日記風の格言
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08年3月31日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-湯に入りて湯に入らざれ
---瑞渓周鳳(禅僧)---
何事もほどほどにということなのだが、これが実現するとなるとなかな
か難しいことになる。どうも昔から一つことにこだわる癖があって、そ
こから抜け出せないのである。「わかっちゃいるけどやめられない」と
いうことなのだ。
それだから、ジュースはトマトジュースと決めたらどんなときでもトマ
トジュースになる。シチュエーションは関係ない。それも、必ず食卓塩
を半つまみ入れるというのが自分流である。喫茶店に行けば、必ず注文
するのはトマトジュース。最後には、氷を入れないでと注文する始末で、
自分でもこれを止めようもないのである。
「馬鹿と天才は紙一重」と同じように、「集中と偏りも紙一重」という
ことが言える。一事が万事この調子での自分流であるから、健康にいい
わけがない。そういうことで、肝臓もあかん。腎臓もあかん。などとな
ってきて、しまいには心臓もあかん。ということになってしまった。こ
こまで来るとさすがに考え直さざるを得なくなる。人からは「だら!」
といわれるのであるが、ここまで来てやっと「偏流」を捨てて、バラン
スを考えるようになった。
風呂についても同じ轍を踏んでいて、半身浴がいいと思い込んでしまう
と、どんなときでも半身浴ということになってしまう。湯船にしっかり
とつかるのが日本流なのに、「いや半身浴がいい」などと頑を張る。こ
れではいつも修行をして自分をいじめているようなものなのだ。楽しむ
ということができないことになる。だから、何事もほどほどにバランス
を持って楽しむことが肝要と50代の後半に入ってやっと思うようにな
った。偏って半生が過ぎてしまった。
占い一言居士:
命名にエピソードはつきものだ。だから、命名で家族や夫婦に一悶着あ
った方がいいのだ。そういう想い出は感情の中に深く残っているから、
命名した子供を余計にいとおしく思えることになる。そしてそれは、そ
の子のエピソードとして語り継がれることになる。それが素晴らしいの
だ。自分の子供に名前のいわれを語ってやれることほど幸せなひととき
はないはずだ。
08年3月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-衆人皆これを誉むるは必ず美士にあらず。世、或ひは誉め或ひは毀るに必ず
良士あらん。
---徳川家光(江戸幕府三代将軍)---
そういうものだ。どういうことかというと、人事には必ず評判というも
のがついてまわる。評判のいいものほど出世コースに乗りやすいという
ものであることは今も変わりはないと思う。ただ、今はデータで実績管
理をしているから、そういうところはあまりごまかしはきかないのかも
知れないが、評価が拮抗しているときは、評判が最後にものを言う。
だから、人は皆いい人でいたいと願うのかも知れない。人に嫌われるよ
り誉められた方が気分がいいのは誰しも当たり前だ。武士の時代は、主
人が家臣を試したり、大名同士でお互いを試すということもあったよう
だ。そういう戦いが行われているというのが、普通なのだ。そのつもり
で皆生活している。そういう緊張感があった。今はどうだろうか?
戦国末期から江戸初期にかけて活躍した伊達政宗は、これはへそ曲がり
で有名であった。しかも禅の筋金入りである。だから、彼はワザと人を
試すことがあった。加賀藩前田家4代藩主前田光高も伊達邸に招かれた
ときに、政宗から脇差しの鍔を誉められ、それを「手に取ってみたい」
と言われたのである。尋常の者ならば政宗のような侍に言われたのであ
るからとすぐに応じていたであろう!そうなれば、もう彼の餌食になっ
たも同然である。これで武士の常識をふみはずことになってしまうから
である。しかし、前田光高は動ぜず言下にこれを断ったという。
外様でありながら、加賀百万石が江戸期を通じて生き残ることができた
のは、こういう優れた藩主を排出してきたからであり、またそういう土
壌があったと考えるべきである。「企業は人なり」と昔から言われてき
た。そして、一時代を担った団塊の世代が今消えようとしている。彼ら
は経済で大きな飛躍を遂げる原動力になった。しかし、人を育てる原動
力にはならなかったのだろうか?毀誉褒貶ある良士を見抜けないようで
は、これからの未来は小さくなってしまう。
占い一言居士:
インターネットで「占い」とキーワードを入れてみれば、あまたのわけ
のわからない占いサイトが顔を出す。それくらい、占いが人々の心の中
に入り込んでいるのだ。誰しも自分の人生に自信と信頼を寄せていると
は思えない。皆不安はあるのだ。だからこそ少しでも先読みしたいと思
うのは人情だ。ならば遠くの未来を見るよりもすぐ先の自分を見た方が
よいではないか?本当の占いは、自己の判断を正しくするための、自分
探しなのである。
08年3月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-プロにフェアープレイはないですよ。
---江本孟紀(元プロ野球選手)---
プロにフェアープレイというのは、状況によると考えた方がいい。フェ
アープレイというのは、基本的に「正々堂々とした試合態度。また、公
明正大な態度や行動」ということになるから、精神としては「そうあっ
て欲しいもの」ということになる。どんなことにもルールというものは
ある。それが国になれば法律ということになるし、身近なところでは交
通法規がそうだ。
法律という概念で物事に対応したのは、幕末の志士・坂本龍馬が初めて
らしい。海援隊の「いろは丸」が御三家の紀州藩の船と海難事故をおこ
して沈没したとき、万国公法を持ち出して紀州藩から損害を賠償させる
ことに成功したのだ。ピストルから法律を武器にしてしまうというのは、
龍馬ならではのことである。法律が武器になるというのは、交渉と戦略
に彼が如何に優れていたかを物語っている。
戦いは勝たなければ未来はないのだから、どんなことをしても勝つこと
が求められる。勝ってこそ発言権もあり、それからの道も開かれる。負
ければ全てを失うのだ。そういう境遇におかれている人たちが、負ける
ようなことをあえてするだろうかということである。正々堂々でなくて
も、ルールに違反していなければ、それは正しいのである。といいたい
のだが心情的には、何とも腑に落ちない気分になるものだ。一番いい例
が中国だ。
中国という国は信用しては行けない国、さすが共産党国家ということが
わかる。「嘘も百編言えば真実になる」の教えの如く、農薬餃子事件で
は、自分の国では農薬が入ることはないなどとうそぶいて、日本で農薬
が混入されたなどと幹部が世界に向けて発表するくらいだから、民度の
低さが知れる。まさに叫び続けていれば真実になると思い込んでいる節
がある。あまりにも低レベルだ。
チベットの暴動事件では、全部をダライラマの性にしようとしている。
やむにやまれぬチベット人民の共産中国に対する反発が暴動の背景にあ
るはずだ。それを全部ダライラマの性にしようとするなどは、農薬餃子
と同じレベルだ。こんな国がオリンピックを開くなどというのは、スポ
ーツを利用した政治偽装だといわれてもしかたがない。
占い一言居士:
赤ちゃんは相対的な存在であるということを忘れてはならないと思う。
それならば、絶対的な存在とは?それは親であるということだ。神の如
く殺生与奪の権限を持っているからだ。だからこそ、その責任は問われ
て当たり前なのである。それすら分からないならば、もはや親にならな
い方がいいと言える。親子の相性というのも実は相対的な関係を見るも
のなのだ。それだからこそ、「子は親の鏡」ということになるのである。
08年3月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人の心というものは変わりやすい
---童門冬二(作家)---
この格言にあるように、「人の心は変わるものなのだ」と分かり切って
しまえば、それで終わりなのだが、人間というのは「ルート2」の存在
だからしかたがない。割り切れないのだ。では、どうして移ろいやすい
人の心を人は「信じる」ということをするのだろうか?誰が考えても論
理的ではない。
ところが、信じなければ生きていけないという現実があることも事実だ。
だから、その時「信じる」という生き方が出てきても不思議ではない。
そこでまた、疑問がおこる。その時は信じても、どうせ移ろいゆく人の
心は、「長く信じてもしかたがないでしょう!」ということになるのだ
が、人はできる限り長く信じたいという不思議な存在なのだ。
こういう馬鹿なことを書いていて、我ながら「だら!」と思うのだが、
これも性分であるとあきらめている。どうして信じてもいない「永遠の
愛」を誓って結婚式を挙げるのだろうか?それこそ偽善であり、偽りで
しかないと思うのだが?これも、その時は「永遠の愛を信じていた」と
いえば、それまでなのだが・・・。これを積み重ねると、だんだんむな
しくなってくる。
不思議なのだが、裏切るかも知れないという可能性があるのに、信じな
いと心がどんどん沈んでいくし、嫌な気分になっていくことが多いのだ。
反対に、裏切るかも知れないという可能性があるのに、信じていくとど
んどん心が楽しくなっていくし、何かをやる気が出てくる。結局人間は
「信じたいのだな!」ということになる。裏切られても信じたい。移ろ
いゆく心も信じたい。それを続ければどこかで「永遠」につながるかも
知れない。これも信じたいのだろう!人はそう創られていると考えるこ
とにする。
占い一言居士:
改名してみると、不思議なことがおこる。改名といっても戸籍まで変え
るわけではないから、ペンネームということなのだが、時に銀行などで
戸籍名を書くことがある。すると何だか別人がそこにいるかのような錯
覚に陥る。それは自分ではないのに、自分として書いているというわけ
だ。「字は体を表す」が改名した字はやはり自分自身を表していると思
わされるのだ。
08年3月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-これだけの縁とは、どうしても思えません。
---菊地秀行(作家)---
人の縁はいろいろとある。
「袖触れ合うも多生の縁」ということなのだろうが、ただ出会っただけ
で何かの縁が生まれるというようなことはないだろうと思う。お互いに
そこで縁を結ぶだけの理由があるはずだ。だから、その理由がなくなれ
ばその縁もそれまでになってしまう。
それまでと思えばいいのであるが、人間というのは、不思議なもので、
縁を保とうとする性向がある。だから、いつまでも何かのつながりを持
っていたいと思うものだ。それが年賀状などになって表れると考えるの
は、考え過ぎかな?
そんなものかも知れないと思えばいいのだろう。そこで割り切れない人
と、淡泊に切り捨てる人の違いが出てくる。
mixiでもそうだが、会った人に全てに手紙を書いている人がいる。それ
はそれで素晴らしいとは思うのだが、その努力は、好きだからやってい
るのだろうなと思うことにしているし、そういう人は尊敬に値するのだ。
ただ、mixiなどでやたらに友達になりましょうっていう人がいるのだが、
よくみると何かの商売の勧誘のようでであったりなどと、全くわけのわ
からない友達が横行している。
人の出会いも結局は「必要とし必要とされる関係」ということになる。
夫婦や大切な人などは、そこに別の感情が入ることになる。それが、
「愛」という表現で表される命を結ぼうとする強い衝動なのだろう!日
本ではそれ以外に人を動かす出会いの関係は「義理」「恩」という関係
になる。これも、「give and take」で割り切れない行動の原理だ。も
う一つ忘れてはならないことがあった。それは、同じ水準でやりとりで
きるということだろう!結局は出会いによって「人の振り見て我が振り
直せ」ということになる。
占い一言居士:
命名には、親の願いを反映させたいというのは当然だろう!でも、そこ
に自分の「我」がはいっていないだろうか?まあ、「我」が入るなとい
う方が無理かも知れない。それほどわが子というのは可愛くて期待して
しまうものなのだ。だからこそ、その期待を持続させる努力が親には問
われることになる。そういうときに命名の持つ意味が大きくなる。
08年3月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-子供の教育は、過去の価値の伝達にはなく、未来の新しい価値の創造にある。
---ジョン・デューイ(アメリカの教育学者)---
今日はひな祭り、ひな祭りの意味とか価値は今更述べてもしかたがない
が、そのいわれは、古代中国で行われていた上巳の節句(旧暦の三月の
上旬の巳の日)がはじまりといわれています。これは、この日に河で禊
ぎを行いけがれお年をしたのがはじまりというわけです。その名残りが
「流し雛」となって日本では残っています。
だからひな祭りは済んだら、早く片付けてしまうというのは、そういう
禊ぎの意味が込められていたからでしょう!それに、桃の木は古来より
霊木といわれ邪気を払うことができるといわれています。食べ物では、
五目寿司と白酒に蛤のお吸い物と相場は決まっています。これなども、
白酒は室町時代から桃花酒と呼ばれて三月三日に飲む風習があったこと
によります。蛤のお吸い物というのもなかなか意味のあることなのです。
貝合わせといって、蛤の貝に描かれている絵をあわせる遊びがあるので
すが、蛤というのは、対になっていて他の会では絶対に合わないのです。
相対文化という日本の持っている伝統的な価値は、様々な形で伝統行事
として残され受け継がれてきました。こういう長い歴史を秘めた価値が
そこに受け継がれているのです。それをしっかりと相続してこそ、新し
い価値や技術の創造が行われるのです。何も突然に無から有が生じるの
ではなく、そこには必ず生活や思考に根ざした価値の創造があるのです。
そこから、新しいものが生まれるのです。
アメリカが伝統ある国にあこがれるという気持ちはわかるような気がし
ます。モザイクのように寄せ集められたものがひとつになるのも素晴ら
しいのですが、それ以上に一貫して流れる血液のようなものが欲しいの
ではないかと思います。
それが伝統ということでもあります。これを土台にして未来を築くこと
こそ、本当の未来人ということになると思います。文化はその国の人格
だからです。
占い一言居士:
今年の一年を占うというように、春は出発を表します。その春は希望を
意味しています。その春に今年を占ってみるというのは、重要な意味が
あるのです。出発ができるというのは、ある意味で過去を拭い去る(禊
ぎ)ということでもあります。1年という四季の旅路に過去を捨て去り、
希望の未来への思いをはせることは、自由人に与えられた特権です。
08年3月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人にものを施せば我が身の助けとなる。
---日蓮(日蓮宗の開祖)---
宇宙の簡単な道理を説いたものであるということです。これとに似たよ
うなことは「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」という
ものがあります。
いろいろと人のために何かをしておけば、それらは時を経ていずれ自分
の所へ返ってくるというものです。もちろん、それを計算して何かをす
るというほど計算できるようなことにはならないと思うのですが、それ
でも、人にはそういう打算というのが心のどこか片隅にはあるのです。
「目先の宝に目がくらみ」というのは、結局は、先のことを考えられな
いために、将来の大きな宝を見失って目の前の小さな宝で終わってしま
うということになるのです。だから、大きな人間とそうでない人間の違
いはその辺の所にあります。目先にとらわれる人間は、最終的には損を
し、目先にとらわれない人はどこかで「天の恵み」を受けていることに
なります。
日蓮を始めとして、多くの聖賢達が同じようなことをいっています。イ
エスもマタイ10章42節で「わたしの弟子であるという名のゆえに、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言
っておくが、決してその報いからもれることはない」といっています。
基本的に洋の東西を問わず、宇宙の道理は同じなのだと思います。だか
ら、「陰徳善行」という言葉があったり、「天に宝を積む」という考え
があったりするのです。
これは良い意味で報いがあることを意味しているのですが、その裏バー
ジョンが、因縁ということになります。元々因縁は宇宙の道理を表す因
果の法則を示しているのですがいつの間にやら、悪い意味で使われるこ
とが多いようです。
実際に因果を表すような出来事が身内の中に起こることがあったりする
と、やっぱり「因縁だ」というようなことになるのです。
ここで考えなければならないことは、どんなことでも善悪はどこから始
まるかということです。人の心の動機から始まるのです。見返りを求め
た仕掛けをした善行の場合は、これは宇宙の道理から外れます。「人に
ものを施して我が身の助け」というのは、そこには自分がコントロール
できない相手の善意の主体的な意志が働いているからです。それがどこ
から来たのか?
それを考えてみれば、宇宙の大きな力を感じざるを得ないでしょう!
占い一言居士:
相性は単に相手との関係をみるというものではない。相性占いで、よく
相談に来る方は、「相手は私のことどう考えているのですか?今相手は
何をしているのですか?」占いは霊媒師ではないのです。人の心をコン
トロールしようと考えている人の方が間違いなのです。相性は人との関
係の中で、自分の身のほどこしを考えるためのものなのです。
天使の占い(陽陰姓名術協会)について
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