんのみなのだ。どう
やってお母さんに訴え受け入れてもらえるか!そのことがすべてなのだ。
そういう純粋にものを見つめる素直な心が、赤心というものなのだろう!純
粋にまっすぐものを見つめる。まっすぐに母を求める。まっすぐに神を求め
る。そして頼る。それが天国への道という意味なのか?そうすると、誰も赤
子のような心を持てないから、人類は皆天国へは行けないということになる。
天国へ行けない確率が高いのに信じる必要はないではないか?ということに
もなる。
発明や発見をする人というのは、常人とは違う何かの資質があるに違いない。
例えば、”狂気”であるとか”異常な創造力”をもっているとかである。僕
はそうじゃないと思う。ノーベル賞をもらった田中さんが人気が出たのは、
”普通の人”というイメージが強かったからである。発明とか発見は動機や、
目的、執念、知識、愛情など様々な資質に支えられながら、ひょんな事で与
えられた神様のプレゼントなのだろう!そう思う方が安心だ。
赤子のように一心で求める姿は、研究者には必要な姿勢なのだろう。そこに
「小学生」というのは、大人のように既成の概念で判断しないで、まっすぐ
に疑問や問題点に立ち向かう心のあり方なのだ。そういう姿勢をとり続けて
いることが、成功という天国への道なのだろう。誰もがいける天国ではない
からこそ、やっぱり「神様からのプレゼント」と想った方がよい。
占い一言居士:
気になるのは愛情運。どんな恋愛ができるのか?いい彼はできないか?など
関心事は多い。結婚を考えれば、いい相手がいないから!などと思う人もい
る。うまくいくかどうかは相性なのだが、出会いは”縁”である。縁という
のは、自分の意識と関心の持ち方なのだ。それが求心力となる。それがない
と、愛情運は生かしようがない。
05年10月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよな
う慰むわざなる。
---吉田兼好(歌人・随筆家)---
「見ぬ世の人を友とする」というところが、面白い。人は自分以外の人と対
話することで、様々な世界をひろげることができる。そういう意味では自分
の所属しているカテゴリーの世界の人とばかり付き合っていては、なにも自
分の世界が広がるわけではない。
ところがどうやって自分以外の世界の人と付き合うかというのは、こんなに
通信交通網が広がった今日でも相当努力がいるものだ。僕は中学校の頃アマ
チュア無線にあこがれて、そのころ珍しかったアマチュア無線技士の資格を
取った。見知らぬ人と話がしたいためだ。それでも、本当の交流というのは
難しかったように思う。
我が家には仏壇はないが、本家のおじいちゃんやおばあちゃんの写真はおい
てある。たまにはそういう写真の前で、先祖に語りかけるということもある。
そういう時は、先祖に思いをはせながら実は自分の心の世界に語りかけてい
るのだ。すると意外な発見とか閃きとかが一瞬心の片隅におこる。それは自
分と違う世界に遭遇したようなものだ。同じように夢の世界も自分の心のカ
テゴリーをひろげるヒントに満ちあふれている。
ついこの前、Bookoffで本を買ってきた。”司馬遼太郎”の街道を行くであ
る。この本を読んでいて面白いのは、自分が同じように先祖の道をたどって
旅をしているようなのだ。自然にそうなってしまう。先人達はなにを考え、
どんなことを想ったのだろうか?そんなことが心の中に浮かんでは消える。
秋の夜長には文を通して「見ぬ世の人」と旅をするのもいいのではないかと
想う。
占い一言居士:
人間関係で悩む人の中に、「相手は私のことをどう思っているのか?」とい
うのがある。こういう人は、相手の心の中を読めないから不安でたまらない
のだ。占いで性格やら相手の運勢・タイプなどは知ることができるだろう。
しかし、信じていいかどうかは別だ。先ず、自分をオープンにしてみること
だ。それでも相手が心を内を見せないときは、信じてはいけない人だ。
05年10月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-楽は苦の種、苦は楽の種
---永井堂亀友(江戸中期浮世草子作者)---
苦楽を共にする。恒に一緒に生活をし頑張るというのが夫婦の姿である。と
いうのは昔の話で、今の夫婦というのは、そんなに苦労するならさっさと離
婚しよう。こんなんでは結婚するんじゃあなかった。などということがしば
しばだ。少しでも楽をして、少しでもいい生活をして、できれば訳のわから
ないややこしい嫁姑の関係は持ちたくない。
選ぶ女性にしても、スマートで細身の女性しか選ばない。最近は顔を見れば
どれもテレビで出てくるようなどこかの女優もどきの顔しか出てこない。誰
もが茶髪である。こういうのを没個性というのだ。確かに当初は個性を表現
したものだったが、誰もが迎合した今では、何の個性も魅力も感じない。そ
れよりも髪の色の全く合わないひどい女性もいる。
人間の意識の変化に政治や行政がどう対応するかが大きな問題になる。少子
化という現象は、相当前から予測できたはずなのに、何の手も打ってこなか
った。少子化の背景にあるものは、人の意識にあるのだ。経済的に発展すれ
ばするほど、より豊かな生活を求める。ところが、本当の豊かさを理解して
いないと、経済を追求しながら、失うものも大きくなる。それは家族であっ
たり、自分の生き甲斐であったり、友人であったりする。
「楽は苦の種、苦は楽の種」というのは、先人の知恵なのだろう!一時の苦
しさに負けないで、次の真なる豊かさを求めてその活力を求める知恵なのだ。
誰しも未来がわかっているわけではない。だからこそ、「今を生きる」とい
うことが重要なのだ。そういうエネルギーをどうやって日常の中で身につけ
るかということだ。言霊があるとすれば、人の心に力や希望を与える言葉だ。
そういう意味では「楽は苦の種、苦は楽の種」は言霊だ。
占い一言居士:
占い運命式を見ていくと、性格習慣病というのがわかる。自分の持つ性格が
原因となって、様々な病気の原因になるというものだ。占い運命式から来る
本人の持つ性格が自分の生活のスタイルを決めてしまっている。どこかで自
分をレベルアップする努力をしないと、このサイクルからは抜けられない。
それには、人とのつながりを拡大するのが一番かも知れない。
05年10月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-ありとあらゆる行動を起こすから、チャンスに多く恵まれていく。
---夏川賀央(作家)---
「歩きながら考える」それとも「考えながら歩く」、あなたはどちらの派で
すか?どちらがいい結果を残すことができるか考えたことあるでしょう!
結論は多分、自分なりにもっているはずです。それでもあえて言わせてもら
えば、「歩きながら考える」方がいい結果が出ると思っています。
人の思考というのは、様々な情報を元に頭の中でそれを組み立てていくので
あるが、実は一番の問題はその情報の不足という問題になるのである。だか
ら、どんなに考えても、そのシミュレーション自体が間違ってしまう。
一番の情報は、現場を実際にふんでみることに他ならない。それが一番確か
な情報源なのだ。一つずつの結果が次の方向性の目安になる。だから行動が
チャンスを生むというのは本当だと思う。
軽率な行動というのがある。よく考えないで行動してしまうということだ。
世の中何で「そんなに考えないで行動できるのか?」という人がいる。そう
いうお気楽な人を見ていると、自分も「そんな風にしてみたいなあ!」など
とうらやましがったりもする。それがたまたまうまくいったりすると、何と
幸せな!などとつい愚痴がでてしまう。たぶん端からはお気楽に見えても当
事者はそれなりに大変なのだろう。
チャンスというのは、自分で造ろう造ろうと思っていると、手から逃げて行
くようになるのです。チャンスは造るよりも、沢山のシード(種)を蒔いて
おくことなのです。そういう日頃の行動がチャンスというものを招き寄せる
のです。だから、大きな動きをするよりも、小さな行動がシードになるよう
な、そういうことが「歩きながら考える」ということなのかも知れない。
幸せも同じだ。幸せを掴もうとしないで、どうしたら幸せの方が来てくれる
自分になるか?そう考えることの方が人間らしい。
占い一言居士:
仕事のできる名前にして欲しい。そういう依頼をしてくる人がいる。仕事と
いうのは運勢だけで決まるものではない。自分の持つ性格に仕事の運勢がマ
ッチングしているかどうかが大きなポイントになる。それにもう一つ、仕事
の運勢にあったスキルを持っているかどうかということだ。そういう努力は
最低限必要なのはいうまでもない。
05年10月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-虚栄心は他人を鏡として使用し、利己心は他人を道具として使用する。
---テンニエス(ドイツの社会学者)---
団塊の世代が世の中の第一線から退こうとしている。いい意味でもそれ以外
でも、団塊の世代は恒に世の中の中心で居続けた。それは第一線を退いても
同じだろう。というのは、能力を要求される社会が既に出現しているからだ。
能力無き者は去れ!というような厳しい時代が既に来ている。何十年にもわ
たって蓄積してきたスキルというのは、そう簡単にまねできるわけではない。
若者達がそういう団塊の世代に変わることができる準備ができているかとい
うと、眉につばをつけなければならない。じゃあ、そんな中途半端な社会を
築いてしまったのは誰の責任かというと、これも団塊の世代が影響を持って
いる。日本経済の基礎を築きながら、どこかで犠牲にしてきたものが今その
鎌首を持ち上げようとしているのだ。
人にはいささかの虚栄心や利己心があってもいいではないか?そういうもの
がなければ、全員が聖人にならねばならない。世の聖人も偉大なる我ら凡人
がいるからこそ聖人なのであって、聖人があっての凡人なのではない。ちょ
うど、政治の世界では、共産党が元気がなくなってしまったようなものなの
だ。すると、右翼という人も張り合いが無くなってしまい元気がなくなる。
ソ連が崩壊したので、国をまとめるために新たなる敵を欲しているアメリカ
のようなものだ。敵がいないと国をまとめられないというのも、多民族国家
の宿命なのだろう。
聖書には、神は、「善人の上にも悪人の上にもご自分の太陽を上らせ」「正
しい人ににも正しくない人にも雨を降らせてくださる」とある。これは、ど
んな人にもひとしくチャンスがあることを意味している。虚栄心や利己心が
「悪」と考えると、何と人間は「ちいさいものか!」と考えてしまう。そん
なことよりひとしく与えられているチャンスを、どう生かすのかという方向
性だけの問題なのだ。だから、虚栄心や利己心の善用ということの方が大切
だ。団塊の世代も、なにも引退しなくてももっと働いてもらった方が”善用
”になるではないか。そう考える方が神の意志にあっていると思う。
占い一言居士:
相性占いは、とっても勉強になる。などというと不謹慎ではあるが本当だ。
人の関係というのは、相対的であるというのが真理なのだが、その人間模様
は実に天気のようなのだ。雨や雪や曇りや嵐や快晴や、本当にいろいろだ。
しかし、そのどれもその人のもっている運命式に関係しているところが、様
々に気づかされる点なのだ。
05年10月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-学校のテストは、○しかなくて、後は×です。しかし、実社会では、
△がいっぱいあります。
---中谷彰宏(作家)---
金銀銅のメダルまでは許せるけど、それ以外は価値は認めない。そういうの
が現実の社会なのだろう。金銀銅は○、それ以外は×。じゃあ△はというと、
×の人でも○を取り損なった人だけ。多分基本的にはそういう評価なのだと
思う。だから出世主義は古いというが、そうではなくて、やっぱりトップグ
ループというところが目標なのだろう。
最近は、トップでなくてもいいではないか?もっと家庭主義でもいいではな
いか?などという意見が多く出る。オンリーワンというのもある。いずれに
しても、人が自分を表現する場所を求めているだけに過ぎない。その場所場
所で自分がトップになれる。自分らしさを表現できるという事が重要なのだ
ろう。時代は変わっても、価値が多様化しても、そういうのは同じなはずだ。
学校時代の試験は、みな筆記試験であった。国家試験を受けるための勉強が
ほとんどだから、その国家試験というのがたった5問しかでない。1問につ
き30分の時間がある。その30分で文章をまとめて数式を書かねばならな
い。一瞬にして要点を把握して文章にする必要に駆られるのだ。そういう訓
練はすごくその後に役に立った。○×という選択制は、結果を選択する訓練
にはなるかも知れないが、思考の訓練にはならない。大切なのは、思考の訓
練なのだ。
真ん中というのが△だとしたら、それは右にも左にも傾くということだろう。
だから、宝石の原石みたいなものだ。磨き方によっては丸にもなるが、×に
もなる。一番悪いのは△のまま終わることだ。○であれば×もわかる。×に
なってみれば○の価値もわかる。社会の中で○と×を体験してみることが、
いろいろわかるということになるのだ。それは若いうちにしかできない冒険
だ。だから若さは素晴らしい。こんな事を書くとおじんになったなと思う。
占い一言居士:
世の中悩みのない人なんていない。必ず何らかの問題を抱えているのが本当
のところだろう。占ってみて欲しくなる動機というのは、そういう自分に自
信を失いかけているときとか、相手が全然見えないときなどではないか?本
当の占いとは、自分の心をちゃんと見えるようにしてあげることなのだ。
05年10月16日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-友達はすべて食い友達である。
---吉田知子(作家)---
食欲の秋!今は季節の中で一番食べ物を美味しく感じるときなのかも知れな
い。というよりは、美味しくなることを期待しているといった方がいいのか
も知れない。実際に食べ物が美味しくなるのは、やっぱり冬だ。冬大根はな
んといっても甘くて美味しい。海に住む魚は脂がのって美味である。ここ北
陸ではなんといっても蟹だ。
地元で消費されてしまって、他に出回らないのがズワイガニの雌・こうばこ
蟹だ。この雌の蟹は体は小さいが、いっぱい卵を抱えていて、また蟹味噌が
豊富だ。通の人は、足はそのまま捨ててしまう。僕はどうしてももったいな
くてこの小さな足もしっかりと身をだして、卵と蟹味噌をミックスして、こ
れも三杯酢などにして食する。何と珍味なのだろう!こういう食べ方は邪道
なのだそうだ。味噌だけ食べればいいというらしい。
「衣食足りて礼節を知る」とはよくいうが、食欲、性欲、睡眠欲が人間の三
大欲望らしい。どれも人間の本能に属する部分だが、それだけにこれはコン
トロールすることが大変なのだ。食欲がなくなれば死んだも同然だ。それほ
ど食べるということに人は執着する。身体に悪いと知りながら美味しいもの
を食べたがる。もう病気としかいいようがない。そもそも食べるなというこ
と自体がおかしいのだ。それよりも食べることを満足させてやることの方が
よほど健康的だ。だから、食べることを楽しみにしてやることの方が大切な
のだ。
我が家では、中国製の食品は一切買わないことにしている。先ず第一に信用
おけないからだ。多分農薬付けで、人間が多食すれば健康を害することにな
るだろう?中国のダイエット茶で死んだ人の記事が新聞に出たこともあった。
恐ろしいことだ。食に危険を感じていては、楽しみどころではない。
人間に食べられる食べ物にしても、つまらなく食べる人に食べてほしいとは
思わないだろう!だから食べ物に敬意を表して、人も食べ物も互いに楽しむ
”食楽”であるべきだ。
食楽という意味を一番よく知っているのは、我が家では”妻”である。彼女
の食べる姿は実に楽しく美しい。だから彼女がいるだけで皆が楽しくなる。
占い一言居士:
改名というのは、本来は運勢が悪いから改名するというよりも、もっと自分
を発展的に成長させたいという動機の方がいい。だから、あたらしい自分を
この分野で作りたいという人の方がいい。もし運勢が悪いから改名しようと
いう人でも、新しい自分創りをする決意のある人は、早くその価値が現れる。
05年10月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-仕事に対する考えを整理するとか、熟考するとか口走るのは、おおか
たは仕事を逃れる口実だ。
---ヒルティ(スイスの法学者・哲学者)---
仕事に対する考え方は人それぞれ様々だ。それでも結局は儲けたか損したか
が問題になるだけだ。どんなに理由をつけてみたとて、結果という勝負は明
々白々なのだ。戦争であれば負けた瞬間からすべてを失うだけなのだ。
仕事に対する姿勢は、真面目であればいいわけではないし、アイデアがあれ
ば成功するわけではないし、人付き合いがいいからというわけで成功するわ
けではないし、指導力だけが仕事を成功させるということでもない。それで
は仕事を成功させるためにはなにが必要なのか?それは、些細なことなのだ。
それは相手のバランスを崩すことなのだ。
戦略ということがやかましくいわれる。軍隊では目標がはっきりしている。
戦争目的をしっかりと把握していれば、一軍が一体となってその目的遂行に
邁進できるのだ。その上で戦略目標というものがある。そして戦術が出てく
る。これが経済ということになれば、もっと目標が絞りにくくなる。だから
こそ、仕事が複雑になるにしたがって、結果が見えにくくなる。大企業病と
いうのはそういう複雑になった組織の中で、目標や結果が見えにくくなって
起きてくるものだ。
いつの時代でも、言い訳をする人はいるし、その言い訳のうまい人もいる。
そういう人を見ていると、何となく仕事ができるのだなあと錯覚してしまっ
たりする。実際は何の結果も出していないのに、そういう人がちょっと注目
してしまったりする。しかし、優秀な上司がいれば、そういう誤魔化しはす
ぐに見抜くはずだ。結果に一番貢献している働きをしているのは誰か!評価
のできる上司の元では働く人は力が入るに違いない。
占い一言居士:
我が子の命名は、誰しも自分で考えてつけたいと思うはずだ。当然である。
子供の名前は親が付けるべきだ。ところが、その名前を付けることが非常に
難しいのだ。少しでも子供の運勢をよくしたいと、考えるからだ。運勢とい
うのは、実は親がつけると、嫌な事だが”因縁”とも思えるほど、親子仲が
悪くなるような名前を付けてしまうのだ。だからこそ、しっかりとした鑑定
が必要になるのだ。
05年10月14日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人生には、そうそう「人とゆっくり会う時間」などないんである。
---姫野カオルコ(作家)---
僕は人と会うと必ずいうことがある。それは、「また今度!」というのであ
る。また!というのは、次の機会をいうのであるが、ところがその次の機会
というのは本当に訪れるかというとそういう確信があっていっているわけで
はないのだ。外交辞令で自然にそうなってしまう。
そういうことが相手に失礼とは、思いながらもつい自然にそうなってしまう
のだ。それでも、本当にゆっくりと歓談したいなあと思うことはしばしばあ
る。しかし、そういうチャンスがやってきたことは数えるほどしかない。ど
ういうわけか自分でスケジュールを決めてしまって、それに追い回されると
いう情けない生活をしているのが実情なのだ。
人間というのは面白いもので、自分が会いたいなって思っているほど、相手
はそう思ってはいなかったりする。だから、あまり過剰な期待をしない方が
身の為なのだ。何故かというと、その方が自分の心にダメージが少ないから
である。反対に、久しぶりにあった相手でも、しばらく知らんぷりしている
と、相手の方から、一生懸命に話しかけてくる。人間というものは、弱いも
んで一人でいるということが耐えられないのかも知れない。だから、反対に
一人で泰然としていると、相手の方が気になるのだろう!
「また今度!」というのは、結局は僕の人に対する弱さから出る言葉なのだ。
必要ならば、相手の方から来ればいいくらいに想えばいいのだが、そういう
非常さはどうも性に合わない。だから、弱さとホントかなという一抹の自責
の念を覚えながらも、やっぱり「また今度!」といってしまう僕なのだろう!
そういうところが、僕らしいとあきらめることにしている。
占い一言居士:
相性占いは、なかなか難しいといえる。変なことをいうなと思われるだろう
が、プロでも千体万象に変化する人の相性をその人の状況の中で的確に見て
取るのは、とっても経験がいることなのである。よく占い師養成します何て
いうのがあるが、それは多分養成講座で金を儲けるためだろう!世の中そう
甘くはない。
05年10月13日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-賽銭のひびきに落つる椿かな。
---正岡子規(俳人・歌人)---
椿といえば、思い出すのは武士である。椿の花は花まるごとぽとりと落ちる
ところから、武士の首が落ちると縁起を担いで余りよく思われなかったらし
い。でも、その椿油はとても素晴らしい。僕はほとんど化粧品などは使用し
ないのであるが、この椿油だけはずーと愛用している。
この椿油は、その歴史は古く既に遣唐使の時代に唐の皇帝に日本から献上し
たと記録にあるようです。
原産地は北九州らしい。この椿の花は何としても印象に残る花である。紅い
花弁は、派手すぎることもなく、花木一面に咲き乱れることもなく、適度に
そのあでやかさを誇っているところがいじらしい。そして、人知れずぽとり
と落下する。そういうところが好きなのだ。
正岡子規といえば、病魔に倒れながらもその激しすぎる一生は、何かにとり
つかれているほどすさまじかったようだ。司馬遼太郎の「坂の上の雲」には、
そんな正岡子規の一端が描かれている。
その子規が、伊予松山での椿神社の祭りの際に、賽銭の音に符丁を合わせて
椿の花を詠んだのは、子規一流の写生なのだろうが、何か子規の生涯を暗示
しているかのように思ってしまうのは考えすぎだろうか?
そういえば、小泉首相の靖国神社の参拝も、今年は玉串を捧げるのではなく
て、お賽銭で終わってしまった。外国のいろいろな意見もあるだろうが、日
本人としては国の礎になった人たちを祭礼するのは自然の心情の発露ではな
いか?「死者にむち打つ」という言葉があるが、外国の外野席の注文は靖国
を政治的に利用しようとしていて、「まさに死者にむち打つ」事をしている
ようなものだ。
小泉首相も、その任期を椿の花のようにあでやかに終えてほしいものである。
占い一言居士:
その昔、占いは国の運命や方向を占う重要な儀式であった。時を経て今や占
いは庶民の心の方向性を占い、見据えるようになった。しかし、その占いを
予言のように使う人もいる。それはとても危険なことなのだ。古来予言や預
言は神の言葉をあずかるものだからである。それは選ばれた人だけの特権な
はずだ。
05年10月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-仏法には明日という事はあるまじき。
---蓮如(浄土真宗中興の祖)---
「明日があるさ!」そういってうそぶいても、明日は来てもなにもできない
でしまっている。そういうことが多いというのが現実だろう。ここの「仏法」
を「・・・・」に変えてみれば、面白いことになる。例えば、「勉強」でも
いいし「仕事」でもいいし、「アイデア」でもいいではないか!
物事は引き伸ばせば、それだけ時間とエネルギーを消耗するだけなのだ。そ
れに勢いというものもある。間延びしてしまっては意味がないものだって在
るに違いない。明日というのは、希望の意味があるが、それは今日という日
を乗り切ってこその明日であるということではないだろうか?自分に妥協す
ればそれだけ自分に負担が重くのしかかるのはいうまでもない。
蓮如さんが言いたかったのは、本当はそういう意味ではないと思う。仏法と
いう宇宙の真理は、明日ではなくて今ここでも、あなたに真理は働いている
のだ。だからその真理は明日になればわかるだろうとか、時間をおいて真理
を考えようなどといっているようでは、仏の道から遠くなるだけだ。真理は
今自分がここで求めなければ、いつまでたっても自分の所にやってこないだ
ろうという意味なのだろう。「自灯明、法灯明」ということだ。
今しか悟れない事って確かにある。その環境の中でしかわからない事ってあ
るはずなのだ。環境が違ってしまうと、その時の状況でその当事者の心情ま
でわかることはないからだ。だから今気が付く事っていうのは、とっても大
切なことなのだ。それを人は継続できないから無明煩悩の凡夫ということに
なる。だから、凡夫は凡夫なりに、「気が付いたことは、気が付かされたこ
と」と考えて、大切に思うことが重要だろう。時には神様のプレゼントもあ
る。
占い一言居士:
蓮如という人は、なかなかの人物だ。真宗本願寺をここまで大きく勢力拡大
したのは、ほとんど蓮如の力によるところが大きい。その蓮如は、お文と講
という制度で真宗の教えをわかりやすく庶民に伝えた。世の中が不安定にな
ればそれだけ人は安寧を求める。問題は人の心に正しい方向を示してあげる
ことが必要なのだ。庶民に必要なことはそういうことだ。そういうところは、
真宗も占いも目指すところは同じかも知れない。
05年10月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-己れ自身を統治しえぬ者は自由にあらず。
---エピクトテス(ローマの哲学者)---
昔から川を治める者は国を治めることが出来るというようにいわれてきた。
ナイルを治めた者がエジプト王国を作り、黄河や揚子江を治めた者が中国大
陸の覇者になった。日本でも水運をうまく使って都市造りが行われた。大阪
もそうだし、江戸もそうだ。北前船は日本の各地をまわり多くの物資と同時
に文化も運んだ。
ここ金沢も忘れてはならないのが、銭屋五兵衛である。彼は北前船で一大財
産を築くのであるが、河北潟の干拓事業で、死魚中毒事故にかこつけた反対
派の中傷による無実の罪で、嘉永5年(1852)獄中で80歳の生涯を終
えた。結局は難癖をつけられて潰されてしまったのである。彼の夢は河北潟
を埋め立てて一大水田地帯にするつもりだったようだ。
そして、五兵衛の夢は、昭和38年から20余年、283億円余の巨費をか
けた国営干拓事業によって実現したのである。でも、現実は河北潟の水質汚
濁が大きな問題になっているのだ。
世の中死んじゃあお終いだよ!あの世に持っていける物はなにもないし、な
どとの賜ってみても、人間生きている以上何かをして社会にその痕跡を残し、
子孫に伝達する使命を誰しも帯びている。何事かなした人は皆遺訓を残して
いる。徳川家康にしてもそうだ。皆何かをしっかりと自分の中に培ってきた。
それが、自分の事業として現実化したのだ。その辺を理解しないと、結局は
成功者のノウハウを理解しようとしても、それはうわべだけに終わってしま
う。
だから、伊達政宗公の遺訓を読んでみよう!
仁に過ぎれば、弱くなる
義に過ぎれば、固くなる
礼に過ぎれば、諂(へつら)いとなる
知に過ぎれば、虚をつく
信に過ぎれば、損をする
気ながく心穏やかに萬に倹約を用いて金銀を蓄えるべし
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば、何の苦もな
し
朝夕の食事は美味からずとも誉めて食うべし
元来、この世は客の身なれば、好き嫌いは申されまじ
今日の行をおくり、子孫兄弟に能く挨拶して、娑婆の御暇申したがよし
占い一言居士:
占いと心理学はどこが違うのか?占いも結局は心の世界に入らなければ相手
に理解されることはない。でもどこかが違う。心理学は行動や心の動きを分
析しながら問題の解決をしようとする。でも占いは、それにとどまらない。
「天使の占い」はちゃんと方向性までも提示する。そこが違う。でも本人が
行動しなければ結果が出ないという点では一致する。
05年10月10日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-いかに気にあわざる者来たりとも対面すべし。
---伊勢貞親(室町中期幕府政所執事)---
世の中馬が合う者とあわない者とは少なからずあるものだ。
問題は、どうも、風のごとく馬が合わないものが来たときにどうするかだ。
その辺が器量の見せ所である。自分が圧倒的に優位で、相手に対して何の遠
慮もいらないときには、高飛車に出たところで差し障りはないだろうが、相
手が明らかに自分より優位であるときには、中々対応に苦慮するものである。
そういう経験は誰もがしているだろう。
ところが世の中には達人という人が少なからずいるものだ。どんな人間が来
てもひょうひょうと変わらず、相手を風のごとく流してしまう御仁がいる。
そんな人に会うと叶わないなと脱帽するのである。風流人で粋な人。どうも
江戸っ子に多いのかも知れないが、ここ加賀前田藩の武士達も、なかなかの
風流人であったように思う。東茶屋、西茶屋と茶屋街が発達し、ここは遊郭
とは趣をことにし、芸事を楽しんだのである。武芸の変形として釣りも盛ん
であった。
平和な時代の武器はなんといっても、文芸なのである。お茶もその一つだ。
お茶などは日本の相対文化の粋を集めたものといってもいいだろう。
などと、お茶のことはからっきしダメなのであるが、それでも、作法を文化
と芸術の域まで高めたのは、利休居士なのであるが、それも織田信長という
卓越した人物がいたからなのである。
家康が言った「馬上天下を取るも、馬上天下を治めず」は有名な言葉である
が、平和な時代は文化や学問をどれだけ深めたかが問われるようになる。
人間の心を平和に保つには、やはり文化が必要に思う。それも相対文化だ。
相手との関係を深める文化なのだ。それが茶道や華道に表されている。その
辺の心がわかっていると、心の中の剣も引っ込めざるを得ないのであろう!
要するに人とひとをつなげるには、その人との間に見えない何かが介在しな
ければうまく人の心は動かないことを意味しているのである。その何かが文
化や共通の事柄なのだろう。その見えないものを勉強することが今は大切な
のだ。
05年10月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-どの道でも足の向く方へゆけば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき
獲物がある。
---国木田独歩(詩人・作家)---
足の向くまま気の向くまま、旅から旅へと・・・。そんな気ままな生き方が
してみたいとたまに思うことがある。芭蕉などは気ままではないにしても、
結構、いい旅をしたと思ったりしている。旅はいいもんだなといつも思って
いるが、いいもんだという旅を今までしたことがない。
この前、東京まで出かけた。仕事である。新幹線の中で、JR東日本の車内雑
誌に触れた。驚きが先に走った。巻頭言ではない。江戸の話だ。その江戸が
今の東京と地図上でだぶっていたのだ。驚きとしかいいようがない。江戸の
地図は庶民が持ち歩き、観光用としても売られていた。その地図は住宅地図
になっていた。全く江戸人は驚きである。
人生も旅である。そんな格好をいってもしょうがない。情報化社会がますま
す発展し、瞬時に全国の情報を手に入れる社会が実現しているように錯覚す
る社会である。だから、旅は面白い。情報にならない情報が旅にはある。と
皆がそう感じているからなのかも知れない。その旅をパックにして売り出す
旅情報業者がいる。だから旅は、旅でなくなってしまう。旅は自分の心が先
ず旅をしなければ、いつまでも与えらた仮想でしかなくなってしまう。
足が向く、気が向く、そういうところをいつも自分の中に用意しておくこと
にしている。それが、自分を勇気づける。失敗もある。それもまた楽しい。
足が向く、気が向く、そういうことを旅の中で経験する。それが旅の中で自
分の殻を脱皮させてくれる「キーワード」になる。
人生のキーワードにも「足が向く、気が向く」が必要だ。
占い一言居士:
その昔、「愛するって、耐えることなのね!」なんてフレーズがはやったこ
とがある。こんな事を言うと、”団塊の世代”ってことがばれてしまうよう
だが、この言葉は今でも通用する。実は女の人ではなくて「男の人」にであ
る。占いにもかっこは男だが、中身が女っていうケースが相性占いに多くな
った。これも世相という運勢のなせる業なのか?
05年10月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-逃げない人を、人は助ける。
---篠原欣子(テンプスタッフ社長)---
いつでもどんな時でも真っ正面から取り組む。そういう人が僕は好きだ。別
に一番にならなくてもいい。自分の目の前の問題にしっかりと取り組むこと
が必要と感じるからだ。未来の構想もいいし、アイデアもいい、しかしそれ
らがいくらあっても降りかかる問題を処理することができなければ、理想も
構想もないではないか。
未来は現実の時間の積み重ねであり、状況と事実の連続線で結ばれている。
その連続線を中断しては、過去も未来もあり得ないのは当然のことだ。だか
ら、「今を守れ!」といいたい。喜怒哀楽、栄枯盛衰、様々な感情を人は持
っている。その感情を今にぶつけながらの戦いなのだ。それが美しい。人間
の臭いがする。
自由党と民主党の大合同が行われた55年体制の立役者、三木武吉は有名な
言葉を残した。「誠心誠意嘘をつく」である。権謀術数の中に明け暮れるの
はなにも政治家ばかりではない。サラリーマンでもそういう大きなシステム
の中に組み込まれているではないか?その中で如何に人間の臭いを発散させ
て生きることができるかである。世の中キリギリスが沢山増えてしまった。
表面上の格好良さでブランドで身を包んでも、冬になればその骸を路上にさ
らすだけではないか!喜ぶのは蟻だ。
「門をたたけそうすれば開けてもらえるだろう!」とバイブルには書いてあ
る。すべての人が開けてくれるわけではない。数多くの中のたった一人かも
知れない。それでも「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の
水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」とある。多くの人が迫害
する中で、一杯の水を与える人もいるのである。
”行為は必ず報いとなって現れる”それが宇宙の法則だ。現実に立ち向かえ
ばその報いはある。反対に逃げる人には相当の報いがあるのは大自然界の摂
理なのだ。
占い一言居士:
私の運勢はどうでしょうか?そういう質問をみんなしたいに違いない。「運
がいいのか悪いのか」誰しも怖いけど知ってみたい気持ちはある。そんな時
は「バカ、バカ、バカ」といってやりたい。何故か「自分は運がいいのだ」
そう信じることができてこそ、どんな運をもっているかということがわかる
のだ。自分を信じない人には運勢などは意味がない。
05年10月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-やらされて泳ぐのではなく、目的意識をもって泳げ。
---古橋広之進(フジヤマノトビウオ)---
今時泳げない!何ていえない。今は学校にもプールがあるし、水泳は夏休み
には必ず練習の日がある。それにスイミングプールもある。泳げない子なん
てあまりいないのではないか?環境的には、恵まれているといってもいいだ
ろう!
僕らの時代には、学校にプールなんてなかったし、泳げるなんて思いもよら
なかった。小さいときには海にもよく連れて行ってもらった。でもそれは、
アサリを捕るための潮干狩りなのだ。バケツ一杯に貝を捕って帰る。それが
しばらくは食卓にのる。その為に必死だ。泳ぎを覚えるなんて事は、考えら
れなかった。恥ずかしい話、だから高校まで泳げなかった。
陽が沈む頃に、和船に乗って一艘の船がこぎ出されていく。波間に浮かぶ浮
かぶ三人の男のシルエット、端から見るならきれいな情景なのだが、実は地
獄のはじまりだった。表に立つ男の腰には、ロープが巻かれ、その後ろに立
つ男の手にロープの端が握られていた。次の瞬間男が表から波間に消えた。
男は泳げない僕だった。沈みかけるとロープがたぐられ船の縁に掴まった。
しばらくすると、また波間に突き放された。容赦のない地獄があった。
やがてその地獄のような黒い波間から浮かぶ白い肌が動いた。波間に浮い
て いる。何とか泳ぐというよりは浮くことができるようになった僕がいた。先輩
の罵声が飛んだ。足を動かせ、顔を上げろ、力を抜け。何だが矛盾するよう
なかけ声ばかりだ。それも聞こえなくなると、いつの間にか波と遊べる自分
がそこにはいた。
目的意識もいいが、やるときは何でも必死になることだ。そうすれば、地獄
の中にも天国はできる。
占い一言居士:
あなたは神や仏を信じるか?そう聞かれるのと、あなたは運命を信じるか?
と聞かれるのは同じようなものだ。僕ならこう答える「僕は偉大なる凡人だ」
と!時には信じ、時には失う。それでも神仏がいるように、運命もある。だ
から、偉大なる凡人である僕は運命から逃げないのだ。
05年10月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-自ら勝つものは強なり。
---老子(中国周代・道家の祖)---
自らに勝つというのは、いつの時代でも、どの国でもどの民族でも共通の課題ではある。克己回天?は僕の勝手な造語であるが、「克己」できれば、「天が味方する」というわけだ。逆にいえば、天が味方しないのは、自分が自分に勝たないからだともいえる。
そうはいってもこの「自分に勝つ」というのが、できないからこそ人は悩むのである。ちょっと待てよ!自分のなにに勝つのか?
弱い心、だらしない心、やる気のない心、くじけそうな心、全部ネガティブな心に勝つのか?どうなんだ!自分の敵がわからない。それでは自分に勝つという意味がわからないではないか!
アジアの偉大な宗教指導者・釈尊は「欲望が問題だ」といった。だから「無欲」が強調された。これには多くの反論があることも事実だ。欲望悪玉論は問題がある。人間の発展は向上心という欲望があったからである。しかし、
自分が勝たなければならないのは、実は自分の欲望なのである。自分の心の中にわき起こってくる「際限のない欲望」、いわゆる過分なる欲望という奴である。その過分な欲望が現実の状況判断をくもらせる事になる。
克己・自分に勝つとは、僕流にいえば「己の過分な欲望に勝つ」ということなのだ。だから、過分にならない欲望の範囲というものがある。それを見極められるかということなのだ。そうすると自分の”天より与えられた使命は何か?”そういう使命感を自分がどう感じていて、それを「天が認識しているかどうか」それが問題になる。
わからなくなったときは「無欲の大欲」で行くしかない!それも克己の道だ。
占い一言居士:
「ウサギは生き残り、オオカミは滅んだ」長い耳を持ったウサギは、自分が弱い存在であることを知っていたから、沢山の情報を集めて生き残る道を探した。強いオオカミは、自分が一番と過信していた。そして時を経て滅んだ。占いは弱い人間のすること!そういうオオカミ人間は、いつか滅んでいくしかないのだ。
05年10月5日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-赤字になるのは簡単な家計簿の原則と同じで、収入より支出の方が多
いからです。
---永守重信(日本電産社長)---
市場の原理は簡単である。などと偉そうなことはいえないが、入ることと出
ることのバランスであることには違いない。問題は、入ることと出ることに
時間的な差異が生じていることなのである。すると人間は欲望が優先するか
ら、入ることを見越して出すことを考えてしまう。その辺の見込み違いから
トラブルが起こってしまう。
何事も複雑に考えてはいけないのだ。単純がいい。それでも、大きなお金を
動かして大きな仕事をしようとすれば、銀行やら債権のお世話にならねばな
らないではないかとお思いだろうが、基本はやはり自分のお金なのだ。ある
ものから出す。当然と言えば当然だ。借りて事業をするのは、時間をかけて
いつか自分のお金にすると言うことなのだ。それができないときには失敗と
いうことになる。
心にも現金出納帳がある。自分の心を資産価値と考えるのである。そこには
増幅作用があるからだ。入力したものを大きくふくらませて出力する。そう
いう特殊な作用を心は持っている。先ずは価値をふくらませることなのだ。
心にどういう入力をさせるかということが一番の問題になる。その選択も心
がしなければならない。その心の増幅作用をどうやって高めるかということ
だ。それは見えないものを沢山入力し、心を鍛えることなのだ。
世の中便利になった。そしてみんな怠け者になった。便利は怠け者をつくる
ものにしたわけではないはずだ。なのに怠け者になった。それは何故か?心
の中の現金出納帳が赤字になってしまっていたのだ。それは不便という入力
がなくなって、便利という現金を使ってしまっているからだ。
不便という入力をして、それを増幅し加工し、便利に変換する。それが心の
働きだ。心はいつも何かを入力していなければならないのだ。それがないか
ら、現代人の心には赤点が灯っているのだ。
占い一言居士:
一寸先は闇・・・それが本当なのかも知れない。それでも、何か光明がない
かと探したいのが人間ではないのか?ちょっとした方向性と方法がわかれば
すぐに人間はそれを希望と感じる。それが人情だ。相性占いも個人占いも闇
の中の光明に違いない。
05年10月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-ああゆう目立ちたがり屋は嫌われる。
---大崎善生(作家)---
「存在感のある人になりたい!」というのが、役者を目指す人や、芸能人に
なりたい人の気持ちなのだろう!
そういう芸能の関係でなくても、一般の組織で働くサラリーマンも、
どこか自分の存在を知らしめたいというのが、心の奥深くにある欲望だ。
ところがどういうわけか、そういう気持ちをみなが持っているくせに、やた
らに目立つ奴が現れると、どうも癪に障る。何とかそいつを引きずりおろそ
うという心が働く。それは、みんなが同一戦列に立っていて、互いに牽制し
あっているドングリの背比べだからに他ならない。そこにダントツで飛び出
そうとする奴が現れる。そこで、次を狙おうとしている奴が、暴れるのだ。
嫌われ者万歳!こういう人が出てこないと、世の中善くならない。それに面
白くもない。そういう刺激が出てこないと、バランスが崩れないのだ。「出
る杭は打たれる」ではなくて、打たれる覚悟ででていくのである。それが杭
の役目なのだ。どうせなら杭のままで終わって欲しくない。その上にちゃん
とした建物を建てて欲しいものだ。そういう戦いをするのが本当だと思う。
みんな杭になるのを懼れている。それでは、リーダーにはなれないのだ。
人格の評価なんて後からいくらでも付いてくるものだ。世の中の人間が勝手
に評価するだけの話だから、別に自分が変わったわけでもないのにだ。そう
いう意味では、「ホリエモン」は面白い。
自分が存在感のある人間ということを、自分でうたっている。そこに「彼ら
しさ」がある。
単なる目立ちがりやだけではダメなのだ。嫌われる覚悟がなければ存在感は
出てこない。
それともう一つ、重要な要素がある。それは
「かわいらしさ」だ。憎まれるだけでは立つ瀬がない。そうでないと石田三
成や明智光秀のようではないか?
占い一言居士:
相性占いには、不思議な力がある。というのは、相性って何かということを
考えたらよい。それは”情的引力”なのだ。情的な引力がなければ、相性は
出てこないのだ。引力があれば反発力もある。
源義経にはそういう情的引力があった。頼朝が持っていたものは、巨大な欲
望という引力だけだったのかも知れない。それが源氏の運命をドラマチック
にしてしまった。現代人に必要なのは、義経のような情的引力なのだろうか?
05年10月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-鳥取の事、よるひる二ひゃく日こらえ候
---吉川経家(戦国時代の鳥取城主)---
戦国時代、羽柴秀吉の兵糧攻めにあって、ついに自分の命と引き替えに部下
達を助けるように秀吉に願い出たのである。
兵糧攻めというのは、秀吉らしい戦の仕方ではあるが、武門の名誉や将来に
名を残すという生き方を考えれば、これほど無惨なものはない。
戦略としての籠城はあるが、それも攻撃をするための準備という位置づけだ
から、全く敵を攻める道がなくなってしまっては、籠城は負け戦の上の延命
工作以外何ものでもない。
大軍を率いて包囲攻めは、考えようによってはもっとも残酷な攻撃方法であ
る。もっとも消耗が少なくて、経済的ではあるが・・・。
結局秀吉は師匠である信長を越えられなかったということだ。どんなに窮地
に立たされても、籠城という方法をとらなかった信長は、桶狭間の戦いで電
撃的な奇襲作戦を行った。しかも相当な準備をしてからである。その為に、
組織的な情報戦を始めから仕掛けたのである。信長は籠城戦を好まなかった
はずだ。その弟子である秀吉は兵糧攻めを好んだ。
師匠である信長の発想を越えようとして、もがいて苦しんだ秀吉である。秀
吉は信長をついに越えることはできなかった。信長の理想?を形を変えて実
現したのは、三河の親類である徳川家康だ。彼は本当の信長を知っていたの
かも知れない。
人は生きていく上で、必ず師匠を必要とする。師匠もなにも持たないなどと
豪語する人がいるとすれば、それは嘘だろう!自分の生き方に道を示してく
れた人は必ずいるはずだ。その人を越えて、はじめて自分を創造することが
できるのだ。戦いはいつも起きる。師匠を越えようとすれば、そう簡単に越
えさせてくれないのが師匠だ。そのせめぎ合いで決定的な勝利を得なければ、
道はない。
そういう戦いが生きる中で、必ず一度はある。
占い一言居士:
道に迷ったら、人に聞けばいい。「聞くは一時の恥」というではないか?人
生の道も迷うことは必ずあるものだ。そんな時に、指針となる参考資料は沢
山ある方がいい。占いもその一つだ。何かしらヒントは隠されているのだ。
何故なら、神は無駄なことはなさらないからだ。
05年10月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-言い訳をするとパワーが減少します。
---中谷彰宏(作家)---
昔、言い訳をするとよく怒られた。「男は言い訳をするんじゃない」と言う
わけだ。要するに男らしくないと言うわけだ。
それを聞く度に、男らしいって何だ!という疑問を常に抱いていたのだ。
「男なら泣くな!」これもよく聞かされた。そのたびに反発した。
だいたい男らしくなかった僕は、男らしいと言うのが嫌いだった。
何か言われるといつも心の中で弁解していた。昔の我が家の隣に”すずちゃ
ん”と呼ばれる女の子がいた。彼女は強い子で、僕はいつも彼女の言うとお
りにしたがって、ママゴトに付き合わされていたのだ。
それも、その”すずちゃん”のお父さんというのが恐ろしい人で、いつも怒
鳴り声が聞こえていたので、僕は”すずちゃん”に逆らえなかったのだ。
昔の家は共同井戸で、その”すずちゃん”家と井戸を共同で使っていたのだ。
それに、洗濯は100メートル位離れたところに清水があり、そこでは数軒
の家が共同で洗濯をする場所だったのだ。そんな所だから、ちょっと喧嘩す
れば、その喧嘩はそのまま大人の喧嘩につながる。
口べたの僕は、子供同士の事件にちゃんと説明できないので、いつも心の中
で「違うのになー!」といっていたのだ。
こういう中では、強くなれない人はその不満を心の内に留め置くようになる。
それが言い訳の源泉になる。するとますます心の内に本当の自分を閉じこめ
てしまい、表面では何食わぬ顔をしていることになる。嫌な子供がまた一人
増えるのだ。こんな村の社会で起こっていたことは、時を経て今でも起こっ
ているに違いない。
大人は子供の言い分をしっかりと聞いて、それが「言い訳」にならないよう
にしてやることが必要だ。それが、子供のパワーを充電する唯一の道に違い
ない。
占い一言居士:
たかが改名されど改名!改名は人生を転換する大きなメソッドになる。それ
は、運命式の力を信じる人に現れる。改名によって現れる運命式は、新たな
る可能性を改名した人に賦与するのだ。
05年10月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-いちいち気にしていたら、今の世の中、やってられないよ。
---東野圭吾(作家)---
「今の世の中、気にしなければならないことばかりで、いちいち取り上げて
いたらやってられないよ!」
それが本当だろうと思う。気に入らないことが多い世の中なれども、そんな
ことを気にすればそれこそ地元の言葉で”しんきょう”何ていわれかねない。
「そんなつまらんことを気にするようやったら、”だらや”」などとも言わ
れかねないのである。
ところが気にすることが出現してしまったのである。我が家の”山の神”が
今はやりの「大腸ガン」になってしまったのである。なったと言うよりは発
見されたという方が正しい。町の集団検診で、便の潜血反応が”陽性”と診
断され、軽い気持ちでカメラの検査をしたのだ。9月1日のことであった。
今の医者はすごい。はっきりと「大腸ガン」と告知するのだ。それも「相当
大きいので、緊急に手術を要します。すぐに大病院に紹介状を書きますので、
そこで再度精密な検査をして手術をしてください」というわけだ。たぶん聞
いた人は、みな最初はなにを言われているのかわからなくて、ボーとしてい
て、しばらくたってことの重大さに顔が青くなるのである。夫婦二人で金沢
医科大病院に行った。検査の結果が出た。担当の先生は、懇切丁寧にPCにカ
メラ映像を映しながら、説明をしてくれた。「たって2~3年はたっていま
す」
転移しているかどうかは、CTスキャンしてみなければわかりません。
この大きさだと可能性はあります。
待合い場所で待っていると、他の患者さんも出てきた。ハンカチで目を覆っ
ていた。多分ガンの告知をされたのだろう!
ガンは、特に大腸ガンの死亡率は、ここ数年第1位に躍り出ている。ガン細
胞は、目に見えるような大きさに成長するのに約9年くらいはたつのである。
すると、10年前くらいからガンは体に住み着いたことになる。「ガンを告
知されて、どうしよう!」などと右往左往するよりは、これから「ガン」と
どうやって付き合うか?そのことを考えた方が、建設的である。”死”とい
うタイムリミットが少し短くなっただけのことである。
気にするとしたら、今後どういう生き方をすべきかということを気にした方
がいい。泣いても時間は過ぎ去っていくだけである。
今の世の中「前向きの開き直り」がないと、やってられないのが現実だろう!
「ガン」になって家族が教えられることはあまりにもたくさんある。ひょっ
とすると、「ガン」は逆縁の仏なのかも知れない。
占い一言居士:
運命というものは、運ばれてくるものなのだろう!いい運、悪い運が運ばれてくる
基準は何だろう!それは自分自身が決めていると言うことなのだ。だから、運は
自分が呼び寄せている。自分を省みれば、運は変わるのだ。そういうチャンスを
改名は与えてくれる。
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