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格言日記56

日記風の格言

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08年9月24日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-デートというのは次から次にドキドキする刺激に襲われるものだ。
---神崎京介(作家)---

長いこと人間をやっていると、どうもこのドキドキやワクワクという感
覚をどこかへ置いてきてしまったような気がする。ドキドキやワクワク
というのはまだ見ぬ未来を創造するところから始まる。だから、今がカ
オスであっても何ら問題はない。カオスであればあるほど刺激的でいい
ではないかということもいえる。そんな漠然とした希望に胸を膨らませ
ることができるのが青春ということになる。

今の若者に青春はあるのか?あると思うけど、ドキドキワクワクという
のは、刺激が多くなりすぎてその分感動が少なくなっているような気が
する。巷間にあふれる様々な情報、それからインターネット上に流れる
情報の洪水、それにおぼれるかのようにドキドキワクワク感は飲み込ま
れていってしまっている。視覚情報が脳の訓練を止めてしまっているか
も知れないと思ったりする。人は文字を駆使して文化を発展させてきた。
文字を発明し、その文字の中に様々な情報を読み取ることでイメージを
膨らませてきた。

好きな歌手は誰かといわれると、竹内まりやと答えることにしている。
何故かといわれても困るのだが、特に好きなのは「station」だ。一曲
の歌の中に2時間ドラマが全部再現できそうな臨場感がある。何度聞い
ても自分の頭の中にイメージシーンが自然に浮かんでくる。それもたぶ
ん主人公の心の中まで読めてしまうのだ。この一曲を聴くと推理小説を
全部読み終わったかのような錯覚に陥ってしまう。そこが面白いところ
なんだと思う。

自分の頭の中に様々なシーンが連想されて自然に出てくる。妄想という
のは、落語の「あたま山」ではないけど、みんなが持っている世界だ。
それが極端な場合は異常になるけど、全てのしがらみから自分を解放し
てくれる自由空間というのは、実は頭の中だけなのかも知れないのだ。
だから、文字を追っかけることはやめられないというわけだ。というと
文字というよりは文字から受ける刺激が多くのインスピレーションを与
えてくれるからそれが面白いのかも知れない。秋は読書というワクワク
ドキドキを与えてくれる文字情報にはぴったりの季節だ。

占い一言居士:
命名することは大きなエネルギーを必要とする。そのエネルギーが善の
エネルギーであることが必要なのだ。そのエネルギーが深いほど命名に
は大きくて深い命が宿ることになる。だから名前には想いという力があ
る。そう考えてもいいと思う。だから力のある名前は忘れることができ
ない。

08年9月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-1人の作家から盗むと盗作だが、沢山の作家から盗むと研究になる。
---ウィルソン・ミズナー(アメリカの劇作家)---

言葉は誰のものか?著作権などの問題が出るたびに「そんなこと」を考
えてしまう。果たして自分の言葉に所有権を持っていいのかということ
である。確かに言葉がお金という数字に変換できるシステムが作られて
いる。でも、それは誰かの利益を守るためだけのものである。その言葉
を発したからといって、その言葉がその人の所有というのは「変だ?」
と思う!たまたまその人が「何かの中である言葉を使ったに過ぎない」
なのに、その言葉を所有する資格はあるのか?

流行語大賞というのがある。たまたま誰か有名人が使った「フレーズ」
を多くの人がいろいろな意味で、様々なシチュエーションで使うことに
なり、マスコミもみんながそれを許している。それよりもそれを歓迎し
ている。そのことが本人の意志に反して「はやり」になり、気がついた
ら~賞をもらうということになったというものである。マスコミは政治
家の発言を勝手に使って新聞を売るという商売をしている。だから、政
治家の人はマスコミに料金の請求をすることができるはずだ。言葉が全
て個人の発した所有ならばそういうことになる。

人類は言葉を駆使して発展を遂げてきた。有史以来言葉は知恵を生み、
その言葉は人の心を動かし、その反面武力を背景に多くの言葉を抹殺し
てもしてきた。「右手にコーラン、左手に剣」というような意味の政治
状況が日本でも戦乱の時代は続いた。こういう例えも誰かが言い始めた
ことなのだが、便利な言葉で誰もが何かの例えに使うようになった。バ
イブルはキリスト教の聖典として扱われているが、そこにはイエスが語
られた言葉とパウロの言葉その他が同じように載っている。それを誰も
が「神の教え」と尊んでいる。言葉の所有権を主張するならば、これは
イエスの教えだから「聖なる教え」でこれはパウロの言葉から「普通?」
ということになり、聖典としてはイエスの言葉だけ集めればいいではな
いか?ということになる。これらのことなどもカルタゴ教会会議など人
間が会議で勝手に決めたことだ。

言葉の公有性とか共有性というのは、人間が長い歴史の中で培ってきた
価値である。だから、これに手枷足枷をするという概念はどうもなじめ
ない。どうも言葉そのものをお金にするということを覚えたからに違い
ない。元々お金は「物に対する体化物」だから所有があってもいいと思
う。しかし、言葉や心は「物」ではないはずだ。だから、これを所有物
にするというのは何か納得しない。もちろん言葉を使った作品は所有と
いう概念が生じることになる。しかし、言葉そのものは「共有と流布」
が大前提のような気がする。そして真実の言葉はみんなの「無形価値」
になるはずだ。現代はその「無形価値」がわからなくなっている。そう
いう意味では「危機」である。

占い一言居士:
本来占いと霊感は別であるのだが、これをごちゃ混ぜにする人も多い。
何故かといえば、占いも霊感も個人の未来や、生き方を言及するものだ
からである。しかし、霊感というのは鬼神に頼ることであり、占いはそ
の人固有の経験と理論的な根拠を有するものだからである。ただいえる
ことは鬼神に頼るのは、よほどその霊的な背景がわかっていないとリス
クが大きいような気がする。

08年9月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-縁の下の力持ちを軽視しない。
---ロバート・クリトンドン(アメリカ・ビジネスマネージャー)---

「全てのものは始まりと終わりがある」実はこういう考えができるとい
うことはすごいことなのである。当たり前のようであるが、当たり前で
はないということだ。昔から日本は輪廻という発想がある。この発想も
すごいのであるが、ここでは始まりと終わりという概念が育たない。こ
れは原因と結果という概念もはっきりとしなくなる。もちろん因果とい
う考えはある。しかしこれも輪廻の中での因果である。

縁というのは、日本人の生活の中にしっかりと根を下ろしている。この
縁が生活の全ての中に生きずいているといってもいい。しかし、そこま
でなのだ。縁が集まって大きな因となることまで気がつかない。だから
どういう縁を作るべきかという発想がないのだ。その時限りの出会いを
縁として感じることはいいのだが、縁を合成するという大きな発想が育
たないことが日本人を小さくしてしまっている原因なのかも知れない。

組織というものは、作り始めというところが一番面白い。何故かという
と変化が激しいからだ。だから刺激的である。明日何が起こるかわから
ない不安と同時に希望も大きい。だから人事というのを待ちこがれる。
戦国時代というのはすぐに結果が出てくるからいいのだ。努力の結果が
評価されるしかもそれが見えてくる。その面白さは、創造の面白さと同
じである。それが、組織が安定してくると身分や個人の一が安定化して
くる。すると変化がない。その分希望も小さく、遠くなってくる。だか
ら常に創業であるということが大切だ。そしてその戦いには夫婦や家族、
一族が参加したということだ。

人のつながりに「縁」を持ってくるというのが日本人の定番だ。「これ
も縁ですね!」といえば論理を越えて納得してしまうという変な性質を
持つ。ここが問題だ。誰も終わりというゴールを想定していない生き方
をしている。それが変なんだ。戦国時代は面白い人物がでる。織田信長
は伝統的な日本人ではない。最初からゴールを想定していた人物だ。だ
からこそ始まりを改革できたということだ。伝統を打ち破り新しい伝統
を創始する。そのエネルギーはすごいの一言だ。この時代身分、血筋、
格式、地位などあらゆるものが「蕩」の時代であった。ゴールに向かう
「蕩」の時代は始まりのカオスだ。ひょっとすると今がそんな時代にな
りつつあるのかも知れない。

占い一言居士:
相性を考えると、これほど千差万別のことはない。十人十色というが一
度として同じという相性はないのである。しかも、時間と共に変化する。
その変化もダイナミックなところから些細なことまで、相性というのは
変化を愉しむものでもある。それを、その時だけ相性が合わないなどと
考えるのは、相手を研究していない証拠だ。もちろん、本当に合わない
人もいるのだが、その前に人をよく見ることをしなりゃね!

08年9月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-信頼は鏡のガラスのようなものである。ひびが入ったら、元通り一つにはならない。
---アミエル(スイスの文学者)---

隠すというのはなかなか難しいものである。それは、隠し通せればいい
のだが何時かそういう隠し事というのは露見するものである。一度それ
が露見してしまうと、隠してきたことそのこと自体が「罪」のようにな
ってしまうから面白い。だから、隠さない方が長い目で見たら得だよと
いうことになる。その隠すという行為はどこから来たのか?この辺は人
間の深層心理と関わりがありそうだから探ってみるのもいいかもしれな
い。

動物でも餌を隠すという習性を持っているものがいる。それは冬に備え
ての貯蔵という意味もある。餌そのものを得ること自体が競争の原理が
働いているのだから、その餌を貯蔵することはそのまま敵から守り、そ
の餌をわからないようにするという意味がある。人間も同じで安全なと
ころに大切なものは隠したいというのは、動物と同じ心理状況だ。それ
は生存のための行為であるのと自己の保身でもある。人に知らせないこ
とが、または人がわからないようにすることがそのままサバイバルとい
うことにつながるのである。

戦国時代、「小寺官兵衛」後の黒田官兵衛であるが、面白いことをやっ
てのけている。それは、信長軍がその勢力をひろげていずれ中国四国ま
でその力を示そうとしてきているときに、いずれこの播磨の国までやっ
て来ることを思案していた小寺家の家老小寺官兵衛はこの当時としては
信じられないことをやってのけた。自分の城ごと全部を信長の方面軍司
令官である秀吉に明け渡してしまったのである。もちろん大将の器を読
んでのことだろうが、小寺官兵衛は秀吉に「オープン」という戦を仕掛
けたのである。これが軍師黒田官兵衛の出発点になった。

共有とオープンというテーマがある。インターネットの世界ではオープ
ンということが共通のコンセサンスである。そういう伝統をつくってき
た開拓者達の先見性は素晴らしい。動物でも共有ということはあるのだ
が、人間はそれにオープンという考えを持ち込んだ。これは人間だけが
できることだ。全てをあからさまにするということは、とても勇気のい
ることだ。この根底にはしっかりとした「性善説」がある。人間のどこ
までも善であることを信じるのだ。これがすごいことなのだ。信じるた
めにオープンにする。これはキリスト教の伝統が2000年間続いた西
洋だからできることだと思う。信頼とは壊れない信仰が基礎でこそ培わ
れるものだ。

占い一言居士:
改名という考えは実は生と死の二つの狭間の中にある。それは、宗教に
深く根ざしている。仏教では戒名がそれである。戒名は実は死んでつけ
るものではなくて、お坊さんになったときにもらう新しい名前である。
これは新しく仏の元で生まれ変わったことを意味している。同じことが
西洋でもある。キリスト教のホーリーネームである。これも洗礼を受け
てもらう名前である。ココには生から死への復活の意味が込められてい
る。改名も生から死への復活ということと同じなのだ。

08年9月14日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-40過ぎの男はみな悪者
---バーナード・ショー(イギリスの劇作家)---

基本的に人間はどこかで嘘をついている。生涯一度も嘘をついたことは
ありません。という人はいないと思う。嘘というのは、何が嘘なのとい
うことになるが、誤魔化しも言い訳もつじつま合わせも大きな意味でみ
んな嘘であるといっていい。だから、どこかで人は自分に嘘をつきなが
ら生きてきている。そうでなければ生きていくことができない。それが
規格化された社会で生きるということになる。

だいたい善か悪かということさえ、自分の基準で決めているわけであり、
それの参考になるのが法律であるということだ。法律があって、自分の
善悪のレベルを考えているのではなく、自分の善悪観があってそれが法
律的に合うか合わないかということである。大概の人は、常識や良識と
いう範疇で自分の善悪レベルと法律の善悪レベルが一致している。しか
し、中にはそういう公序良俗に関係のない輩もいるのである。

ヤクザというのは、三枚で遊ぶカルタ賭博に由来して、手札の合計が
「10または20」になると、無得点になる。「893」の組み合わせ
が20の無得点になり、意味のないことになってそれが転じて、役に立
たないものなどまともでないものを「ヤクザ」と呼ぶようになった。い
わゆる社会の規格外ということになるのだが、そこには親分子分という
もう一つの社会秩序がある。この規格外の社会は、現代の正統な社会に
挑戦をしているといえる。それに、悪ということでは、現代社会こそそ
の内部で巨悪は存在するのである。だから、正統を装った悪を見つめる
とこの社会に抵抗したくなる。そこに規格外のちょい悪の社会が受け入
れられる土壌がある。

格好いいというのは、何かというと人ができないことをする人であり、
そういう人は英雄ということになる。だから、通常の社会の中で常識に
生きていながら、何かの事件に巻き込まれて孤軍奮闘して問題を解決す
る。そして、何事もなかったかのようにまたもとの生活に戻る。そして、
そんな出来事を物語のように語れる人ということになる。だから、40
を過ぎるくらいになるといろいろな人生経験の中で、一度は自分が中心
になった英雄伝説はあるものだ。というよりもつくることくらいはでき
る。それが花である。規格から外れて再び規格へ戻る。そこには超悪が
あって主人公がある。それをそろそろ語ることができる年齢になったな
ということである。

占い一言居士:
命名で一番やっていけないことは、親の思い込みで名前をつけてはいけ
ないということである。確かに親の願いは子に託することができる。そ
れが親であるということなのであるが、子にはその人生の所有権あるは
ずだ。そこで、願いを託する名前にしてもできる限り運命式のバランス
をよく考えなければ、名前をせおって苦しむのは子供である。

08年9月13日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-誰も天気についておしゃべりするのだが、誰も天気をどうしようもない。
---マークトゥェーン(アメリカの作家)---

人間というのは不思議だなと時々思う。特に幕末から明治の時代、それ
から1970年代の安保闘争が一応の収束をみるまでの期間というのは、
不思議な時代だと思うのだ。それは、まあ男は昔からそうなのだが、政
治談義が好きである。その政治談義というのは結局酒の肴程度の代物な
のだが、それが酒の肴ではすまなくなった時代であった。志ある人が何
らかの形で政治に行動的に参加した時代でもある。

選挙というと一票の重みを云々するのだが、政治参加というものが一票
というよりはもっとダイレクトに参加しようとする気概があった時代だ。
あれから40年近くたって、政治参加は一票と酒の肴の話というくらい
になってしまった。男が熱く燃える時代が何か遠くなっていくようで、
何か物足りない。その反面相対的ではあるが女性の表の世界への進出は
めざましいものがある。

英雄はどこへ現れてくるのか?時代が英雄を生むということはあるのだ
が、今はそういう英雄が現れない時代なのかも知れない。実はそれほど
平和であるのかも知れない。映画というのはそういう人の心を反映する
ところがある。だから冒険ものや英雄的なもの、語り継がれるものなど
人の心の風景の部分を切り取ったように創られる。もちろん生身の人間
はそんなに単純ではないと思うのだが、それでも面白い。興行的には人
の心をとらえることが成功につながりそうだ。個人的にはコンスタンテ
ィンが好きである。

人間というのは、摩訶不思議な世界とか、実現不可能な世界とか、とん
でもないくらいでかい話とか、つかみ所のない話とか、そんな話には乗
りやすいものだ。そこには夢があるというよりは、愉しみがあるからだ。
現実的でない部分だけ責任がないから自由にものをいえる。発想も誰も
咎めない。そういうときというのは、人の心は解放されるのだ。だから
自然現象や天気の話、災害の話、宇宙の話、歴史の話などは実際に自分
が関与できない話だからいい。おとぎ話というのは、小さい頃よく聞か
されたと思う。それは、自分が参加できないけれどできれば素晴らしい
かもねという期待が楽しみになっている。この日記も天気と同じ酒の肴
のひとつかも知れない。

占い一言居士:
占いというのは、どんなときに必要かというと自分の手の届かないとこ
ろに何かあるのだけれど、それがわからない。それをどうしてか知りた
いというところから、それらを自然現象の世界から、様々な世界を条件
的に当てはめながら推測しているようなものなのである。逆にいえば占
いも実は科学的な現象から何かを推理して予測しようという学問である
ということもいえる。だから天文地理から数学心理学まで駆使して次の
予測を試みるということになる。占うというのは過去データと現実と未
来へのアプローチである。

08年9月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-何もないということは、何でもできるということだ。
---谷村新司(ミュージシャン)---

守るべきものがないということは、何と素晴らしいことかと青春時代が
懐かしくもある。その反面、守るべきものができるということも捨てが
たい喜びがあることも事実だ。あのころは良かったと過去を思い出すの
は、突然昔の親友と邂逅したようなものである。悪い想い出も良い思い
でも含めて時間というのはあらゆる出来事を熟成してくれるらしい。ひ
とつのアングラ劇場のような世界である。

何が素晴らしかったかというと、今よりももっと自由があったらしいと
思えることだ。らしいというのは、実際は金がなかったり、力がなかっ
たり、能力がなかったりで何もできてはいないのだけれども、それでも
可能性や創造性などといった見えないけれど自由がいっぱいあったよう
な気がするのである。海援隊やかぐや姫の歌が懐かしく思える世代だ。
あのころは情景を思い浮かべることができた。今も歌にイメージ性を求
めるというのは変わっていない。

実は任侠映画も好きだった。どうしてかというとあの捨て身の一か八か
の生き方というのは、何ともいえない格好良さがあった。どうしてかと
考えてみると、結局任侠道というのは、この世を捨てた人たちの物語だ
から、義理と人情は仲間内にあって、気質の世界とは一線を画しながら
の生き方だ。身内と外という枠がしっかりとあって、外の世界は捨てた
のだから外の世界に対しては何をしてもいいという論理がどこかにある。
そんなエネルギーの発散のしかたや、どこか無頼漢的な生き方には共感
をしたものである。

一番いいのは、守るべきものがあっても捨て身で生きることができれば
いいということになるのだが、それは守られる人にとってみれば不幸な
話である。そんな生き方も人情としてできないから、結局は自分のおか
れたカテゴリーから抜けられないで、首をかしげながら生きることにな
る。そんな自分に挑戦するという生き方を多くの人がしているような気
がする。だから、サラリーマンは皆戦友ということになる。これからの
「いい生き方」というのは、守るものを少なくしていくことだ。一番は
自分の矜持を先ず捨ててみよう!そうすれば相当身軽になるはずだ。

占い一言居士:
人間の性格には根性というのがある。普通の性格という考えよりもっと
深いところがあって、性格の根っこのようなところだ。相性にもいろい
ろとあるが、この性格や根性みたいなところといい関係がつくられるか
どうかということだ。一見いい関係のように見えて相手が「根に持つ」
ということでは、相性が本当にいいとはいえないのだ。

08年9月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-狂気と正常の境は多数決によってしか引くことができない。
---三浦しをん(作家)---

何が正しくて何が真理かということは、何が間違っていて何がおかしい
かということの反対をすればいいということになる。その方が真理を探
すよりは楽だからである。ことさらに声を大にして真理、真理と叫ぶ方
が狂気に聞こえる。というのは、誰しも真理を確信したことがないから
だ。また、真理があるなどとも思えない生活をしているからということ
に他ならない。

真理といえばわかりにくいので”道”といえば、いいだろう!道を求め
るというのは、これも求道者ということになり、とてもストイックな感
じを受けるが、まだ真理よりも現実的な気がする。人によって考え方も
価値観も異なるのに、どこに道を見いだすのか?ということになると孔
子が放浪の旅をしながら道を説いても聴く者がなかったように、耳の痛
い話や自己に都合の悪い話は受け入れないのが人間である。だから、そ
ういう人には真理はない。孔子は数%の確立を求めて旅をしたことにな
る。

聖書のマタイ伝12章33節と34節に次のように書かれている。「木
が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。
木はその実でわかるからである。 まむしの子らよ。あなたがたは悪い
者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、
心からあふれることを、口が語るものである。」仏典の中にも「身・口
・意」の三業といって、この中で最も重要なのは「意:心」であると説
いている。即ち全ての行為の基本はその人の心の発露であるということ
をわかりにくい宗教用語で語っているのである。これをみると、人の心
中に真理や道を求めるのは、至難の業といっていい。

ここまで来ると人間はほとんどが狂気の中で生活していることになる。
その中でいったい誰が真理を求めるのか?そのわずかな灯火を歴史的に
宗教が担ってきたがもはやその灯火も消え去ろうとしている。現代の戦
争のほとんどが宗教に根を張っていることを思えば、もはや宗教にも真
理はない。人々が正しいといっていることはその集団の中でしか通用し
ないでいる。全てが比較の上に成り立つ正義でしかない。不思議なのは、
そんな中でも人の心というのは唯一普遍であるものを探そうとする方向
性を求めているということだ。つまり「郷の中にあって郷に従いながら
も、絶対の安心立命」を求めているということだ。そこに人の真理と救
いがある。

占い一言居士:
改名することは、自分を新しくするということである。これは前から言
ってきていることなのであるが、それではなぜ改名と自分が一致するよ
うになるかということが問題である。それは、人間が自己創造の結果物
であるということなのである。様々な心的な環境によって自己が創られ
てきているので、改名という心的な環境を変えるということが、新たな
自己を生むことにつながるのである。

08年9月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-面と向かって人を褒めたがる奴は、また陰にまわると悪口をいいたがる。
---荘子(中国戦国時代の思想家)---

格言ー面と向かって人を褒めたがる奴は、また陰にまわると悪口をいい
たがる。
---荘子(中国戦国時代の思想家)---

世の中には悪代官が多い。水戸黄門のドラマではないが、だいたいが上
司にはいい顔をして、いい報告(もちろん自分に都合の良い)をして、
いわゆるゴマすりである。その一方では部下には鬼のような形相で過酷
な命令を下し人情のかけらもない。自分のためには権力を私権力として
悪用し、私財を増やすことに余念がない。

組織というものは体制が固まってくると、だんだん利権化してくる。そ
れを狙って既得権益を拡大化しようとする連中から、新たに潜り込もう
とする連中から、様々な暗躍がなされるようになる。そういう収賄劇が繰り
返されるようになるというわけだ。だから水戸黄門がワンパターンでも
息の長いドラマとして支持を受けるのは、現代の官僚社会の反映をして
いるからである。みんなそれぞれの組織の中でそんな実態をかいま見て
いるからか、本人が当事者であったりするからだ。

封建社会では、役人の管理制度は徹底しており、今のように自由経済制
度ではないから、お代官様はそんなに好き勝手なことを行うことができ
たということではないようである。実際は、評判の悪い代官や過酷な年
貢の取り立てなどを行えば、罷免されるケースが多かったという。それ
は、そういうことをすれば、百姓が逃散し返って減収につながるからで
ある。こういう利権がらみの問題では、かえって商人と役人との結びつ
きの方に問題が多かったのではないかと思う。現代でも農業従事者は官
僚機構に振り回されていることが多く、贈収賄劇は役人と商人の間に行
われるのがほとんどだ。

人の心の構造というものは、いつでも二面性を持っている。そのことを
知らないととんでもないことになる。だから、あんなにいい人がと思わ
れている人が事件をおこすということになる。贈収賄劇も二面性がある。
ちゃんと自己を納得させるだけの理由(自分流の大義)がある。そして
本音としての欲心を隠している。だから光の部分を見れば、陰の部分も
考慮してみなければ正しく判断はできないということになる。だからと
いって光が評価されないということではない。人間性の面から見れば、
光と陰は方向性の問題である。悪代官になる人は、その方向性が自分だ
けのためという利己心に向いているということだ。やっぱり人は動機か
ら判断しないと悪代官かどうかという方向性は見分けられないというこ
とになる。

占い一言居士:
命名というのは、人間だけが行える特権である。だから、その命名には
様々な意味と人間が織りなす心模様が反映される。名前に隠されたエピ
ソードというのは、その人物の人生という業績がでたときに、やっぱり
あの人の名前にはこんな秘密があったんだって!ということになる。そ
れは名前に隠された運勢を引き出す当人の努力があった結果なのである。

08年9月5日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-「私は正直者です」と自分でいうものに、決して正直者はいない。
---オー・ヘンリー(アメリカの作家)---

いくら表現の自由だからといって、そのままストレートに「自分は~だ」
といって信じてくれるというのは、たぶんないだろうと思う。日本の伝
統文化の塊のような京都の方は、「言葉に隠された言外の意」をくみ取
ることが文化のようになっているのだが、そういうところからすると、
奥ゆかしさがないと一蹴されそうである。ストレートな表現というのは、
結局は田舎もの扱いになってしまうというわけだ。

「自分は頭がよい」などという奴は、聞いている人からすると何て頭の
悪い人なんだろうと思っているに違いない。誰しも「自分で正直者」と
いう言葉を聞いて嘘だと思うのは、自分も正直ではないし、生きていく
上で嘘が多いのも本当だからだ。だから、真実を言い当てていないこと
には拒否反応を示すのである。そういうものだ。特に日本のように単一
民族は、言葉を必要としない「察する文化」があるから尚更なのである。

同じ東洋の文化圏にある国でも、実は隣の韓国や中国では、「察する文
化」ではないのである。中国は多国籍文化であるから、自分の意志をし
っかりと表現しなければ、正しいことを伝えられないという事情がある。
また、韓国は李氏朝鮮500年間儒教の国になっているから、言葉の論
争で負ければ、地位や財産までも一挙に失いかねないという政治風土の
中にあった。だからそういう伝統では言葉の文化とならざるを得ないの
ある。そう風に考えると、日本という国は不思議な国だなと思わざるを
得ない。

今回のオリンピックでは、水泳の北島選手が有言実行を貫いた。これは
日本文化の中では特異なことである。どちらかというと不言実行という
のが日本人的だからだ。そういう意味では、日本も大陸的になってきた
といえる。ただ思うことは、このままグローバルな世界観で大陸的にな
っていいのかという考えがある。世界が表現する文化でいっぱいである
なら、「奥ゆかしさ」を持つ相対文化圏というのは、とても大切の個性
であると思う。これをどうやって国際社会の中で活かすかということは、
「私は正直者である」と表現する以上に難しいことといえる。

占い一言居士:
占いの世界では、運命を扱う人が多いのは当然だが、実は運命を占いを
する人が決めてしまっているかのような錯覚を与えている。占いという
のは地球儀の表と裏のような世界がある。地球儀は見る方向によっては、
特定の地域しか見えない。反対側はブラックゾーンだ。占いというのは、
誰でも見えてる表側だけではなくて、その裏側の世界は「こうなってい
るよ!」ということを見せてあげているのだ。だから、二つ合わせて地
球は丸くなるということだ。

08年9月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-優れたところがありながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人いる。
---ラ・ロシュフーコー(フランスのモラリスト)---

人気というものは不思議なものだ。できる奴が人気があるということで
はないからだ。ちょっとできれば、「ちょっとくらいで鼻にかけやがっ
て!」と妬まれる。ダントツであれば「すごい人!」と尊敬される。で
も世の中この「ちょっとくらいできる」人の方が多い。ダントツになれ
ないから、せめてこのくらい自慢してもいいじゃない?と思う人が鼻つ
まみにされる。

反対にできない人は、できない人で苦労が多い。みんなにのけ者にされ
るか、それともみんなの「癒し効果!」にされるかのどちらかだ。全く
世の中というのは住みにくいといえばそれまでだが、どうせなら、好か
れる方がいいに決まっている。どうしたら好かれるかということなのだ
が、これは一言で答えが出てこない。「わかっていれば苦労はしない!」
といわれてしまいそうだ。

まあちょっと考えれば、好かれる人というのも世の中に必要とされてい
るかどうかということになる。寅さんがいい例である。何であんなに人
気があるのかというと、それだけ世の中がギスギスしてきて、ちょっと
前の人間のノスタルジックをかき立てるような、人のいいところを凝縮
したような人だからである。だから人の役に立つということを考えると
誰ひとりとして必要でない人はいなくなるということになる。そこまで
「性善説」で考えるとお人好しになってしまうが、所詮は善も悪も相対
バランスということだ。

できない人よりもできる人がいいに決まっている。でも、できても好か
れない人になるよりはできなくても好かれる人であった方がいい。とい
うことになる。人は誰も好かれたいというのが一番なのだ。小学校時代
は面白くて、好きな先生だと一生懸命勉強し、先生が嫌いになるとその
強化も嫌いになって勉強しなくなる。だから、先ずは好きになってみる
という経験を積むことだ。そうすれば、「好かれるためにはどうしたら
いい?」という答えになる。恋でいえば失恋は、愛されるための肥やし
ということになる。

占い一言居士:
「人を呪わば呪われる」ということがある。同じことが相性にもある。
どこかでその人間との「結ぶ」何かを持っているから、心が揺さぶられ
るのだ。問題は自分の心の中にある。相手との結ぶ何かを自分の中で解
決してしまえば、それで相性は消滅してしまうことになる。反対に増幅
させればそれは太い絆になる。その「結ぶ」何かを発見するために「天
使の占い」は一生懸命なのだ。

08年9月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-誰でも長生きしたいと願うが、年をとりたいと願う人はいない。
---スウィフト(イギリスの作家)---

人間というものは自分勝手なものだと思う。基本的に自己満足を追求し
ているのが人間なのかも知れないが、それがこの言葉にもよく現れてい
る。「長生きしたい。でも年をとるのは嫌だ」これと同じことが多い。
「金は欲しい。でも働くのは嫌だ」「頭がよくなりたい。でも勉強はし
たくない」「遠くに車で出かけたい。でも運転するのは嫌だ」

できれば、元気で体がしっかりと動いて、若い人のお世話にならないで
自分がひとりで何でもできて、そういう状況でそのまま生き続けたい。
永遠の命を望むというのは、人間の欲望の一番ではないかと思う。だか
ら、秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、徐福に蓬莱の国へ行き仙人を
連れてくるように命じたのである。いつまでも同じ状態を保ちたいとす
るのは、それも最もよい時を維持し続けたいというのは、偽らざる人間
の本性なのかも知れない。

何時か人間は「死」を迎える。誰もがわかっている真理だ。それでも、
それを認めたくないという人がいるものだ。この世の栄華を極めた人が
そう思うのかも知れない。古事記の世界でイザナミが自分の生んだ炎の
子供のためにやけどが元で黄泉の国へ行ってしまった。夫のイザナギは
イザナミを慕って黄泉の国を尋ねるが、そのおぞましさに逃げ帰ること
になる。イザナギは死という現実を思い知らされることになる。そして、
人が立ち入ることのできない境界線がそこにあることも知ったのである。

人は何故永遠の命を願うのだろうか?人の体が有限だと知っていても、
何故永遠に生き続けることを願うのだろうか?永遠の命を願っているの
は、実は魂の方が願っているということだ。ということは、人の魂は永
遠性を本来持っていたのではないかとも思える。イザナギは人の魂が永
遠であることをも教えてくれている気がする。だから、年をとらないで
長生きしたいというのは、魂の元気な姿を願っているということだろう。
イザナミのように汚れることなく、元気な魂で黄泉の国でも生きたい。
そのような生きてる人間の願いがあるなら、もう少し魂を磨く生き方を
すべきではないか!聖書には警告の言葉がある……生きているとは名ば
かりで、あなた方は実は死んでいる……

占い一言居士:
改名はそれを願う人の動機の強さが問題だ。何故かというと、新しい自
分を出発するのに、古い自分にとらわれていては、最新の自己創造はで
きなからだ。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきである。というの
が、正しい改名の仕方になる。新しい革袋は、改名の名前であり、新し
い葡萄酒は生まれ変わった自分なのである。

08年9月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-他人の短所が目につきすぎる人物は経営者には不適だ。
---ドラッカー(アメリカの経営学者)---

リーダーというのは、なかなか難しい立場だ。どういう資格でリーダー
になるかということだ。日本人は昔から平等という意識が高い民族だか
ら、誰かがリーダーになると足の引っ張り合いということになる。それ
ほど、リーダーというのは日本では難しい立場になる。だからリーダー
像というのは、なかなか育たないということになる。

その国によってリーダー像というのは異なるはずだ。どうも日本人は明
治維新以来の文明開化で欧米からもらってきたリーダー像というのが、
形だけ焼き付いているらしい。元々日本のリーダーというのは、みんな
のまとめ役、調整役というのがリーダー像だ。だから、ひとり抜きんで
て何かをやっていくというのはなかなか理解されない。緊急や非常時な
らいいのだが、平時ではどうも率先垂範型のリーダーは浮き上がってし
まう傾向にあるということだ。

人望というわけのわからないものがある。儒教的には徳というのだそう
だが、これもわけがわからない。何が徳で、何が人望なのかということ
である。こういう言葉で煙に巻くのが得意なのも日本人だ。でもひとつ
だけはっきりとわかるものがある。日本人は血統には無条件で頭をさげ
るということだ。これはどうも、皇紀2668年の間にすり込まれてき
た結果なのかも知れない。実はこの血筋という化け物と戦ってきたのが、
戦国時代の武士というものだ。

昔の一向一揆の時代、同志の命脈を記した血判状は、誰がリーダーかわ
からないように円形状に描かれていたそうだ。これも知恵であるが、農
民や庶民を一律に裁くことはできないから、リーダーだけを罰すること
になる。だからこそ、みんながリーダーというようにしてしまったのだ。
これも平等主義の表れだ。一方では、戦国時代の下克上によって、血筋
だけの権威を否定し、力があればリーダーになれることを証明して伝統
をつくった。だから日本人のリーダー像というのは、平等主義でありな
がら、みんなの力を結集し、人々の意志を実現する方向を提示できる人
物ということになる。それに血筋がよければ、徳のある中心人物だ。

占い一言居士:
命名というのは、その時の運勢が支配をするものだ。だから、命名する
親の立場では、いろいろと名前の候補を出すのだが、それ以外に思い浮
かばないとか、この字だけにこだわるとか、後から考えると何でだろう
ということがある。実はそういう命名をした場合、往々にして親子が闘
う名前になっていたとか、弱すぎてしまうようになっていたとか、問題
が出るようになっていたのだ。そういう意味では「天使の占い」に依頼
した人はそういうくびきから解放されている。


天使の占い・遠山球希

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