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格言日記57

日記風の格言

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08年10月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自己の生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする。
---与謝野晶子(歌人)---

「自主的労働」というのはいい言葉だ。言い方を変えてみれば、「自主
的活動」ともいえる。自発的ともいえるし、自己発電的ということもい
える。どちらにしても、そこには強制力が伴っていないというところが
大事なのである。だから、自由ということだ。「働くことが生き甲斐」
というと労働を美徳としない若者には「何だ!」ということかも知れな
いが、それはたぶん「生き甲斐」を見つけられないでいることへの反発
だろう!

主体性という言葉が一番いいだろう!そこにはただやみくもに自分が何
かをするというのではなく、自分の立ち位置をしっかりと自覚していて、
同時に方向性や目的がちゃんとわかっているということなのだ。だから、
自主性というよりも「主体性」がいいのではないかと思う。命があふれ
るというのはそのように「道」がちゃんとあるということなのだ。道の
先は必ずゴールがある。そのゴールが実は次の出発点にもなる。

生き甲斐は人によって違う。当たり前だ。でも生き甲斐というのはでき
もしないことを、能力もないのに追いかけるというのが生き甲斐かとい
うとそうでもない。自分の能力と照らし合わせて「できることを見つけ
る」そのことが社会的な評価につながるという内容でなければならない
と思う。年をとって老人は健康で元気で生きているということ自体が社
会的な評価だ。百万石の加賀前田藩は、綱紀公の時に90才以上の老人
には養老扶持米を与えて、長寿ということがどんなに価値があるかを教
えた。

細胞レベルで考えてみると面白い。細胞というのは、ひとつひとつが目
的と方向性を持っていて、それぞれが強調しながら、融和しながら全体
目的に矛盾しない方向に活動している。そうでなければ60兆億個の細
胞がまとまった生命活動をできないということだ。人間も同じなはずだ。
自分が何をすべきかがわかっているということが大切だ。そういう目的
的活動の中で死んでいくというのがいい生き方なのかも知れない。「農
は国の大本」という考えがある。たぶんそれは食料の生産という人の生
命そのものを考える基本があるからだ。現代は生命の生産活動をしなく
なったから八百万の命が叫び声を上げているんだと思う。

占い一言居士:
自分の名前を考えてみると面白い。気がついてみると皆が自分をそう呼
んでいる。それを不思議とも思わないで受け入れてきた。でも、呼ばれ
ている自分とその名前は本当の自分なのだろうかというのがいつも心の
どこかで叫んでいる。そんな経験をした人もいるはずだ。そんな時は、
新しい自分を創りなさいという叫び声だ。もう一人の自分がそれを要求
している。改名はその心の叫びに答えるということなのだ。

08年10月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-理解できないことには反対する。
---本多作左衛門(戦国時代の武将)---

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」陣中から妻に宛てた手
紙である。実に素晴らしいと思う。なかなかこんな手紙は書けない。今
でいえば電報にも通じる内容である。これで思い出すのは、日露戦争の
時に東郷平八郎率いる連合艦隊の参謀をしていた秋山真之が日本海海戦
への出撃の際にうった電報である「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」とい
う一文である。これなどは、見事に全ての状況を彷彿とさせ、次に何を
すべきかということがイメージとして浮かんでくる。

こんな名文を書きたいなと思えども、たぶん永遠に無理だろうなと思う。
やっぱり正岡子規など、一流の文化人と親交があっただけのことはある。
相手を説得するというよりも、的確な状況を相手に伝達する方が、つま
らない説得文よりもはるかに効果があるということだ。映像をそのまま
見せられるよりは、自分の中に想像性がわき起こるものの方が、はるか
に楽しいといえる。

人が信頼できるかどうかということの分かれ道はどこにあるかというこ
とだ。それはたぶん言葉の真実性、正直度合いということなのだと思う。
最後は正直や誠実といったことが相手にどのくらい伝わったかというこ
とだ。それが問題だ。ここまで来るとシックスセンスの問題だ。だから、
動機を巧みに隠す二枚舌には気をつけるべきだ。彼らは自分を隠す術に
はたけていることになる。結局は相手に対する無知が不幸を背負うこと
につながる。

素晴らしい話を聞いた後で、何故か心に不満が残るという体験はなかっ
たですか?たぶん皆さんそんなことの一つや二つはあるでしょう!それ
が問題だ。その話には、やっぱり引っかかりがある。とげがあるといっ
た方がいいかもしれない。理論的な理解はあっても心の理解を妨げてい
るとげがある。そういうときはやめた方がいい。その反対に、理論的に
自分が反対する理屈が通っていても、心がそうでないということだって
ある。そういうときは、理屈に反して行動をした方がいいことが多いも
のだ。結局は人も自分も心を見ることに尽きるのかも知れない。

占い一言居士:
赤ちゃんの名前を考えてみたときに、その命名には集中的に親の想いが
集約された結果が反映されているということだ。初心忘るべからず!と
いうようにその時の想いをいつまでも継続して赤ちゃんを見続けること
だろうと思う。だから、「~ちゃん!」などと呼ばずに、正式にわが子
の名前を呼んでみると親の方が誕生の原点にかえることができるはずだ。
それが素晴らしい子育ての原因になる。

08年10月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-パンがあるならば、どんな悲しみにも耐えられる。
---セルバンテス(スペインの作家)---

世の中には真実はひとつというけれども、そうでもない。立場や考え方
が変われば真実も変わるものだ。というのも、とりあえず「食べ物があ
れば・・・」と考える人と、聖書にあるように、マタイ 4:4 イエスは
お答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から
出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」 というように考え
る人との生き方には大きな違いが出てくるということになる。

これは、それぞれが一面の真理を表すものであって、どちらも間違いで
はないが、どちらも全てが正しいというわけではないといえる。という
のは頭の中での思考で、生身の人間としては、食物というのはありがた
いもので、どんな状況の中でも食い物があるとないとでは「希望や喜び」
が全く違って見えるから不思議である。だから、人の心を和ませようと
すれば、それにはまず食事に誘うことである。食事を共にして、共に語
らい合えば、どういうわけか元気が出てくるから不思議なのである。

親鸞は、非僧非俗として、肉食妻帯した。片や厳しい修行をする修行僧
もいる。断食修行をする坊さん達は、何を求めて食を断つのであろうか?
即身成仏というミイラになるために最後の修行をした人もいるのである
が、そこでも食のコントロールが問われている。禅では食事も修行の重
要な要素だ。食は肉体を甦らすものであるが、同時に心をも甦させるも
のだということを物語っているような気がする。否定しても否定しても
肉体の欲は断ち切ることができない。そのことが「食の修行」としてそ
れを物語っているような気がする。


際限のない人間の欲望で、食に対する欲望は最後の砦である。ここが崩
れればもう何の希望もなくなる。年をとっていって、全てがはかなくな
ってくるようになると、そこでも燃え続ける命の欲望はたぶん食にある
と思う。だから食にこだわり続けるということが、人間の生きる力にな
るはずだ。生きる欲望かそれとも心の糧か?そんなわけのわからないこ
とを考えてくると、親鸞の苦悩もちょっとは分かったような気がしない
でもない。否定できない欲望を肯定的に認めてやれば、そこから人の心
のあり方が見えてくるようになるのかも知れない。欲望という化け物に
挑んだ親鸞の偉大さが光ってくる。「食べ物だけでもないよ!言葉によ
って人は生きるところもあるよ」という平易な聖句に、「真実」は集約
されるのだろうか?

占い一言居士:
信じる主体を持っているということが人間の強さになる。占いを人が求
めるときには、その信じる主体に対する自分の心が揺れているときが多
い。人間という変化してやまない心を主体にしているからこそ、変わら
ないものを人は求める。占いには人変わらない心の真実を明らかにする
という使命がある。

08年10月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-この群衆の中、おそらくはもう二度と出会うことはない。
---垣根涼介(作家)---

人間という個性体は、ひとりひとりが独立していてそれぞれがバランバ
ランのような気がするのであるが、実はそうでもないらしいというのだ。
哲学者は有機的な連合体となっているらしいことをいうのだが、そんな
ことは実感ができない。でもユングは集合的な無意識があってそれが連
結しているらしいという。それにしても独立性の個体が寄り集まってモ
ザイクのような社会を何とか作っているようにしか思えないのであるが、
どうなのか?

人間の細胞は60兆億個あって、その細胞は実は皆意志があってそれぞ
れの方向性を持っているらしいというのだ。ところがその細胞が皆連結
していて仲良くしているということなのだ。それだから、人間は個体と
して存在していることができているらしいというわけだ。ひとつの細胞
が反逆してもその段階から個体としては存在できなくなるというから、
人間は何と不思議な存在と思える。ここで疑問は細胞の段階でそんな有
機的なつながり、合目的的な存在なのに、人間の個体になったら何故そ
んなにモザイクになってしまうのか問いことだ。

エイズという病気は恐ろしいHIVウィルスによって引きおこされる。こ
れは外部侵入者だ。普通女性の子宮は精子という外部侵入者を敵として
とらえないように免疫機構はできているらしい。それに、人は愛し合う
とこの精子という外部侵入者を阻害する酸性の体液が弱アルカリ性にな
り、精子の活動を助けるようになっているらしい。実に不思議なのだ。
ところが人間はどういうわけかこの細胞が突然に変化して自己を攻撃す
るようになってしまうということがおこるらしい。自殺行為である。
HIVはそういう類のウィルスである。この感染は人の最も崇高な愛情の
結果である性行為によって感染する。愛が自殺行為に変わるのだ。

どんな状況の中にも人の出会いは「縁」がある。そこには何かの意味が
あってそこに存在しているということがある。一期一会という考え方で
あるが、それは、人という個性体が有機的なつながりを持って存在して
いるということを示そうという考え方である。その「縁」が愛に発展し
て、自殺行為であるHIVに感染するということならば、これは有機的な
つながりの破壊ということになる。愛の結果が死という結末ならば、人
の「縁」に意味をもたらすことはできない。もしあるとすれば、それは
神の罰ということになるのだろうか?そういえば聖書には「とって食べ
てはならない」「それをとって食べるときっと死ぬから」とある。人類
は死と隣り合わせのモザイク社会を造ってきたのだろうか?神の声を聞
いてみたい!

占い一言居士:
相性は人の心の反映というものかも知れない。それは合う合わないとい
うよりはその人を受容できるかどうかという問題なのだろう!人は個を
守るために受容できる範囲を何故か狭めているような気がする。だから、
寛容が重要になる。寛容になったときに初めて自分と相対する相手を見
つけることができるようになる。それが相性ということになるのだ。

08年10月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-恋人というものは、めったに実相をみるものではない。
---芥川龍之介(作家)---

人間はどちらかというと観念の世界で生きていると言える。自分の造り
出した幻想で生きているのが本当のところだろう!そんなことはないと
反論される向きもあると思うが、こと自分が愛する人のことになると、
「恋は盲目」の喩え通り、「あばたもえくぼ」になるということである。
だから、恋をしているときは、天国なのだが、しかしその恋も何時かは
さめるときがくるということだ。

馬鹿な人もいて、「一度同棲してみなければ相手がわからないから」な
どと知ったかぶりをするおばさんが近所にいる。全く思慮不足としかい
いようがない。同棲して相手のことが全部わかったなどと考えていれば、
それこそ笑いものの種である。何故ならば夫婦は「永遠に秘密の扉」な
のだから!同姓と結婚の違いは何かというと、それは「所有権の決定」
という大きな事実なのだ。だから、婚姻届を出すだけならば十分ではな
いということになる。披露宴が大切になる。披露宴というのは男女がそ
の所有を公に認めてもらうということなのだ。

最近は「婚活時代」に入っているといわれる。就職と同じように結婚活
動をしなければ、ちゃんと結婚をすることが難しくなっているというこ
とだ。昔のように仲人する世話役がいてなどということはなくなってい
る。就職が自由化されるのと同じように、結婚も自由化されてしまった。
男女の雇用が機会均等化によって、境目がなくなったように結婚もその
境目がなくなって自由化されたということは、結婚を努力しなければい
けない時代になったということである。簡単にいえば「まじめでいい人」
だけでは売れ残る時代ということになる。

昔は恋をするというロマンがあったように思う。だから、盲目の恋など
もそんな経験をしてみたいなどとも思えることがあったよき時代である。
今はどうかというと、恋ではないのだ。恋は自分の想念や観念であ相手
を造り上げる楽しみがある。でも今は嫌でも好きでも相手の実相や実体
を分析しなければならない時代といえる。就活は、先ずは面接などの試
験にパスしなければならない。その次に、その職場での活動を維持しな
ければならない。そこまで考えての就活だ。婚活も同じだ。先ずは結婚
することを推進しなければならない。同時にその後のシミュレーション
ができなければ、相手を選ぶことができないのだ。昔は実相をみないで
結婚した。実相は後からついてきたといえる。実相ばかりみる今の若者
はかわいそうと思うのですが・・・。

占い一言居士:
改名することにはロマンがある。そのロマンは時間をかけて自分造りを
しなければならないから、ある意味では自分に対する投資でもある。だ
からそういうロマンを持てるということが素晴らしく生きているという
ことだ。たとい今悩んでいても、改名で自分にかける希望を持っている
ということは、人生という壮大なロマンを愉むことになるのだ。

08年10月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人は長生きせむと思へば、嘘をいふべからず。嘘は心をつかひて、少しのことにも心を労せり。
---夢窓漱石(禅僧)---

人間はあまり疲れる生き方をしない方がいい。何が疲れるかといえば、
肉体労働よりも精神的な四方山ごとの方が疲れることが多いのだ。だか
ら、精神の疲労というのはなかなか回復しないのだ。確か大昔にテレビ
で実験をやっていたのを思い出す。それはねずみの実験だ。ねずみにス
トレスを与えるのだ。一匹には肉体労働のストレスを、もう一匹には精
神的な苦痛を与えるのだ。

それからこのねずみの回復状況を調べるのだ。それはどうもストレス物
質というのがあるらしいのだが、それを調べることでわかるというもの
だ。肉体的なストレスのねずみは、休めばストレス物質は消えてしまっ
た。しかし、精神的なストレスを受けたねずみは、休んだだけでは回復
しなかったのである。そのねずみには、別に何か楽しいこと、ねずみが
喜びそうなことを与えてやらなければ、ストレス物質はなくならなかっ
たらしい。

中条きよしの「うそ」は山口洋子が作詞なのだが、その歌詞は「折れた
煙草の吸いがらであなたの嘘がわかるのよ」ではじまる。いつも思うの
だが、歌の歌詞というのは、「当意即妙」でありその場の雰囲気をよく
表している。普通の人には何でもない仕種やちょっとした言葉の端々か
ら、他の人にはわからない「何か」がわかるのだ。これは「勘」でも何
でもなく、その人物を見続けてきているからなのである。この歌詞の一
文でこの人物のおかれている状況や立場、心のひだまでが瞬時にわかっ
てしまう。この一文を聞けば思い当たる節の人も多かろうと思う。

生き方に疲れるというのは、たぶんこういう事の積み重ねをしてきてい
るからなのかも知れない。心に張りがなくなるというのは、人から希望
や期待をされなくなってしまうようなことだと思う。それは小さな誤魔
化しの積み重ねのなれの果てなのかも知れない。どうせなら、大きな
「希望の嘘」「楽しい嘘」「誰にでもわかる嘘」の方が、罪が少なくて
いい。人に対してではない。自分の心に対しての罪だ。長い間にそんな
ゴミがたまる。それが人生の年輪であれば悲しいことになる。だから、
時には無条件で人のためになることでもすれば、心のひびも修復される
かも知れない!

占い一言居士:
命名というのは、「名を命ずる」というものであるが、これは名前とい
うものが実に大きな権威を持っていたことがわかる。実は誰に向かって
その名を命じたのかということなのだ。そこが問題だ。名をつける本人
に向かっての「命名」では本当はないのだ。それは、その名を司る諸々
の精神世界に向かっての宣言なのである。だから、命名は厳粛なものと
いえる。

08年10月10日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-感謝して受けるものにこそ、豊かな収穫がある。
---ウィリアム・ブレーク(イギリスの詩人)---

社会が悪くなるとき、家庭環境というものも悪くなってきている。人は
いつ頃から批判精神を養ってきててそれが癖になってしまっている。人
の欠点を観ることには努力はいらないのだが人の良い点を見つけるのに
は相当の努力がいることになる。それは、たぶん幼い頃から人の悪い点
ばかり見つけることに注意が向けられて訓練されてきたことによるもの
だということだ。だから、批判は得意なのだが、批判されるのは得意で
ないということになる。

人にはおうむ返しの法則というのがある。親からいろいろと言われたり、
体験させられたり、親の言動を見続けていたりすると、いつの間にかそ
れが自分の中の世界標準になってしまっているということである。実は
それを社会の中で繰り返してしまうのである。そこからしか社会や人を
見つめることができなくなり、その時に、社会の良識とかけ離れていた
り、自分が理解されなかったり否定されたりすると、それをどうやって
自分が受け入れていいかということで葛藤しなければならなくなるのだ。

親が音楽家であったりするとその子供も音楽家になる可能性が高い。親
が学者であると、その子供も学者になる可能性が高いということが言え
る。それは、1900年代にオーストリアで行われた調査であるが、芸
術家113人のうち、両親が音楽家という人が50%、両親が画家とい
う人が25%であったということ。科学者181人のうち、両親が学者
であったという人は53%にもなったということからもわかる。という
ことは子供の成長過程における環境というものがどのような影響を与え
ているかということが想像できる。

社会の変動期は、庶民にとってはチャンスなのである。それは環境が激
変するからである。だから、いろいろな人にとってチャンスなのである。
坂本龍馬が人気があるのはわかる気がする。幼少期の乙女姉さんとの関
係や本人の性格やらと彼の業績とのギャップがとても面白いのだ。要す
るに社会で活躍できている人達をみていくと、何かしら家庭から受け継
いだ精神的な土壌というものがあるらしいということなのだ。それは、
僕なりに考えてみると、みんな自分に対して素直ではなかったかという
ことなのだ。ここらで、ちょっと自分の家の雰囲気というのを見直して
みるのはどうか?

占い一言居士:
占いはいつの世でも、関心があるということだ。だいたい女性が関心を
持って「信じる」という人が多く、男性は白い目で見て「そんな非科学
的な!」と一蹴しながらも、気になってしょうがないというところだろ
う。人の世の中非科学的なことばかりなのを知っていながら、それを認
めると自分の価値がなくなるかの錯覚を持つのかも知れない。世の中理
と気の二重社会なのをわかっていない。

08年10月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-何という速さで人心は変化してきたのだろう!
---佐藤愛子(作家)---

雑誌を読んでいてふと目がとまったフレーズがあった。「私アキチャッ
タ婚なの!」と書いてあった。というのは目がおかしかったので、本当
は「デキチャッタ婚」でした。何だ老眼のせいか?とちょっとショック
であったが、ゴミが入っていたのかも知れないと思い直すことにした。
全く自分の心や気持ちは変わっていないのに、体の方だけは何か変化し
ているのだ。

先日の土曜日はボランティアで近くの海の清掃に出かけた。3人の子供
も一緒だったので、時間の合間に砂浜に円を描いて土俵を作った。久し
ぶりに相撲を取ってみたが結果はいうまでもない。確か3年前は文句な
しに勝っていたのに、あっという間に腰から投げられてしまった。それ
からが大変なのだ。いまだに腰が痛くて座るのも恐る恐るという有様だ。
チクショウと思ってもどうにもならない。

奥能登の行事に「あへのこと」というのがある。これは田の神様を収穫
や蔵入れなどが終わって、本格的な冬が来る前に田の神様をお迎えして、
接待をし、春のくる前に田の神様をお送りするという何とも人間くさい
行事なのだ。「あえ」「あへ」というのは、饗応を意味していて、人間
が神様と空間をともにするという心憎い行事なのだ。いつもこの「あへ
のこと」のニュースが流れると、冬が来たことを知らされる。その冬の
間人は神様と共に心の対話を愉しみながら過ごすのである。

最近だんだん表現する文化が何だか嫌いになってきた。表現することは
最も正確に何かを伝達するにはいい。後から理解するにもいい。でも、
それだけか?そんなのは浅く感じて気に入らない。それよりも不思議な
心の動きを読んだり、文の行間に思いをはせたり、同じ表現でも暗示的
なものに引かれてしまう。気に入らないのは単純な直接的な表現という
ことに気がついた。直接的な表現はイエスかノーということになるが、
間接的な表現は限りない心の答えがある。心は変化して変わりゆくとい
うよりは、揺れ動くものなのだから!そこに楽しさや深みといった終わ
りのない刺激がある。だから、「デキチャッタ婚」などという直接的な
行為は刹那の刺激だ。そんな刺激に永遠性や多様性はない。その内に飽
きられるようになる。

占い一言居士:
相性というのは、球体の中の一点に過ぎないということだ。どういうこ
とかというと、自分の中の小さな部分に相対する相手はその中心点をと
おる一点しかないが、自分自身はその球体の面だ。そう考えれば、自分
にとっての相性は無限にあるということになる。それを2次元で考えれ
ば、12の特徴ある接点を相性として観ることができるということなの
だ。それを立体として考えれば、面白い設計図が描けるではないか!

08年10月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-必要は最も確実な理想である。
---石川啄木(歌人)---

理想というのは何だろう?希望というのは何だろう?そんなことを考え
る暇なく過ごしてしまったような気がする。というのは嘘で、本当は何
を目標に何をして生きていけばいいのか?どういう生き方が必要なのか?
そんなことばかりを心の片隅に持ち続けてきた青春時代であったような
気がする。だから、理想やビジョンはいつも自分の側にあったというこ
とになる。

そういうことを、現実とかけ離れて語ることができるのが青春というも
のだろう。だから「青い」といわれるし、その時を過ぎ去った人にとっ
てはそれは羨ましいのだろうと思う。でもその当事者であったときは、
「青い」といわれれば猛烈に反駁したものである。だから、尽きること
のない議論がある。そういう議論を無駄なように費やしてきた時代が誰
にでもある。でも、それはとうの昔に忘れてしまった貯金のようになっ
ている。

「人生について考える」という問いを得れば、こう答えることにしてい
る。「生まれたときに既に父もいたし母もいた・・・」考える前に既に
生きているという環境があったということだ。だから、金魚が水槽の中
でしか生きられないように、思考の限界は水槽の中の金魚と同じという
ことになる。それを越えたところから考えなければ、金魚は自分がなに
ものなのかということすら気がつくことができない。

こんなことをふと考えてしまうのも季節のせいかもしれない。暑い暑い
といいながら、懸命に夏を生き抜いて、気がついてみれば露出した肌も
今は被服を愉しむようになる秋になっている。理想を熱く語った過去の
ひとときを懐かしく思うように、人生の収穫の時は誰にでもあるものだ。
収穫をしてみれば、その中に自然に冬と春が同居しているのを感じてし
まうようになる。結局人は終わりのない輪廻という現実の中に活かされ
ているのか?秋は不思議な思いを抱かせてくれる。

占い一言居士:
改名というのは、自分を改めるということである。自己の改革というエ
ネルギーがそこにはある。このままでいることを潔しとはしない「力」
を持っている心の方向性が「改名」へと向かわせるのだ。それは新しい
自分を発見するためのチャレンジである。


天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

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