日記風の格言
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06年5月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-われわれはまあこの世に間借りしているようなもので、何もむきにな
ることはない。
---庄野潤三(作家)---
伊達政宗公遺訓に次のようなことばがある。
「倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば、何の苦も
なし朝夕の食事は美味からずとも誉めて食うべし。元来、この世は客の身な
れば、好き嫌いは申されまじ」
人生は長い旅のようなものと思えば、そう粋がることもないではないかと思
うが、若さはそういう心境にはなかなかさせてくれないのだ。
人生は旅人みたいなものだ。そう思っていたのだが、いよいよそういう気持
ちが強くなった。「50にして天命を知る」からもうしばらく過ぎてしまっ
た。こうなってくると、やけくそで天命は旅人になることなのだろうなどと
勝手に決めてしまっている。いまだに自分の天命が何であるかがわからなけ
れば、それはちょっとかわいそうだ。何故ならば、人生というゴールがある
とすれば、時間は残り少ないからだ。
つい昔をふり返るというような癖がつくようになると、それは危険だ。過去
に未練を持ち始めるようになると、老化がはじまるのではないかという不安
に駆られるようになる。未練ということでは、聖書に次のような話がある。
「神の怒りに触れたソドムとゴモラの街が天からの火によって滅び去ろうと
するそのとき、街から逃げ延びたロトの家族は、しっかりと前を向いていた。
しかし、ロトの妻だけはふとソドムの街がどうなっているのだろうかと後ろ
を振り向いてしまった。その瞬間ロトの妻は塩の柱になってしまったのだ。
ロトは彼の地で塩の商売をしていたのだ」
伊達政宗公は、次のようなことばも残している。
元来、この世は客の身なれば、好き嫌いは申されまじ。
今日の行をおくり、子孫兄弟に能く挨拶して、娑婆の御暇申したがよし。
人生の達人であった政宗公は、客や旅人であればよいという。今まで生きて
きた世界や人生は旅の途中で、本当の目的はまだ先があるのだから、過去に
未練は持たない方がいいよということをいっているのだ。未練や執着心は決
して人間を幸福にはしない。だからこそ旅人の心境でいれば、次の世界に心
を用いることで、もっと自分の心を素直に、楽にすることができるというの
だ。へそ曲がり人生を歩んだ政宗公らしい遺訓である。
占い一言居士:
相性占いでは、もちろん人との性格や愛情交流を総合的に観て判断するのだ
が、それでも、本人が持つ運命式には相当の幅がある。それに親子関係によ
っても運命式の見方は大きく変化する。だから相性占いほど難しいものはな
い。それだからこそ、やりがいがあるということもいえる。
06年5月29日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-「首を切る側の論理」も存在する。
---童門冬二(作家)---
「泥棒にも三分の理」というのがある。泥棒する方も泥棒される方も、それ
なりの理由が存在するということだ。一方的に泥棒が悪いとはいえないとい
うものだ。「そんな虫のいい!」といいたいところだが、泥棒さんにしてみ
れば、泥棒せざるを得ない理由がある。それを等々と述べられても困るとい
うものだが、西洋では、財布を盗られるような隙を見せた人にも責任がある。
などといわれるから、困ったものだ。
リストラする方にもリストラされる方にも、どちらにも言い分というのはあ
る。その言い分のどちらに軍配が上がるかは、普通はリストラする方に力が
あるから、どんなに自分の理を唱えてもリストラされる方には分が悪いこと
になる。そんなことから、リストラされる方には同情が集まることになる。
だから世間は、リストラする会社に風当たりが強い。当然といえば当然だが、
生きるための手術みたいなものだ。
企業責任ということになれば、役員が当然それを負わなければならないはず
だが、役員という人に限って自分ではよほどのことがない限り、責任は取ら
ない。責任責任と叫びながら、自分たちには責任というものは存在しないよ
うな素振りだ。最近は企業の不祥事では、テレビの前で頭を下げればいいと
考えているような役員が多い。
封建社会を例にするのは、時代錯誤かも知れないが失敗をすれば切腹という
制裁を自分に科して仕事をする人たちを少しは見倣ってほしいものだ。
「泥棒にも三分の理」があるかと思えば「盗人猛々しい」というのもある。
この度の社会保険庁の不祥事は、泥棒にも三分の理を唱える盗人猛々しい役
人根性をそのまま露呈している。こんなことが許されるなら、誰も年金を支
払わなくなる。ところが弱い庶民に対しては、正義の味方の弱いものいじめ
で、脅してくる。税金を無駄遣いした保険庁の役人はOBまで遡って損失を
補うべきだ。それでもまだ三分の理を唱える泥棒が涼しい顔をしてデスクで
仕事をしている。役人こそリストラを可能にすべきだ。
占い一言居士:
改名するというのは、誰しもよりよき自分を目指して新しい出発をしたいが
為に、その道筋をつけるものなのだ。だからこそ改名はただ何となくでは意
味がない。しっかりと過去の自分に見切りをつけて新たなる自分を見いだす
為のアイテムでなければならないのだ。改名には新たなる自分の象徴が隠さ
れているのだ。
06年5月28日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-総じて、組織の運営は、「人間関係」が大きくものをいう。
---童門冬二(作家)---
最近は格差社会といわれるようになった。ますます二極化が進み、貧富の
差が大きくなり、社会は持つものと持たざるものの大きな差が生まれる社
会になるといわれる。本当にそうかなとも考えてしまう。なぜかというと、
格差や差別などというものはいつの時代にもどこの世界にいってもあった
もので、人類の始まりからまったくの平等であったなどとは考えにくい。
共産主義者たちは人類は当初、まったくの共存した公平な社会であったと
いう。そして、生産の拡大と共に所有するものとそうでないものに格差が
生まれ、支配と被支配の関係に発展したと説く。だから原始共産社会が理
想と説く。これも詭弁だ。何のことはない・・・ただ富の分配というルー
ルが確立されていなかっただけなのである。人間の所有意識がなくなるか
というとそんなことはないのだから、所有意識と支配被支配の関係をこじ
つけて、階級闘争を正当化しようとする。階級なんていうのも彼らが創作
した概念にすぎない。
一番大切なのは、人間の満足度なのだ。階級闘争に火を付けるために”不
満”を拡大しようとする。それが共産主義者の常套手段だ。彼らはよく知
っているはずだ。階級による支配と被支配の闘争が存在するのではなくて、
単なる不平と不満が存在するだけだと!その証拠に革命が成功して誕生し
た政権は皇帝から頭が変わっただけの独裁体制だ。そして彼らは民衆の不
満を抑えるために恐怖の密告体制を築き上げた。その最たるものが北朝鮮
だ。
マルクスは価値の基準を生活資料においた。それ自体も変な話である。そ
して労働者の価値の算出方法を労働時間にした。まったく馬鹿げている。
人間をよく知らないというしかない。価値の本質は商品の使用価値にある
のに、労働価値こそすべてというおよそかけ離れた論理展開をしたことが
共産主義の崩壊につながっているのだ。何だか思想的な話になってしまっ
たが、最近は格差社会というよりは、カテゴリー社会という方がふさわし
いような気がする。それぞれの中で、自己の人生満足度を実現するという
ことがふさわしいような気がする。そしてもっと利益分配が公平に行われ
るシステムが実現できるように願うばかりだ。人間関係はそういう中で大
きな役目をするようになる。
占い一言居士:
命名にこだわりあるというのは、至極当然なのだ。でも忘れてはならない
のは、命名の主体は誰かというと、名前を付けられる「赤ちゃん」なのだ。
親の希望もあるが、それよりも赤ちゃんの希望や将来に思いをはせてこそ、
命名のこだわりに意味が出てくるというものだ。赤ちゃんも一方的な親の
押しつけはゴメン被りたいはずだ。
06年5月27日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-死せる虎は生ける鼠に及ばず。
---ことわざ---
「死人に口なし」とは、証人に立てようにも死んでしまっちゃどうしよう
もないし、死んだ人間には罪をきせることもできる。それと似たようなも
んで、どんなに生きて居るときに威勢がよくても、死んでしまっちゃ、生
きてる鼠にだって叶わないよ!ということなのだ。要するに、生きている
時が花ってわけだ。
裏を返せば、生きてるときは皆その権力にひかれて頭をさげているが、こ
の世にいなくなりゃもうこっちのもんだとばかりに、生前の悪口を言って
廻る。それでも何の被害も受けないからいいということになる。で、そん
なことを繰り返していると、自分が人からそういう扱いを受けることにな
るとは気がつかないから人間というのはおめでたいもんだ。
ところが死んでも、幅をきかせている人がいた。あの徳川家康である。死
んで神様になってしまったのだ。東照大権現となって全国ににらみをきか
せていたのだ。こういう発想は何も家康に限ったことではなく、日本人は
皆死んだ人を神様にしてしまうのが好きな民族なのである。かの有名な菅
原道真公も死んでから天満宮として祀られ、学問の神様になってしまわれ
た。源八幡太郎義家公も戦の神様として、全国に八幡神社がある。
昔から「死者にむち打つ」というのは、してはならないことであったし、
「死ねば仏」という言葉もある。確かに死ねば「死人に口なし」ではある
が、そういうことに対して、宗教的で優しい日本人は厳に慎んできたので
ある。それが人として社会に生きる最低限のマナーでもあったのだ。そう
いうことが守られない人は、結局は「死せる虎」となって「生ける鼠」に
喰われることになるのだ。南無遍照金剛!
占い一言居士:
運勢というのは、自分で作るものでもある。どうやって作るかというと、
先ずは過去の運勢を引き継ぐものを捨てること。次に自分の夢や希望、目
的と自分の運命式にあったものやカラーを自分のまわりに集めること。自
分の中から新しい関係を作ることが大切なのである。
06年5月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-必要なことよりも大事なものは、あるんよ!
---重松 清(作家)---
なにを価値視するかという問題になると、人々は皆意見が分かれる。それ
ほど人によって考え方の比重は違うというわけだ。その温度差によっては、
必要とするものと必要ではないとするものとに別れるようになる。反対に、
必要ではあるけれども、価値の順序としてはずっと後のことだってある。
何だかわからない話になっているのだが、それほど大事な事というのは皆
違うものなのだ。
例えば、結婚したいと思っている恋人がいるとしよう!でも彼は貧乏だ。
とうてい結婚生活を維持できるような状態ではない。片や一方で金持ちか
ら求婚されている。その金持ちもそれほど変な人ではない。果たしてどち
らをあなたは選ぶのか?本当に好きな彼は貧乏、ちゃんとした結婚生活を
おくれそうなのは金持ちの青年。
聖書にはこんな逸話が載っている。アブラハムという人はきれいな奥さん
がいた。でも、旅人だったから知らない土地では狙われる恐れがあるので、
兄と妹と名のっていた。その地の王様が奥さんを見初めてしまった。アブ
ラハムは命惜しさに奥さんを差し出した。
皆さんがこの奥さんの立場だったらどうしたでしょうか?「やっと貧乏か
ら解放される。自分の命を欲しさに自分を売り渡すような男なんて!」
「自分だって好きに生きてやる!」そう思うでしょうか?
サラという名前のこの奥さんは、決して王様のいうなりにはならず、操を
守り通したというのです。それで、結局はアブラハムの元に帰ることがで
きたのです。
必要なことと大事なこと、価値視することは人によって皆違うでしょう!
しかし、聖書のこういう話を聞くとすごい女性が昔はいたんだなあと思う
でしょう!それは皆がこういう価値は同じように貴重に思うという心を持
っているからなのです。だから何が大切かというと、サラのようにたとえ
相手がどうであろうと「自分の心を裏切らないこと」。そのことは、皆が
共通に持てる偉大なる価値であると思うが。どうだろうか?
占い一言居士:
相性占いというのは遊びではない。その証拠に「天使の占い」に来る人は、
皆真剣だ。様々な占い遍歴を通して、ここにたどり着き、ここで相手と自
分に始めて気がつくようになる。そこから、自分の生き方が始まるように
なる。自分という人間の生き方が相手の中にあるということを、今知るよ
うになる。
06年5月24日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-金銭のために結婚する人より悪しきはなく、恋愛のために結婚する
人より愚かなるはない。
---サミュエル・ジョンソン(イギリスの文学者)---
結婚もいろいろある。大恋愛の果てに結婚をしたというのもあるし、見合
いで結婚をしたというのもあるし、紹介で何となく結婚をしたというのも
あるし、最初から金目当て、財産目当てで結婚をしたというのもあるだろ
う!どういう結婚をしようが、その結婚が生涯続けばそれなりの結婚であ
ったということができよう!
しかし、最近はいとも簡単に離婚をする。それは結婚というものにたいす
る価値が相当下がってきたせいではあるまいか?何となく好きだから結婚
するなどというのは、まったく鳥や動物よりも劣る。万物は種の保存とい
う歴史的な崇高な命題を持って大自然の摂理の中で番になり、夫婦になり
子を産み増やすのである。そして、子を育てるということを知っているの
だ。
江戸時代は、妻を離縁するときはいわゆる「三行半」というのを書いて、
離縁したという事くらいは誰でも知っているだろう。この三行半というの
は、実は離縁状ではなくて、離縁するけど再婚はいいよ!という再婚許可
状という性質が強かったのである。当然、夫の都合で離縁するのであるか
ら、妻の持参金やら、妻が持ってきた所帯道具などは皆妻が持って帰るこ
とになる。夫はそれを工面しなければならないことになる。字の書けない
人は鎌の絵とお椀の絵を描いて渡したという。再婚しても「かまわん」と
いうわけだ。
古来から結婚には必ず金銭の問題がついて回っていた。それくらい結婚生
活というのは、金銭問題と深く結びついているのだ。しかしである。そう
いう話を聞くと、結婚は「愛情」が問題なはずだという心がむくむくと起
こってくる。確かに理想はそうだろう!だからその理想を実現しようとす
ると、そこに悲劇や喜劇が生まれるのだ。それでも人の細胞の中では、本
当は愛情だ。そうでなければならない。と叫ぶ遺伝子が生きている。
占い一言居士:
改名するにもチャンスがある。一番いいチャンスは人生の節目を逃さない
ことなのだ。女性であれば結婚というときだ。男性であれば社会に出ると
き、それから転勤などや転職の時である。そういう節目をしっかりと見極
めて、改名すればそこから新しい道が見えてくるようになる。一番いいの
は、自分が改名しなければと思ったときが、その節目の時になっているは
ずだ。
06年5月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-日々の生活こそは凡てのものの中心なのであります。
---柳宗悦(民芸研究家)---
思想にしても宗教にしても、その力が民衆に行き渡るようになると、世俗
化して生活の中にとけ込んでいくようになるのです。すると、その持って
いる神通力は薄れてしまいますが、生活のリズムの中に伝統として受け継
がれていくようになります。多分そういうものだろうと思います。だから、
生活化しているものの中には昔最先端の考えがあるに違いないのである。
道元禅師は正法眼蔵の中で、歯を磨くための楊枝の使い方を具体的に書い
ている。
楊枝をよくかみ、歯の上と裏を磨くこと。歯のもとの肉の上や歯の間もよ
く磨いて洗うこと。口を漱ぐこと。舌をこそぎ洗うこと。などとある。
栄西禅師は『喫茶養生記』を著し、自らもお茶を栽培し、お茶を日本にひ
ろめた人である。当時の仏教などの最先端の思想も、こういう生活文化の
中で受け入れられ、定着していったのはあるまいか?
道元の「舌をこそぎ洗うこと」などは、口臭を消すというもっとも効果的
な方法なのであるから驚きである。
戦国末期の武士・鈴木正三が出家して僧侶になり、四民日用訓を説いて士
農工商の徳川家による封建社会を思想的に築いた功績は大きい。彼は三河
以来の旗本の家柄であったが、同僚の儒学者との意見の違いに反発して、
かねてから帰依していた仏教の僧侶になるべく出家したのである。(この
時将軍秀忠は、彼を隠居扱いにして家督を弟の重成に継がせている)
もし、ということはいいたくないが、鈴木正三がいなければ徳川幕藩体制
はそう長くは続かなかったかも知れない。それほど民衆の中にあって、思
想的に与えた影響は大きいと思う。
日々の生活の中で考え、行動して、そしてまた考え、教訓や格言が生み出
されていく。それらは、言い伝えられ伝統となりついには文化となる。価
値観や思想はその時々の問題点を解決するための考え方として必要によっ
て生まれてきた。世界宗教は、それぞれ出発点は違うが人間が直面する共
通の課題にたいする答えを持っていたから、世界に伝搬したのだ。だから
こそ、民族によって土地によってそのとらえ方は異なって当然である。そ
こから新しい価値や思想や文化がまた生まれてくるのだ。だから生活を大
切にするというのは、そこに人間の生きるヒントが隠されているからなの
だ。
占い一言居士:
改名といのは、もう一度リセットして生き方をあらためると言うことでも
ある。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と
バイブルにあるが、改名というのは新しく生まれ変わり、新しい国を見る
ということに他ならない。だからこそ、改名には人生を変える力があるの
です。
06年5月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-昼食は妻がセレブで俺セルフ
--- 一夢庵(第19回サラリーマン川柳コンクール)---
う~ん!世相を反映しているね!さすがに一位になるだけのことはある。
まったく世のご婦人方は、家事からの解放と共に、主婦を放棄してしまっ
たかのような気がするね!反論する声が聞こえる。家事労働のストレスか
ら解放されるわずかの時間に少しは女性の楽しみがあってもいいじゃない
か!殿方は、自分で好き勝手に飲み歩いているのだから、私にだってそう
いう時間があってもいいじゃない。
家事労働が重労働であったのは、戦前のような話になってしまった。今で
はあらゆる事が電気のパワーによって成し遂げられ、大幅な時間の短縮に
つながっている。主婦は時間という大きな価値を手に入れたのだ。それな
のに、ヨン様などと旦那にはコンビニ弁当を押しつけて、”追っかけ”に
熱を上げる不良妻が後を絶たない。それにしても、妻を恐れて文句の一つ
もいえない夫の権威の失墜も現代の恐怖だ。
そういえば、第3位に「ウォームビズふところ常にクールビズ(環境財務
大臣)」というのがあった。かわいそうな世の男性諸氏の姿が目に浮かぶ
ようである。「俺セルフ」といわせるようなふところ事情が一家の大黒柱
にはあるのだ。総務省によると、05年度の1世帯当たりの貯蓄残高は平
均で1728万円であったそうな!すごいねと話している家の人は結構い
るはずだ。貯蓄のない世帯がおよそ23%いて、200万以下の世帯が増
えている。平均値のトリックがここにある。確実に世の中は2極化が進ん
でいると考えた方がよい。
だから一度でいいから言ってみたい。「昼食は妻がセルフで俺セレブ」こ
う叫びたいのは世の中の8割方の人がそうではあるまいか?この8割方の
人が元気にならないと、日本の国はよくはならないのだが!切り捨て御免
では、世の中を支える人たちに失礼だ。せめてチャンスだけは平等に与え
られないものだろうか?そういうところは政治に期待をしたいものだ。
占い一言居士:
命名は最近ではペットにまで及んでいる。ここまでくると人間の執着心は
すごいなと思う。果たしてペットに運勢があるのかという問題だが、運勢
というのは人間だけが持つ特別な世界なのだ。もしペットに運勢があると
すれば、それは飼い主の運勢に依存をしているという他はない。ペットに
命名をするとすれば、それは飼い主の運勢を補完する役目を持たせること
はできる。そこには大きな意味がある。
06年5月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-大抵の事はにっこりすれば許してくれる。
---金原ひとみ(作家)---
女性はなぜ着飾るのか?答えは簡単!男性という異性がいるからだ!など
と考えるのは男の身勝手短絡的な思考ではないだろうか?女性が着飾りた
いのはもっと根源的なものがあるからに違いない。それは、幼い女の子が
自然にきれいなものや暖かい色、命あるものへのあこがれ、そういう性向
を持っているからだ。
女性の持つ美しさへの憧憬がいつから武器になってしまったのだろうか?
それは自分の存在が相手に対して大きな価値を持っているということを認
識し始めるようになってからだと思う。要するに自分の容姿を売り込むこ
とを覚えてしまったからなのではないかと思うのだが?当たらずとも遠か
らずということでないか!
世の中は相変わらず男社会だなあと思う。映画やドラマなどを見ていると、
やっぱり男中心の目で脚本が書かれているから、どうしても、女性が脇的
な存在になってしまっている。いろいろなシーンがあるが、危機的な状況
で女性が登場してその危機を乗り切るという事がよくある。やっぱり女性
の魅力が大きな力になっている。そういう中で、だいぶ前にドラマの「シ
ョムニ」が流行ったが、それは女性が中心のドラマだからと思う。
世の中男と女の世界であるに違いないが、互いに正しく評価できるような
社会にはいつになったらなるのだろうか?そんな社会は理想かも知れない
が、少なくとも、自分の内面的な魅力を武器にするくらいの社会にはなら
なくてはと思う。「ちょっとしたことで許してもらえる」それでは、自分
の価値を結果的には下げるだけではないのか?
占い一言居士:
改名で自分を変えたいと思っている方は正解である。人は自分を変えよう
変えようといくら努力しても、自分の持つ基本的な材料が貧弱であれば、
強くなりたいと思ってもなりようがない。先ずは自分の中に可能性のある
材料を造ってやることが先だ。そうすれば後は水や肥料をやる努力で芽が
出るようになる。それが改名というものだ。
06年5月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-耳を信じて目を疑うは、古今の患うる所なり。
---葛洪(中国の儒学者)---
世の中ずれている。今に始まったことではないが、やっぱりずれていると
思うことの方が多い。何がずれているかって、世の中ほとんどが「上げ底」
なんだから、どうもわかりにくい。何が上げ底かっていうと、大体が事実
よりは相当オーバーに宣伝していることが多いっていうことなのだ。
まあ、すべてが事実だけというならば味も素っ気もないということになり
かねないのだから、多少の宣伝があってもいいとは思う。夫婦の中も宣伝
合戦みたいなものかも知れない。そういえば夫婦の間こそ、リアルな世界
しか見えてこないのだから、そういう宣伝効果でもなければ、何とも面白
くないことになる。
女性がきれいになりたいというのは、歴史的な遺伝子のせいだ。それはそ
うだろうと思う。種の保存のためには、より能力のある相手を選ばなけれ
ばならないのだからだ。でも人間には文化がある。その文化が人間を造り、
人間が文化を創ってきた。そういう中で自分を魅力的に表現するというこ
とが必要なのだ。
だから、流行という商業ベースにのった魅力では、輝くことはできない。
「この目を疑った。聞いてきたこととは大違いだ」などと憤慨することは、
たまにあることなのだ。いろいろな人の前宣伝に勝手に自分が思いこんで
しまった結果なのだろうが、常に「百聞は一見にしかず」というスタンス
が必要なのだろう!女性の美しさも、女優さんを使った宣伝に、画一化さ
れた美しさを押しつけられている。相当修正された上げ底なのを知らない
のだろうか?そんなことよりも本当の美しさは、上げ底の通用しない心の
世界にあるはずだ。
それが見えていて始めて夫婦だといえる。
占い一言居士:
名を改める事を改名という。当たり前だが、名を改めるということには相
当の理由や意味がある。そのことは動機の問題なのだが、改めた名前の持
つ力、改名の力をどこまで知っているかの方が問題になる。改名した名前
を通して自分に注がれる見えないパワーがあるのだ。そのことを計算した
改名をしなければ改名の意味がない。
06年5月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-思い出に時効はない。
---成田哲也(作家)---
人間の記憶には知識や景色などの情操や過去の経験など様々な情報がある。
まるでパソコンのハードディスクのようなものだ。その様々な断片情報か
らそれらをつなぎ合わせて一つのまとまった情報として、頭の中に再現し
てくれる。そういう力が人間にはある。頭の中にはちょうど日付のインデ
ックスがちゃんと整理されていて、時間を超えてしまっているのだ。
今の時に生きる自分が過去に戻ることができるのも、頭の中の時空を超越
した世界にその引き出しを求めればよいことになる。実に人は便利にでき
ているなと思う。そういう人間が、心の世界をもし共有すればどうなるだ
ろうと考えることがある。頭の世界の共有である。そんなことができるか
な?とは誰も思うのであるが、それがどういうわけか出来ているのだから
人というのは面白い。
心理学者のユングは、集合的無意識(複合的無意識)という言葉でそれを
表したが、人にはそういう無意識層が何処かにあって、その無意識層が人
間共通の基本となって様々な現実を作り出しているらしいということなの
だ。すると今ここで考えているようなことを、やはり何処かの誰かが時を
同じくして考えていてもおかしくはないことになる。人は人であるという
こと自体、アダムとイヴやイザナギ命やイザナミ命と同じような何か因縁
を背負っていることになるのだ。
思い出というのは面白い。ふと何でもないのに心の内に浮かんでくるのだ。
まるでそれは底なし沼から得体の知れない物体がふ~と湧いて出てくるよ
うなもので、突然現れてはふっと消えていくのだ。人はひとりで何もなく
存在はしていない。必ず何かの対象と一緒に存在しているのだ。それが現
実でなくても頭の中の過去の思い出であってもそうなのだ。だから人は過
去に生きる人なのか今に生きる人なのかという違いがあるだけだ。どちら
もその人の真実であることに違いはない。ひょっとすると人類の思いでは
共通なのかも知れない。
占い一言居士:
名字は苗字ともかく。いずれも土地にゆかりがあることを表している。そ
れほど日本人は土地とのつながりが深いのだ。苗字の次に付ける名前ー命
名は、その土地との深いつながりのある人の生き方の中で、意味のある名
前が好んで付けられたのだろう。だから、命名にはそういう苗字と名前の
持つ調和が求められようになったのだ。
06年5月16日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-遊びに年齢制限なんてないと思う。
---奥田英朗(作家)---
遊びは楽しいものだ。そういう観念がだんだんなくなってきているような
気がする。その昔は、祭が大好きだった。祭は楽しかったのだ。なぜかと
いうと仕事や学業から解放されて、美味しい食べ物が用意されているから
だ。友達とも同じように祭という中での遊びに興じることができたからだ。
世の中は、どんどん便利になって様々な遊びも商業的に作られるようにな
った。その中でお金を使っての遊びが多くなった。若者たちは、お金がな
いと遊びを面白くできないというような錯覚を持ってきてはいないだろう
か?遊びは創意と工夫なのだ。小さいときは自然の中に自分たちの隠れ家
を造り、みんなで掟を作った。そんなことも遊びなのだ。
大人になれば、大人になっての遊びの仕方がある。大人になって間違うの
はお金を使っての遊びが遊びと思ってしまっていることにある。「違うだ
ろう!」とあえていいたいのだ。遊びは自分自らの発意でなければ遊びに
はならないのだ。商業主義にのって満足しているようでは、そんなのは遊
びではないのだ。まったくコンビニでたむろしている若者をみると、彼ら
には遊び心が育ってないのだろうと考えてしまう。
分相応という言葉があるが、年齢相応という遊びがあってもいいのではな
いかと思う。それは、人それぞれの遊び方があっていいということだ。そ
れを趣味という人もいるかも知れないが、やっぱり遊びだ。そこには「自
分の発意と創意工夫」があるからだ。そうであれば、青年も老人も同じよ
うに遊びを持つこともあるはずだ。そういうところに交流があって、面白
くもなるのだ。
遊びが遊美になればいいなと思ったりする。
占い一言居士:
運命を呪うとかいう人がいるが、運命そのものが自分のものだから、それ
は自分を呪うということになる。自分の運命に感謝するということの方が
よっぽど健康的なのだ。厳しいときも楽しいときも苦しいときも、運命の
中の試練であるならば、そこには乗り越える価値がある。
06年5月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-何度でも間違えよう。
---中谷彰宏(作家)---
「人間誰しも間違いはある」というのは、なぐさめでも何でもない。本当
にそうだからである。間違いを悪いことだというように、いったい誰が教
育してしまったのか?間違いは成功のためのプロセスなのだから、大いに
間違いなさい。などといってくれる人がいれば、みんなウソだと思っても、
感激してしまうだろう。
小学校時代から、教育ははなまるとバツの繰り返しであった。できていれ
ば二重丸。間違っていれば大きなバツ。そして、バツはどういうわけか親
からも先生からも怒られた。テストの評価もその繰り返しが基本だ。中学
校に行っても、高校に行っても、正しい答えだけが評価された。そのプロ
セスに点数は付けてくれないのだ。
次男が小学校の時、算数のテストをまったくの白紙で出した。よくよく聞
いてみると、一つの問題を考えていて答えが出てこないので、時間が来た
のでそのまま出したというのだ。答案用紙には見事に名前しか書いてなか
った。案の定大きなバツと零点と赤字であった。それをみて、家族は皆で
次男を褒め称えた。「君は偉い。その勇気はたいしたものだ」その次男は
高校に行って、数学は得意科目の一つになった。
始まりがあれば終わりがある。歴史は出発点があるから当然終末があるの
だ。答えは一つかも知れないが、人間は多くの過ちを犯し続けている。そ
れでも正しい答えを求め続けて努力している。それが人間の姿なのだろう。
かっこ悪くて泥臭いのだが、それは決してバツなんかではないはずだ。人
間が成長していく過程も同じだ。学習とは多くの経験と失敗の果てに自分
の教訓を積み重ねていくということなのだから!
占い一言居士:
お互いの相性をみる上で重要なことは二つある。それは性格の関係と愛情
の関係だ。その中でも、性格の関係は見落とされがちだが、とても大切な
のだ。男性でも女性でもいいのだが、その関係はデコボコになっていなけ
ればならない。要するに凹と凸であった方がいいのだ。大阪人的にはぼけ
とつっこみということか?まあ、そんなところだ。
06年5月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-家は洩らぬ程、食事は飢えぬ程にて足る事なり。
---千 利休(茶の湯の大成者)---
「言うは易く行うは難し」ということなのだろう!誰でも、その位の事と
いうのは知っている。腹八分目というのは、耳が痛くなる程、母から聞い
た言葉だ。それでも、「腹八分目で収まったことはない。ついつい食べ過
ぎるというのが人間の性なのだ。お腹が一杯になってから、満足感と同時
に少し後悔が心に走る。
「腹八分目」と口を酸っぱくして諭した母親は、その昔暴飲暴食でえらい
目に遭っているという経験から、子供にだけはそういう経験はさせたくな
いと愛情からの言葉なのだが、当の本人には「上の空」というわけだ。経
験が次世代に伝わるのは、そう簡単なことではないと思わされる。
利休居士は家は、洩らぬ程・・などと述べておられるが、なかなかの商売
人でもあったはずだ。それは堺の商人なのだから当然ではあるが、その人
が、家は洩らぬ程・・・などと述べる辺りがすごい。普通ではそういうこと
を堂々といえぬであろう。そこに精神のバランスのとり方があるように
思える。大人が子供に悪いことはするな!などと諭しながら、実は後ろめ
たい気持ちを持つのとは裏腹である。
確か陽明学(王陽明)では「知行合一」などといったはずだ。「知って行
わないのは、未だ知らないことと同じである」ということだ。自らの思想
を自らが実践してこそ価値があるというのだ。そういう意味では、利休居
士は見事に秀吉に対抗して、自分の思想を死をもって貫き通した。そこに
すごさがある。
誰でもが「何だ!」と思うことを、しっかりとやってのける事こそ、人と
しての真価が問われるのだろう!
占い一言居士:
改名というのは、なかなか決断ができないものだ。特に社会で働く男の人
にとってはそうだ。名前は自分の分身だからだ。そういう意味では昔の人
はなかなかの宣伝マンだ。秀吉なんかは改名したことをしっかりと自分の
利益にしてしまった。そこから新しい出発ができたのだ。改名は自己の再
出発の時にこそふさわしいのだ。
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