日記風の格言
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07年2月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-世の中がどう変わろうと、息子から孫へ、孫から曾孫へ、受け継いで
いくものがある。
---諸田玲子(作家)---
世の中には変わらないものと、めまぐるしく変化してやまないものがある。
価値ということからすると変わらないものに価値があるとされる。すぐ変わ
ってしまうものは、やはりその時だけの価値であって普遍性がないというこ
とになる。だから、人類史上共通して”金”や”ダイヤモンド”などは価値
があるということだ。人はこういう不変で安定したものを求めて今までやっ
てきた。
どうしてかというと、世の中信じられないことばかりだから、変わらない普
遍性は唯一性になるし、絶対性になる。だから人は裏切られることのない絶
対性という意味で変わらない価値や変わらないものに執着をするのだ。政治
が不安定になり世の中が乱れてくるようになると、宗教が力を持つようにな
る。戦国時代の一向宗などはその良い例だ。人はこの世の神が信じられなく
なると、あの世の変わらない神を求めたくなるものだ。反対に世の中が安定
してくると、人々の信仰心は薄らいでくる。この世の神とあの世の神は反比
例の関係ということになる。
受験生の家にはドラマがある。我が家もやっと受験生の前期日程が終わった。
結果は神のみぞ知るということなのだが、美大を目指す彼は、入試の願書提
出の直前になってそれまで打ち込んできた「デザイン」から「油」に転向す
ると言い出したのである。しかも鉛筆から木炭デッサンへの変身ぶりだ。慌
てたのは親の方である。その彼が今日の面接試験で試験官から「美術を目指
すということは、一生貧乏でも良いということですね!」と聞かれたという。
彼は自信を持って「貧乏でも良いです」と答えたという。そういう報告を聞
いたときに、愚かなる親は、自分の移ろいゆく価値観に毒されている心が槍
に突かれたような衝撃であった。
そういえば、僕らの若いときも自分で世界は創ることができるなどと本気に
なって考えていたし、それに向かって何らかのアクションをしたものだ。大
人の耳なんかは聞く耳は端からなかった。自分たちこそ歴史を変える原動力
になれると真剣であった。そういうエネルギーというのは、変えてはいけな
いものだ。それを応援してやらなければならないミッションが大人にはある
ような気がする。大人達が何かを次世代に伝達できるとするならば、旧世代
が応援団になるということなのだろう!次に今の若い世代が大人になったと
きに良き応援団になれるような伝統を創ることだ。変えてはならないミッシ
ョンといのはそういうものだと思っている。
07年2月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-私語が多くなったら、その集団は機能しません。
---櫻井秀勲(評論家)---
リーダーというのは、不思議なもので人が良くて愛されてもいけないし、恐
怖心を部下が持っているだけというのもいけないし、頭が悪いと思われても
いけないし、それでは怜悧と思われてはどうかというと、これも冷たさだけ
が残っていただけない。実行力があればどうかというと、これもただ自分が
走るだけの亥の武者と呼ばれるのが落ちだ。
集団をまとめるというのはなかなか難しいもので、人間の複雑な力学がそこ
には働いている。その辺をしっかりと見極めながら時の情勢判断を誤らない
ことが肝要だ。要するに正体がばれない人が良い。ベールに包まれていた方
が良いのだ。何故かというとわからなければ、よりリーダーに感心と注意が
向く。それに部下には常に緊張感があるから、ミスが少なくなる。人間とい
うのはいい加減なものだから、相手がわかってしまえば、このくらいまで良
いだろう!適当でも問題はない。などと勝手に値踏みをして判断してしまう
ものなのだ。当然リーダーは孤独になる。だから側近という人は、リーダー
のことを知りすぎると危険だ。
司馬遼太郎の播磨灘物語には、黒田官兵衛の物語が載っている。竹中半兵衛
と共に軍師として豊臣秀吉の側近くに仕えたのであるが、「できすぎ君」は
リーダーより重用されるが警戒されるというわけで、秀吉からも家康からも
冷遇されてきたことは皆さんが周知の通りである。これも側近であるが故に、
しかも自分よりも能力があると思わせてしまったが故に警戒されるようにな
ってしまったのだ。リーダーというのはかくも人を信用しないものなのかと
いうことだ。たぶんそれまでに多くだまされて痛い目に遭っているからなの
だろう!次のリーダーといわれるNO2はそういうわけで大変だ。一歩間違え
ば自分の”死”が待っているんだからね!
一番良いのは3番手くらいにいて、NO2がこけた後を襲い力の衰えたリーダ
ーを押しのけて自分がリーダーに駆け上がることだ。まあこういうマキャベ
リズムが通用するような世の中ではないとは思うが、基本はどこも変わって
はいないような気がする。そんな過酷な仕事がリーダーなのに何でリーダー
になろうとするのか?たぶん人間が抱えている宿命見たいのものが宿ってい
るのだろう!加賀藩三代藩主前田利常公は、「鼻毛大名」として有名であっ
た。これなどは、リーダー徳川氏に対して、自分は無能ですよということを
アピールする無抵抗宣言のようなものであった。しかし、実際は新井白石を
して、政治は加賀が一番といわせしめたほどの能力があった。果たして、ど
んなリーダー像をもったらよいのだろうか?答えは自分で出すしかない。
07年2月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-誰しも、自分の描く自分像というものがある。
---藤本ひとみ(作家)---
自分の描く自分のイメージについて、ちゃんと答えられるような人はそう多
くはいないのではないか?ただ、これがあなただとイメージで示されれば、
「こんなんではない」などと反論されるのは目に見えている。だから、人は
結局自分をしっかりと持っているのだが、具体的に説明できないだけなのだ
ろう!ここが難しいところで、人が描いている自分のイメージと自分が思っ
ている自分のイメージはどこかギャップがあるものだ。
その落差があまりに大きいと、特に悪い意味で大きくなるとショックもあり
悩みもそれだけ大きくなるということになる。自分はこうなんだけれどナー!
などと思いつつも人はそうはみてくれない。その辺をどう自己実現するかと
いうことが課題になる。だから、自己表現のうまくできている人を見ると、
とてもうらやましくなるものだ。といって自分でそうなれるわけではないか
ら悩みなのだ。
俳優さんや女優さんが結婚するといったいどんな結婚生活になるのかなあと
つい考えてしう。演じることのプロが結婚すれば、夫の前にも妻の前にも演
じているのではないだろうか?などとうがった見方もしてしまう。こういう
人達はどこかで自分を出さないとストレスが溜まって仕方がないのではない
かとも考えてしまう。翻って一般社会の夫婦も中には仮面夫婦もいるではな
いか?と考えると、演じているのはみんなそうなのだということになる。で
あれば、ちゃんと自分を演じることのできる人になることが先ずは必要なの
かも知れない。最初は大根役者でも良いけど年期がたてば、そのうちに堂に
入ってくるのではないかと思う。
自己イメージというのは、ナルシシズムということではない。もっと利他的
なものだ。相手に自分を理解してもらうための自己表現だから、自分の為の
演技をするのではないのだ。自分像の中には社会的な地位や経済力、様々な
要素が入り込んでくると思うが、基本は自分の心のあり方をどう表現できる
かということなのだ。社会や家庭というドラマの表舞台で自分の心を演技す
るなんてことができれば良いなと思う!「それって、プロの役者でも難しい
ことでは・・・」でも大丈夫、いつも配役が決まっていればだんだんうまく
なるものだからね!と考えれば、ちゃんと自分造りができるようになるので
はないかと思う。
07年2月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-景気が良くなると、だいたいの人は、節操が悪くなる。
---池田晶子(哲学者)---
節操というのは「節義を堅く守って変えないこと。自分の信じる主義・主張
などを守りとおすこと。」などとある。すると景気の上下と主義主張は関係
があるということなのだろうか?まあいずれにしても、人間というものはた
ががゆるめば、ハメを外したくなるというのが、持って生まれた本性なのか
も知れないが、その辺に歯止めがかかるのが文化とかプライドなどというも
のかも知れない。
確かに懐が温かくなると、心も大きくなったような気がするし、この際何で
もやったれなどという気にもなってくる。その反対に懐が寂しくなると、必
要なものでも、節約節約とコートの襟を立てたくなるというものだ。どちら
にしても節操などというものは、豊でも貧しくなっても、場合によってすぐ
に破られる代物に違いない。豊になれば金の無駄遣いが横行するし、貧しく
なれば金融犯罪が増加する。いずれにしてもあまり良い社会ではないといえ
る。
なんで道徳やモラルなどと人間社会は叫ばなければならなくなったのか?そ
の辺の疑問にかかると、秩序ということに関わらざるを得ない。しかし、こ
の秩序というのは神代の昔に問題があったというのだ。日本の國創り神話で
伊弉諾尊と伊弉冉尊が宮殿の天柱を中心にまわって求愛の儀式をしたのだが、
女性の方から声をかけたのが間違いだったと、もう一度やり直して今度は男
性のふから声をかけて結ばれたという話が古事記に載っている。これなどは
基本の秩序を間違ってしまったことを意味している。神代の代からこういう
事なのだから、現代も致し方なくはないとも思う。
いずれにしても節操を守るというのは、太古の昔から人間にとっては大きな
問題であったに違いない。だから、様々な法律も生まれたし、処罰も行われ
てきた。しかし、いっこうに人間のルールを破るという性向は変わっていな
い。これなどはみなイザナギとイザナミの子孫であるからということなのか
も知れないが、一方で新しくルールを作り何かを生み出そうとするすごいエ
ネルギーを感じ取ることもできる。だから、節操もほどほどという中庸が肝
心ということかも知れない。
07年2月16日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-年をとると世の中のことが何もかもわかってツマラナイ。
---三宅雅子(作家)---
年をとるということが、何かをわかるということかというとそうではないら
しいことがわかってきた。年をとればとるほどもっとわからないことが増え
るばかりだ。だから年をとっているということは「かまとと」ぶっていると
いうことになるのだろう!実際にそうだ。子供達にいろいろと質問されるこ
とが多い。そんな時に知らないものは知らないというのだが、それでも出来
る限り説明がつくような話をすることになる。
人間偉くなると、この知らないということが素直にいえなくなるから悲しい。
社長だって知らないことは多いはずだ。現場の方がもっと多くの情報を持っ
ている。ただ、地位がないから言わないだけなのだ。それで、部下が何も言
わないから自分の方が何でもしっているような顔をしている。後で部下達が
「あのバカ社長が!・・・」なんて話のネタにされていることも知らないで
ノー天気なものだ。web2.0の時代になって、もはや公開情報は誰の所有でも
なくなった。だから知っているということに価値があるのではないのだ。価
値は情報の判断力にあるということになる。
昔の話をすると笑われるが、封建時代は限られた人しか情報を知ることがで
きなかった。それに、一つの情報を得るのに長い時間がかかっている。その
間に情勢が変化しても、そのことがわかるにはまた長い時間を必要とした。
だから限られた情報の中からできる限り的確な判断をしようとした。そうい
うシックスセンスのようなものが必要だった。しかし今は、多くの情報が知
ろうと思えば瞬時に手にはいるようになった。そこで現代人にかけているの
は、やっぱりそういうシックスセンス的な能力だ。瞬時に有用情報かどうか
判断すること、情報の整理がいち早くできるかどうかが問題なのだ。そうい
う意味では、織田信長の浅井攻めでお市の方がもたらした小豆の袋で全てを
察したというのは、彼の優れたシックスセンスの賜だろう!
だから、世の中はわかっちゃあいけないのだ。わかった顔をすること自体が
世の中をダメにする。歴史を動かすのは若者だ。それは、彼らがわかって行
動をしているのではないということだ。わからないからこそ行動するのだ。
そのエネルギーが世の中を動かす。何かをするときにわかってする人がいる
だろうか?起業をする若者がいたとする。彼は必ず成功するとわかって起業
をするだろうか?わからないからこそがむしゃらに自分の信じるところに従
って進のだ。だから最後は信じる力が強い者こそ、その力を発揮する。今情
報過多によってわかったような顔をする若者が多いから、信じる力が衰えて
しまったのかも知れない。教育に必要なことは、自分を信じる力を養うこと
なのだろう!
07年2月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-お金をかけなくてもできることにはお金を使わない。
---柴田よしき(作家)---
どうもお金というテーマでは苦手だ。お金に縁がないせいかもしれないと考
えながら、それでも書いている。人は生まれながらにして持っている性向と
いうものがあるのではないかとも考えている。それは子供達を見ていると、
別に教えているわけでもないのに、お金に妙に関心を持つ子供と、お金に全
く興味を持たない子がいるのだ。もちろんお金の価値とか重要さは、年齢が
いってくれば分かってくるのだが、それと興味や関心とはどうも別らしいの
だ。
こういう事は、性格というよりもDNAに近い問題なのだろうかと思う。夫婦
の親たちはどうだったかなどといろいろと昔話や、過去の想い出をたどって
みるとわかりやすい。隔世遺伝だとか、この部分の関心はお祖父さんに似て
いるとかお祖母さんに似ているとかなどである。実際に我が家の三男は私の
母親にそっくりなのだ。それは、顔かたちだとか性格というものではなく、
興味や関心の持ち方が違うのだ。物心つかないときからお金に非常に興味を
示しているのだ。これは、教育などで培われるというよりも、当初から持っ
ているとしか考えられないものなのだ。
これを書いていて、ふと思いだした。司馬遼太郎の「龍馬が行く」の中で、
後の三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎が幼いときに、その子の将来を占う儀
式として、幼子がやっとハイハイするころになって手の届く範囲にお金や物
を置いて何をつかむかで将来を暗示させようとする下りがある。弥太郎はし
っかりとお金をつかんだということらしい。弥太郎が後の財閥を築き上げた
から生まれたエピソードなのかどうかは分からないが、人にはそういう持っ
て生まれた因縁なるものが宿っているものなのかも知れない。
まあお金の縁は別問題として、どうもお金ほど原則に忠実で、人の心理が影
響を及ぼしているものはないと思う。別にお金の専門家ではないがどんな人
でもお金を貯めようと思えば、結局は足し算と引き算しかないのだろうと思
う。中にはお金のかけ算を知っている人もいるらしいが、それはやっぱりお
金に能力のある人なのだ。お足というくらいだから、庶民には出て行くこと
を防ぐのが一番の処方箋だ。だから財布には必要な現金以外は入れておかな
い。もちろんカードも入れておかないことだ。人間はそれしかないと思えば
それしかない生活ができるものなのだ。それがお金に対するつき合い方だ。
07年2月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
---吉田秀雄(元電通社長)---
物事をチャレンジする精神難い大切だとは誰しもが思うものだ。しかし、実
際にチャレンジできるかというと、全ての人ができるというわけではない。
競争社会だから、当然その競争に追いついていけない人もいる。しばらく追
いついていっても、途中でリタイアする人も出てくる。それは競争社会だか
ら仕方がないというほど、簡単には割り切って良いのだろうか?
競争という社会の中でそう甘いことはいってられない。というのは分かるの
だが、切り捨てて良いというような社会では下克上の社会と何ら変わりはな
くなる。どこかでちゃんと道を残しておいてやるというのが、こういう民主
主義社会の中での総合力というものではないだろうか?社会の中に人間力が
蓄積されているときは、「捨てる神あれば拾う神あり」ということになるの
だが、そういう人のつながりの伝統がなくなってくると、社会自体の総合力
がなくなってきて結局は、衰退することになる。
人間不信、相互の猜疑心、自己を防衛するために本当のことがいえない世界。
そういう世界があったら、その世界は地獄なのだろう!そういう意味では日
本はまだ人間力があるといえる。ファシズムや共産主義は結局のところ人間
力を否定してきた。だから、自己崩壊してしまったのではないかともいえる。
楽天的かも知れないが、性善説をとるか性悪説をとるかと問われれば、僕は
性善説をとる。もし性悪説をとって自分を形成すれば、結局自分自身が自己
崩壊するからだ。だって、人は信じてあげた方が楽しい生き方ができるはず
だからと思うからだ。
困難な仕事ほどやり甲斐がある。それを達成する苦労の道程を経て人は成長
する。それも事実だろう!だから、今の時代は勝ち負けにこだわる人もいる。
あえてもっと世の中を時系列的に見てみてはどうかと思うのだが?物事を成
し遂げようとするときに、自分の代から次の代へ、そしてその次の代へと受
け継がれていく。そういう成功の仕方というのもあって良いのではないかと
思う。もちろんその時でなければいけないこともあるのだろうが、ちょっと
せせこましい生き方をしているような気がしないでもない。もっと悠久なる
ときの流れの中に自分をおいて見つめ直してみることも、心のステージを大
きくしてくれるのではないだろうか!
07年2月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人は指導者の過去の栄光についてくるのではなく、未来の可能性につ
いてくるのです。
---田須美 弘(経営コンサルタント)---
今日は建国記念の日!昔の紀元節だ。この日の元は、神武天皇の即位をもっ
て我が国が建国されたと見なして制定したものだ。これは明治期に新暦に合
わせようとして、神武天皇の即位元年の旧暦1月1日を新暦に合わせようと
して、いろいろと試行錯誤して決まったものらしい。どちらにしても、明治
維新というのは、それまで長く続いた武家という軍事政権から天皇を中心と
した国家を作ろうという意気込みが随所に見られる。
神武天皇は、アマテラスの孫で「アメノシタヲシロシメスオオキミ」という
ふうによばれていたらしい。日本書紀によれば、神武東征で八咫烏に導かれ
て大和に入り、神武天皇として即位したと書いてある。いずれにしても、日
本という国の成り立ちは、書く豪族の連合体やら、それぞれが独立していた
部族やらが神武天皇によってまがりなりにも国としてまとまりを見せたとい
うことなのだろう!そして万世一系の神話はそういう日本書紀から生まれた
ものであるといってもいい。
権威の正当性は未来を約束するものなのかということを考えると、たぶん未
来における民族や国などの心のよりどころになるし、その国民のアイデンテ
ィティになるのは間違いない。そういう意味では、歴史的な権威というもの
がどの国にも必要なのはいうまでもない。歴史を学ぶというのは、自分たち
の成り立ちの正当性を明らかにするためなのだ。だから、歴代の武家政権も
天皇や公家の権威に頼らざるを得なかったのだ。自分という人間の過去や生
い立ちに人がこだわりを持つのも同じことがいえる。もしそれを越えること
ができるものがあるとしたら、絶対権威としての神や仏しかいないのだ。だ
から、権威や権力者はみな宗教を怖がるのだ。
経営者の資質の一つは何かというと、必ず未来を描いてみせることのできる
人だということだ。人が生きる上に一番重要なものは何かというと「希望」
である。希望があればある程度の困難にも目標を持って乗り越えていく
ことができる。しかし「希望」を失った瞬間に崩壊現象が起こるのはいうま
でもない。経営者にはその「希望」を現実に展開させられる資料と具体的な
計画性をわかりやすく伝達する力が問われるのだ。しかし、実力社長に次ぎ
に問われるのは、心のよりどころとしての安定した権威であるということは
間違いない。この権威と実力の二つの車輪を備えてこそ、長期にわたる経営
を維持できるのだ。そういう意味で徳川家康は賢い人であった。
07年2月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-時代の風は変えられぬものなり。
---葉隠聞書
(山本常朝口述・田代又左衛門筆録鍋島藩記録)---
たった今「web2.0時代の資本主義」というような題の講演録を聞き終わった
ところである。まあ、田舎にいると大東京のような恵まれた環境にないので、
これは聞きたいなというような、いい先生のお話も聞くチャンスに恵まれな
い。しかし、持つべきものは友でこんな面白い話があるよなどと気楽にネッ
ト上でデータを送ってくれる。だから、日本海岸の縁にへばりついて住んで
いるような僕でも、最新の東京の講演を聴くことができるのだ。これはまさ
に時代の恩恵そのものである。
話の内容はこれからの社会はweb2.0でどんなふうになるのか?ということな
のだが、何だかその昔学生時代に今の時代を批判し、理想社会はこうでなけ
ればならないなどと、息巻いていたころを思い出させてくれるような話なの
である。といって今更そんな政治運動の話なんかではない。実際のテクノロ
ジーが生み出す社会現象の変化の至極現実的な話なのだ。団塊の世代に近い
僕らが一度は挫折したような世界がひょっとすると近い将来に実現できそう
なモデルがもうそこまで来ているという可能性を様々な現象から実証してみ
てくれたのだ。
ボルシェビイキが率いたソ連社会主義の偉大なる実験は、結局は徒労に終わ
った。そして、理想を掲げながら結局は秘密警察と密告というどうにもなら
ない前近代的な政治制度をもたらしたにすぎなかった。今でも北朝鮮は、共
産主義の幻影からさめていない。もっともこの国は家父長的軍事独裁国家な
んだろうから、厳密には共産主義国家とはいえないと思うけどね!中共の毛
沢東は「政権は鉄砲から生まれる」といったそうだが、確かにその通りだ。
そして、鄧小平が共産主義に基づく改革開放路線を主張して実権を握ったが、
その鉄砲から生まれた政権は自由な発想による経済の力によってこれから大
きな変容を迫られるのではないかと思う!
「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」というのは、鄧小平
の言葉だが、時の流れは間違いなく進化(発展)の方向へと向かっている。
一日たりとも停滞を許さないというのが本当だ。時代が人をつくるというが、
時代の中で人は活躍できたり失敗したりとしているのだ。逆に言えば時代を
読むことのできる人が活躍できるということなのだ。今の時代はまさに産業
革命以来の革命の時代を迎えているといえる。この時は、グーテンベルグの
印刷機が聖書を人々の手元にもたらすことによって、思想の変革をもたらし
た。今やITの技術が人々の価値観を大きく変容させようとしている。時代の
流れに身を置いてこそ、新しい価値観を獲得し、共生共栄という新しい時代
を背負うことができるのだ。
07年2月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-悪行愚業をしてはいけないと百も承知していながら、それでもやって
しまうのが人間なのだ。
---エドガー・アラン・ポー(アメリカの作家)---
人間の業というのか、どうしようもない人の所業を自分がやってしまうこと
に、我ながら愚かさを感じるのだが、これもなおらぬものとあきらめた方が
良いのか迷うところだ。例えば、凡夫には悪行をするほどの勇気はないが愚
業は大いにある。ご飯は腹八分などと昔からいわれている当たり前の健康法
だ。なのに、ついつい食べ過ぎる。それだけなら良いのだが、飲み過ぎると
いう人もいるだろう!日常の些細なことにも、自分の愚かさをかいま見るこ
とができる。
何で寅さんや釣りバカの浜ちゃんが映画で人気が出るのだろうか?と考えっ
て見ると、自分たちと同じ愚かさをクローズアップしてくれているからなの
だと思う。それに、浜ちゃんの場合はステータスのあるスーさんも、時々あ
らぬ愚行に走ったりするときがある。そういうときは、してやったりと心の
中で叫んだりするものだ。したり顔で生きている偉い人たちも、やっぱり我
らと同じ凡夫なのだなあと妙な安心感を持ってしまうのだ。人とコミュニケ
ーションをとるときには、格好いい話よりも、愚痴話の方が受けるのは同じ
悩みを抱える凡夫の親しみやすさがあるからだろう!
種田 山頭火という自由律俳句をつくり続けた旅の俳人がいた。実家の造り
酒屋が倒産し、離婚もし、自殺未遂もして、旅を続けながら俳句を作り続け
た人がいた。最後は松山で草案を結んで生涯を閉じたのだが、僧侶でもあっ
たのだ。しかし、酒からは逃げられなかったようだ。その彼が残した俳句は
今でも人の心を動かす自然の力があるように思う。「いつも一人で赤とんぼ」
「其中雪ふる一人として火を焚く」など、俳句なのか独り言なのか分からぬ
が、何故か心に響くものがある。自分の弱さを見続けた人でもあった。
第コリント4章11節~には、次のようにある。
「今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであ
り、苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害され
ては耐え忍び、 ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今
に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。わた
しがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、
むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。」
愚かであり、それを知りつつ偶業を重ねても、それでも相手に優しく祝福す
る。そういうことができるということが、本当の愛情を持つということなの
だろう!山頭火はそんな生き方を示してくれているようで、いつも心が素直
になる。
07年2月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人は常に、浄玻璃の鏡に日夜の振る舞いのうつることを思うべし!
---明恵(華厳宗の僧侶)---
鎌倉時代に生きた明恵上人は面白い人で、この時代多くの新興仏教が起こっ
た中で一宗派を立てるべきでもなく、唯一自分の生き方を貫いた人である。
それに飾らない自然体の人柄は多くの人に慕われたそうだ。明恵上人の考え
方は、一言で言うと「あるべきようわ」で」あるそうな!その明恵上人は、
仏教史上まれに見る高潔な人士であり、一度も女犯の罪を犯さなかったとい
われている。
そんな人いるのかと、疑いたくなるのだが、仏教史学者の辻善之助先生が言
っているのだからたぶん間違いない。でも、こんな聖人君子ばかりだとその
うちに少子化がどんどん進んで日本の国が滅びてしまいそうだから、やっぱ
り我らのような凡夫は必要なのかも知れない。などと自己正当化しても、何
だか胸のあたりがもぞもぞするようでたまらなくなる。まあ、明恵上人の
「あるべきようわ」は、孤高の主体性というものかも知れない。
浄玻璃というのは、水晶のことをいうのだそうだから、占いではないが水晶
玉に映される自分を見つめて、己の行いを検証しなさいということなのだろ
う!まあ、会社の上司にチェックされるよりは自分でチェックした方が良い
のだから、それもありかも知れない。いずれにしても、浄玻璃とはいい表現
をしたものだと思ってしまった。自分を見つめるのが日本人はとても下手な
ように思う。一神教文化圏と違って神に対する自分という世界をなかなか持
ち得ない日本人は、自分の鏡を人に求めてきた。そこに日本人の限界がある。
それを明恵は浄玻璃で現そうとしたのだ。
時は巡るという。失った時を取り戻すことはできないのだが、その時の状態
を再現しそれを取り戻すことは可能かも知れないのだ。そういうことからい
えば、人は常に過去と向き合いながら未来に向かっているといえるのだ。昔、
日本の農村には村の規律を破ったものには、村八分という掟があった。これ
は慈悲である。村という共同生命体の社会では、その協力体制を破ることは
”死”を意味するからだ。訳あって村八分になった者は村社会で孤立してし
まうのだが、それでも冠婚葬祭だけは別だったそうだ。だから、村の死に対
する制裁としては”慈悲”なのだ。ここにも社会という浄玻璃が個人を写し
ている姿が見える。
一番は自分自身が心に浄玻璃を持つことなのだろう!
07年2月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
---(平家物語の一節)---
諸行無常の理をうたったこの一節は、この世の勝ち組負け組で一喜一憂する
ことのむなしさを現しているようだ。もちろん諸行無常は、この世の流転変
転するとどまることの知らないときの流れの中における自分の存在というも
のの価値を問うているのではあるが、決して悲観しているのではないのだ。
「盛者必衰の理」ととらえがちだがそうでもない。もっと冷徹に無常である
ことの意味を問うているのだろう!
僕的には、儒教の問題点は、古のことを基準に持ってくることなのかも知れ
ないと思う。過去に基準を持ってくれば発展する者も発展しなくなる。そう
いうことから見ると、仏教は無常観を持つことで次の世代への発展を目指し
ているのかも知れない。そこで問題なのは無常の方向性である。そこに諸法
が課題となる。仏法の「法灯明」だ。法がなければ先が見えない。法を持っ
て無常を実現させる。その理を知ることこそ重要だ。
よく祟りがあると迷信のようなことをいう人がいる。「たたり」というのは、
「多々」の理であるということだ。迷信のようでもそれが信じられるように
なった何かの理由がそこにはあるという真実だ。そういうことを疎かにして
は無常はただの堂々巡りになってしまう。世の中を見回して、そのような価
値観の中に何が存在しているのかということを考える必要がある。物質的な
豊かさの中に理想を求めて貧しい生活をする夫婦がいるとする。片や享楽の
中にある夫婦がいるとする。無常の法則は前者にある。後者は「風の前の塵
に同じ」ということになるのだ。
平家物語は今なお現代に生きる私たちの心に警笛を鳴らしてくれているよう
だ。もう一度、平家物語を一節を繰り返してみよう!これを逆説的に読めば
いいのだ。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の
理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者
も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。秦の趙高(ちょうこう)、漢の
王莽(おうもう)、梁の周伊(しゅい)、唐の禄山(ろくさん-安禄山)ら
も旧主先皇の政治に従わず、楽しみをきわめ諫言も聞かず、天下の乱れも知
らず、民衆の憂いも顧みないので亡びてしまった。」
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