赤ちゃんの命名 改名相談 画数 姓名判断 相性

  • お電話でのお問い合わせ
  • 076-286-5226

格言日記55

日記風の格言

個人の運勢・運命・相性占い申込
個人相性申込
赤ちゃんの名前・姓名判断申込
命名鑑定申込
運勢・運命を変える改名・ペンネーム申込
改名鑑定申込

08年8月31日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-死と病気への興味は、生への興味の一形態に他ならない。
---トーマス・マン(ドイツの作家)---

今年に入って年相応になってきたのか、お葬式と結婚式に参加する機会
があった。お葬式では諸行の無常を感じ、結婚式では司会を仰せつかっ
て、めでたさよりも冷や汗の連続であったことを覚えている。これに赤
ちゃんの誕生の話が続けば、人の一生を駆け足で体験するようなもので
ある。人の一生の節目は存外少ないのだなと考えさせられた。

仏教では「生きるというのは死への旅路である」といわれる。そういえ
ば過去の記憶をたどってみれば、10代というのは、自分は何をすれば
いいのだろうかと悩み、20代では不可能はないと自分のエネルギーに
満足し、30代では、その内にもっとビックになってやると野心を抱き、
40代では能力の限界を感じつつ、50代では肉体の限界に医者通いを
し、60代は?などと考えてくると何となく切なくなってしまう。

「青春というのは年齢ではない」という定義を熟年の方からよく聞く。
そうだと相づちを打てる年齢になったのも何となくもの悲しい。「時」
というものがある。その時にしかできないことというのはあるのだ。い
つがその時なのかは、過ぎ去ってみると「そうであったか」などと納得
することがある。そんなものかも知れないが、その時が青春でもあるの
だ。あのときやっておけばというのは、後悔以外のなにものでもない。
青春というのは無謀を許してくれる唯一の時なのだ。

結婚式の司会では、ハプニングの連続である。台本通りにはいかないと
いうのはその通りだろうと思う。予期せぬ飛び入りというのもある。ひ
とつひとつ慌てず、丁寧に相手を尊重しながらというのは、年になった
からできることなのかも知れないのだ。それにしても、声の通ることに
はプロですかと誉められた。「とんでもない!友人の応援です」とかわ
したのであるが、これも青春時代の成果であったのかも知れない。学生
時代のひととき、演説の訓練のために毎日河原で「あえいうえおあお」
と馬鹿みたいに発声練習をしていたからだ。青春は今でも自分の中に生
きていた。

占い一言居士:
占うことと「侍る」というのは、どこか似ている。主人のパシリになる
のは誰でもできる。それでは、何時か役に立たなくなればポイ捨てだ。
「侍」は主人の意図を知っていなければならない。そういうことだ。占
いも同じであって、相手動向を見極めるということが占いなのだから!
そういう意味で、占いは相手の意図を知るという最も有効な手段だ。

08年8月13日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分が何をしたいかを見つけ出すのも能力だ。
---江坂彰(経営評論家)---

「何をしようかと考えてる暇がたったら、動け!」先輩によくそういわ
れた。これも苦手なんですね!個人差があるだろうと心では思うのだが、
口に出していえば、鉄拳制裁がまっていそうだからそれは出来ない。ま
あ学生時代というのはそんなもんで、とにかく何かを見つけたいばかり
に一生懸命取り組んだものである。

それでも、目標だけははっきりしていた。だからその軸足からぶれるこ
とはなかったが、友人達は恋や友達関係に一喜一憂していたものだ。そ
ういうのを横目で見ながら、「あほやな!」そう思って過ごしていた。
そんな暇があったら自分の目標にlむかっては知ればいいではないかと
いうことだ。今思えば、そういう悩んでいた友人達こそ、いろいろと試
行錯誤して自分の何かを見つけ出そうとしていたんだということだ。単
純な僕は、ひとつしか見えていなかった「あほ」ということが今になっ
てわかる。

北京オリンピックの開会式で中国共産党は論語を出してきた。世界の人
がどれくらい理解するかは別として、「朝聞道、夕死可矣」「朝に道を
聞かば、夕に死すとも可なり」という有名な語句だ。朝、人としての生
き方や何をすべきかなど道を知ることができれば、夕方に死んでも後悔
はしない。という意味なのだが、それほど自分の生きているミッション
を知るということは重要なことなのだということである。よく天職を見
つけたという人がいる。その人は、自分の使命が何かを生きるというこ
との中で発見できたということに他ならない。

それで天職を発見できる人はいいのだが、そんなに簡単に天職が発見で
きるとは思えない。だから、「人は皆悩んで大きくなった」ということ
になる。・・・人生のミッション・・・急に見つかるわけもない。だか
らこそ、自分のまわりに起こる現象に真剣に向き合い、あらゆる作業を
天職と思って取り組むことが、本当の自分のミッションに出会えるチャ
ンスをつくるということになる。要するに「引力」を持つことだ。そん
な人間になれ!と孔子ならいうはずだ。

占い一言居士:
相性を見るときに、結局は自分と他の関係を理解できていないのに「相
性」にこだわっている人がいる。どうしてうまくいかないのだろうと悩
みながら、相性が悪いのかも知れないと思っているのだが、自分が原因
になっているとは思ってもいないのだ。相性というのは、相手との関係
もそうだが、自分の原因を見つけるということの方が大切なのだ。その
方がずっと解決が早い。

08年8月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-多くの場合教える側の権威が学ぼうとする側の邪魔をする。
---モンテーニュ(フランスのモラリスト)---

いい先生、悪い先生というのがある。学生や生徒から見てその選択基準
に、「偉そうに!」というのがある。対して偉くはないのに偉いように
振る舞っているという意味だ。そういう先生に対しては、学ぼうという
気持ちがそがれてしまっている。反対にフレンドリーな先生には、何で
も質問できて学ぶ意欲が湧いてくるということになる。ただ優秀な生徒
は、そういうただの「偉そうな!」先生からもしっかりと必要なことは
引き出すことをする。

難しいことだが、先生は生徒や学生になめられてはいけないのだ。だか
ら、フレンドリーだが権威がある。というスタンスが必要になる。こう
いうスタイルをしっかりととれる先生はなかなかいない。だから、今は
生徒が賢くなるしかない。どんな先生でもそれに関わりなく、あるレベ
ルまではしっかりと引き出せるような対応をとるということになる。そ
れが出来なければこの競争社会を生き延びていくことが難しい。

昔鬼と呼ばれた先生がいた。その先生は学科主任をしていて、国内電波
法規を担当していた。今でも思い出すがひどい授業で、ただ法令集を読
むだけで重要なところを指摘し、赤線を引かせるだけである。そして後
は、黒板を一切使わず口頭だけの説明である。学生はノートに書くのが
必死で、授業が終わった後は、ドッと手の疲れが出るのである。この先
生実は影の人気があった。「怖いけど偉い人だ」と学生はかってに思う
ようになったのだ。だから、この先生の授業だけは背筋がピンとしてい
た。反対にフレンドリーだけど学生が内心馬鹿にしていた先生もいた。

要するに教える側と教えられる側というのは、同じではいけないのだ。
当たり前のようだが、これが難しいとは最近思うようになった。ちょっ
と距離があって、でも学生でも伸ばせば手が届きそうな距離感というも
のを保つことが必要だ。そんな微妙なスタンスをとれるかどうかという
ことだ。最近はそんなことができる先生が少なくなってきてしまった。
学生の側にも問題がある。それは先生から見て教授意欲を失わせてしま
うような学生が多くなったからだ。昔のことが懐かしく思い出される。
アホな先生にはぬれぞうきんとチョークの粉を投げつけて、何秒で追い
出すかを競ったものだ。当然に学生側も付けは覚悟しての行動だ。

占い一言居士:
「改名しようかな?」と思う人のほとんどが、自分の人生でいいことが
ないのは名前が悪いのではないか?と考えてのことだと思う。それは半
分あたっているけど、半分はあたっていない。というのも、姓名の持つ
運命式は、それを運用する人の活用の仕方にも依るからである。どちら
にしても、自分造りをもう一度したいと思う人であるならば、改名ほど
効果のあるものはない。

08年8月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-優れた記憶は判断力の弱さと結びつく。
---モンテーニュ(フランスの作家)---

人生は判断の連続である。小さな判断の積み重ねが、偉大なる結果を招
くことだってあるのだ。自分がどんな判断をして日常を過ごしているか
ということを自分に問い合わせてみると、果たしてどんな答えが返って
くるのだろうか?意外にも判断がよかったのだろうかと迷っている自分
がいることを発見することになる。小さな判断といっても、決断すると
いう行為と決定するためのプロセスはたぶん同じ経過をたどることにな
るのだろうと思う。

昔からよく歌っている歌がある「知恵をめぐらせ、頭を使え、悩み抜け」
というものだが、日テレのアニメで「決断」というのがあって、そのオ
ープニングで歌われた歌である。これがどうしても頭に焼き付いている。
ない頭と血液の巡りの悪い頭を動かすには、この「決断」の歌は、いい
刺激になった。それだけ、自分の血の巡りが悪いことを証明するような
ものなのだが、事実だからしょうがない。当たり前だが決断するという
のは、その結果も自分が責任をとるという前提だから、やっぱり重いと
いわざるを得ない。

武士道というのがある。この精神は、時代の変遷を経ながらも日本人の
精神構造を構築する中核となった。その基本は「忠孝」である。「君、
君たらずとも、臣、臣たるべし」というように、武士道の基本的な姿勢
はそこに現れるようになった。儒学を上手く取り入れながら、その徳目
である「仁」を実践とした。判断には価値基準が中心となる。その価値
基準が何なのかということこそ重要なのだ。「40人の生徒がいた。1
人だけ先生のいうことに反対した。」この時先生は、この反対する1人
をどのように扱うべきか?先生の価値基準が問われる。

今この一瞬に何をすべきか?この1日に何をすべきか?この1週間に何
をすべきか?この1ヶ月間に何をすべきか?その判断は、当然目的やそ
の目的を抱くに至った動機などがわかっていなければならないし、その
動機を生むようになった価値の中心は何なのかを知る必要がある。人の
頭はそのような哲学的な思考回路を瞬間的に処理しているとことになる。
膨大なデータを記憶している脳は、そこにデータしかなければ、何も結
論を出すことができないでいることになる。それは、上手く整理された
図書館と同じである。それ自体は何にもならない。読者が何を抽出する
かだ。そこに中心的な目的観と価値という考え方の基準が必要になる。
「判断は価値の基準、人生は価値の判断」ということだ。

占い一言居士:
命名には、親の器が表れる。だから、命名するというのは親が自分で決
めているとその器の中でしかないから、その器で考える運勢は普通はだ
んだん小さくなっていってしまうことが多い。だから、昔の人は自分よ
りも器の大きい人に命名者になってもらうことで、子供達に将来の夢を
託したということがいえる。そういうことから考えると「天使の占い」
は、大きな器を準備できる最も近道かも知れない。


天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

個人の運勢・運命・相性占い申込
個人相性申込
赤ちゃんの名前・姓名判断申込
命名鑑定申込
運勢・運命を変える改名・ペンネーム申込
改名鑑定申込