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格言日記60

日記風の格言

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09年1月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-冗談じゃない、向こうが私に逆らっているのだ。
---佐高 信(評論家)---

「冗談じゃない」といいたいことっていうのは、山ほどある。そういう
のは立場や事情圏が異なると見方そのものが大きく変わることになる。
それでも、自分の見方がすべてであると思い込んでいるから、自分に同
調しないものがいること自体が不自然となってしまうことになる。だか
ら、相手からこういう言葉を浴びせかけられることになる。「冗談じゃ
ない、いい加減にしろよ!」ということになる。

結婚しようと相手の両親の元へ結婚の許しを得るために出かける。駅へ
降りたその町で昔の恋人に出会ってしまった。「この人紹介してよ!」
そう催促されて渋々昔の彼女であったことをしゃべってしまった。でも
それで終わらなかった。その駅で別れたのだが、両親に結婚の許しをも
らって話はとんとん拍子に進み、それでは仲人を頼む予定の彼女の親の
上司についでにあっておこうということになった。訪問して挨拶をすま
すとその上司の娘が出てきた。驚いたのは彼の方だ。その娘こそ、駅で
別れた昔の彼女だったからだ。その時にお互いの口から出たことばは
「冗談じゃない!」であった。

こんな時、あなたならどうします?これは作り話なのだけれど、これと
同じような「冗談じゃない!」はみんな経験があると思う。冗談じゃな
いと思われている人は結構会社の上司や地位のある人に多い。それは、
甘えているからだ。酒を飲んで帰宅が遅くなってしまい、その言い訳に
「君ちょっと携帯にでて家内に話してくれないか!」そんな時は顔で笑
って心で怒りマーク「冗談じゃない!てめえの尻ぬぐいなんかできるか!
」と思いながら、結局電話に出るハメになった。そんな時は、それに従
うアホな自分に「冗談じゃない!」と叫んでしまうことになる。

「冗談じゃない」は相手の事情や立場、心情世界を全く理解しないで、
自分の状況や自分の立場や事情を一方的に押しつけるときにおこる。ま
たは自分だけが利益を得る行為をしておいて、失敗を相手の性にしよう
とする厚かましさに出てくることばだ。そういう「冗談じゃない」人生
を繰り返していると、いつの間にかそれが自分に伝染してしまう。そし
て何も感じなくなってしまう人間となる。こうして「冗談じゃない人間」
がまた一人増えることになる。思いやりや相手が見えなくなってくると、
地位や力のある人間に伝染する病である。「冗談じゃない伝染病」は思
いやりがなくなったあなたの心の隙間を狙っています。

09年1月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-表現と人格とは必ずしも一致しないのです。
---中畑貴志(コピーライター)---

「人は見かけによらない」というのが、長く人間をやっていると感じる
ところなのだろう!これは、ネガティブな発想なのであるが、ワザと人
を悪く思いたいのではなく、そういう現実に直面してきたことが多いと
いうことなのだろう!昔の僕の上司であった人に、青年将校のように格
好のいい人がいた。いつも折り目正しく、スーツも堂に入った着こなし
をしている。人前での演説もなかなか粋なことをいうのである。

その彼は、側でよく観察していると、意外にも気が小さくて金に汚いこ
とが分かってきた。それに行動がダサイ。行動がダサイというのは、つ
まらないことにこだわって太極を見ないということだ。こういう上司だ
から、だんだんまともに聞く気はしなくなってしまった。人の口に戸は
立てられないというが、時が経つに従ってこの上司の評判はひどいもの
になっていった。こうなると、どこかで上層部の耳に実体は入るように
なっている。いつの間にかその青年将校は人事になった。でもその時の
お別れの挨拶でも粋がっているから、どこまでも自分が見えない人なん
だなと愚かさに気分はよくなかった。

清水の次郎長といえば、街道一の大親分として名をはせたというが、所
詮は侠客と思われている方が多いのだが、なかなかの人物である。人は
自分よりもすぐれた人に見いだされれば、大きな働きをするものである。
それは、自分という人間の能力の引き出し方を知っている人にであった
ということである。それが幸せということになる。次郎長も山岡鉄舟に
であわなければ、ただの侠客で終わってしまったに違いない。それでも
彼は山岡鉄舟に出会ったということだ。実は、出会わされたという方が
本当かも知れないのだ。それほど人の出会いというのは不思議なものな
のだ。

人生は自己表現ということになる。自分のキャンパスに自画像を描くの
だ。どんな自画像になるかはその人の人生という歩き方に現れてくる。
実は自分で自分の人生を描いているようで、それは描かされているとい
った方がいいかもしれない。何故かというと、人との出会いが道をつく
っているからだ。その道がどんな悪路であったか、ハイウェイであった
かは出会った人による。だから、自分の人生を人に預けてみるというの
はどうか?人が嫌ならば、神や仏に預けてみればいい。そうすれば、思
いも寄らない自画像を描けるかも知れない。自分で人生を描こうとしな
いで、神や仏にゆだねてみれば、思いも寄らない人生、思いがけない生
き方という一度しかない生き方を楽しむことができるようになるはずだ。
その勇気を若者には持って欲しい。

09年1月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-困難は分割せよ。
---山田あかね(作家)---

面白い発想だと思った。昔もこれとよく似た発想にであって、「そうだ
な」と思ったことがある。たぶんレーニンの言葉だと思うのだが、「複
雑問題の単純化」ということだ。「へー!」と昔の懐かしい感覚にとら
われた。どうも難しいことばかり考えて簡単なことまで難しくしてしま
っているような気がする。最近はそういうことにであうと疲れてしまう。

それにしても、勉強が足りないと思うこの頃でもある。自分で苦労して
学ぶことをどうもしなくなってしまったような気がする。何故かという
と便利な道具ができたからだ。それはインターネット。どうも何でも頼
ってしまうようで気持ちが悪い。そう思いつつはまってしまっている。
ただこれも誰かが情報を提供しない限り分からないのだから、新しい情
報を誰かが載せるということが必要なのだ。それを頼っているのか新し
く自分で情報を開拓するのかが問題だ。

インディアンのラコタ族の格言に「創世記はいまも続いている。」とい
うのがある。同感である。今も天地の創造は続いているのである。そう
人間という存在の完成をみるまでは天地の創造は続くと思っている。で
はいつ完成するのか?今も続いているということはまだ完成していない
ということだ。仏典にも末法の時代を越えて救いの時は、56億7千万
年後に弥勒の仏が来てこの世を救うといっている。それまで人間は救わ
れていないのである。同じことが西洋でもある。2000年前復活した
イエスは昇天するときに、私はすぐに来る。といったが、イエスはまだ
人々の前に現れたと認識されていない。まだ人々は救われていないのだ。
でもクリスマスはやって来る。

今も昔も困難な時代が続いている。それでも日本は奇跡的に戦争のない
時代が続いているのだ。平和とは何か?戦争がない状態のことをいう。
確かに平和だ。それでも平和の時代にも困難はある。誰もが平和を満喫
したいのだ。自分だけの平和を求める欲望は果てしなく続く。その欲望
の果てがもっと大きな困難を呼び、不幸をつくっていく。やっぱり人の
魂は救われていないことになる。まだ天地創造中の人間は困難を一人で
背負うことはやめたほうがいい。喜びを分かち合うように、困難も分割
すれば苦労や苦しみも少なくてすむ。「情けは人のためならず」という
ことである。ネイティブアメリカンの言葉に「すべてのものが円を描い
てます。私たちは自分自身の行いに、それぞれ責任をもっています。そ
れが円を描いて戻ってくるからです。」とある。

09年1月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-事業をするのに必要なのは「する力」なのではなくて、やり遂げるという決心である。
---リットン(イギリスの作家)---

事業家の資質に必要なものは何か?と問われると、それは「成功できる」
という確信である。と誰もが言うものだ。「そんなことはいわれなくて
もわかっとるわい」とお叱りを受けそうなのであるが、これがなかなか
どうして、心底思えるかというと???である。「誰でも自信ないじゃ
ないの!」という声が聞こえてきそうであるが、この確信をどういうわ
けか持っている人だけが、実は成功している確率が高いといえる。

小さいときからの積み重ねである。いきなり大きな事を成し遂げよう何
ていうのはどだい無理な話である。自信というのは、どこから来るかと
いうことだ。愛されてきている人は競走することに不安はない。何故な
らば、自分が失敗してもどこかで許されるということと、次の道を見つ
けてくれる人がいる。応援団がいることを知っているからだ。その反対
に、成果を親から要求されてきた子供はどうだろうか?幼いときから
「許されない責任」を背負って生きることになる。

よく「成功体験にとらわれるな!」と経営者の方にいわれることがある。
たぶん成功体験が次のステップへの邪魔になってしまうことからの発言
だろうが、そうとばかりはいいきれないといえる。体験だけに頼ってい
れば別だが、だいたいは成功の原則を皆様理解しているので、成功体験
は大きな自信になっているはずだ。問題は、過去成功したことがあると
いう方である。でも今はうまくいっていない。それは、何故成功したの
かという原則を理解していないからだ。原則が分かっていれば、それを
状況の中で応用すればいいわけであるから、より成功への道が近くなる
というわけである。だから、人の成功体験は聞くことが必要なのだ。そ
こに法則が隠されているからである。

大切なことは、考えすぎないということだ。考えて悩まなければならな
いときは、大いに悩む必要がある。でも、ある程度考えが行きついたな
らばどこかで思考をたちきるということをする必要がある。それは、思
考から行動へのステップに移るときに必要なことである。僕はハチマキ
が好きなのである。何でハチマキをするのかというと、「決断をするぞ!
」ということなのだが、これは労働組合の賃上げ闘争を思い出してしま
う。そうではなくて、頭にハチマキをするというのは、頭という思考を
遮断するということなのだ。これからは手足の出番だよ!といっている
のだ。結論に対して行動して結果を出す。ハチマキは「決心」の重要な
アイテムである。だから、心にハチマキをしよう!

09年1月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-浮世の月見すごしにけり末二年
---井原西鶴(浮世草子作者)---

「もうけもの」ということがある。予期せぬことでもあって儲かった気
分になることがある。時代の気分は50才で終わりと思われていたから、
52才まで生きれば、2年間余分に生きることができたからもうけもの
なのである。そんな時代でも90才以上生きた記録もある。江戸時代の
加賀藩では五代藩主綱紀公の時に養老扶持米が90才以上の者に与えら
れたというから驚きである。

「こんな時代でも福祉政策をとっていた」というのは失礼な話だ。江戸
時代は儒教が武士の学問にされていたし、一般の民衆の間では心学が大
流行している。神、儒、仏の三つの思想を基盤として、教えが説かれ中
でも有名なのは石田梅岩である。人々の道徳意識は今よりももっと高か
ったのではないかと思う。制度的に福祉が行われるというよりは、人間
として自発的に相互扶助の制度が作られていったという方が正しい。そ
れだけ、人の心のレベルが高いということもいえる。

江戸時代には講という制度があった。講というのは元々僧達の講義を聴
く集まりであったが、それが民間にも伝わり同じ信仰を持つ持つものの
結社となった。これが相互扶助にも発展する無尽講にもなる。人間のつ
ながりというのは様々な知恵を生み出していく。信仰のご利益を得るた
めにみんながお伊勢参りなどには行けないから、講でお金を出し合って
誰か代表がお参りに行くのである。こういうネットワークは昔からつく
られていた。今の方がネットワークがなくなってしまった世界なのかも
知れない。それで、今一度作り直そうと現代人はもがいているのかも知
れない。

どうして人間はこうもバランスが悪いのかと考えてしまう。心と体がバ
ラバラである。科学技術などは相続されながら発展してきたのであるが、
心の部分は何も発展してきていないような気がする。ということはちゃ
んとした相続がなされていないということになる。たぶん時代時代で社
会や政治制度が変わってしまい、その都度人のつながりや心のつながり
が分断されてきたからだろうと思う。平均寿命が50才という昔とちが
って80にとどこうとする現代、浮世の月をながめるのが「もうけもの」
の人生であるとすれば、人のつながりにモラルをつくることも「もうけ
もの」の粋な生き方かも知れない。

09年1月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人間というのは無限の可能性を持っている。
---童門冬二(作家)---

「人間の可能性は無限だ」というのを聞けば「そうだ!」と誰もが思っ
ている。でも、自分はそうじゃないとどこかで考えている。誰か一部の
優秀な人が頑張って、不可能のようなことを可能に変えている。だから、
人間という全体で考えれば無限の可能性を持っているのだが、やっぱり
自分は可能性は無限ではないと思っている。

要するに自分は信じていないのである。いろいろな体験談を聞いたりす
る。成功談もいっぱいある。ビジネスでは事業で成功した人の話を聞け
ば、あの人は運がたまたまよかったのだよな~!と心のどこかで考えて
いる。自分ができるとは考えないのだから人間というのは面白い。何か
都合が悪くなると同じ人間なのにと権利だけは主張し、都合が悪くなる
と「あの人は特別だから」という理由をすぐにつける。同じ人間なのに
ね~!人間って可笑しくない?

聖書には「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」とあるのだけ
れど、これだけではなく次がある。「捜せ、」「門をたたけ、」と続く
のである。要するに具体的なアクションを起こさないと、神様は何も与
えてはくれないよということなのである。だから、信じていればいいと
いうわけではない。次には神様のマインドを説明している。「天にいま
すあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないこ
とがあろうか。」と神様の自己開示が行われて、神様のアドバイスがあ
るのである。
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせ
よ。」ここでアクションの原則を示しているのである。その次に神様の
約束がある。「もしあなたがたが信じて疑わないならば・・・・信じて
求めるものは、みな与えられるであろう」というのである。

ここで自分自身に問いかけをしたいのです。「あなたは自分の夢や希望、
願望が自分で実現できることを信じていますか?」ということである。
だから、本当に信じているならばそこには当然アクションが伴うはずな
のである。座って待っていれば「棚からぼた餅」というわけではないの
である。それが信じるということなのである。親鸞のいう「絶対他力」
や「絶対信心」というのも同じことなのである。信じる心が強くなれば
なるほど、ものごとは現実化への行動となって現れるということだ。だ
から、神様のアドバイスを大切にして、ちょっとアレンジしてみると
「何事でも自分がしたい、やりたいと望む夢や希望、願いは、人々にも、
自分にもそのとおりに活動せよ。」そうすれば、「みな与えられるであ
ろう」という。これをあなたは信じるか・・・・?

09年1月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
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格言-大目標をめざすより、小目標を一つずつ達成することが自信を生む。目標は具体的であればあるほど「やる気」は高まる。
----多湖 輝(心理学者)---

目標というのはとても大切である。そんなことはいわれなくても分かっ
ている。今更なんだ!とお叱りを受けそうなのだが、この目標というの
は日本人にはどうも難しいテーマなのだ。目標といわれても、できない
ことって沢山あるじゃない!などと開き直られそうなのである。それも
そうだ。目標というのは達成できない理由は山ほどあるのに、達成でき
そうな理由というのは探さないと見つからないからだ。

さて、どうして目標というが日本人は苦手意識が先に立つのだろうか?
その答えはたぶん10人いれば10人の答えが出るのではないかと思う。
それでも、こんな考え方もできるということを書いてみようと思う。簡
単な答えだ。日本人は長い間農耕民族として、狭い国土を集約型の農業
で成功をしてきた。そこには、目標というよりも毎年決まったことをし
っかりと同じように繰り返し、でも天災という予期せぬ出来事に向かい
ながら知恵を絞ってきた歴史がある。だから目標ではなく、アクシデン
トにどう対処するかという知恵を磨いてきた。

古い話だが、狩猟民族と農耕民族の特性の違いが取りざたされたことが
ある。どちらが優れているかという比較文化論をするつもりはないが、
農耕民族は同じことの繰り返しに強く、狩猟民族は瞬発力に強いといえ
る。どちらも環境次第ということがいえる。ビジネスで考えてみるとタ
ーゲットを絞ってそれに向かって進んでいく狩猟型の方が有利ではない
かと考えるのだろうが、そうではないと思う。農耕民族の方が現代のビ
ジネスにはあっているのではないかと思う。

村落共同社会で築いてきた長い間のDNAは、その手段が農業の道具から
工業の道具に変わっても同じであると思う。共同事業とチームワークに
はすごい力を発揮する。これは、先祖からの遺産である。トランジスタ
をご存じだとは思うが、このトランジスタが増幅作用を持つためには、
そこにほんの少しドナーとかアクセプタいう不純分子を入れてやればい
いのだ。同じことがいえる。農耕民族の生活の中に、ちょっと違う考え
方を持った人が入ると、実は共同体が活性化するのである。この活性化
をコントロールしてやりさえすれば、何事か成就するパワーになるので
ある。これは、一人一人がターゲット型の民族よりは面白くて強いとい
える。日本人万歳といいたい!

09年1月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
---ヘブル人への手紙11章1節(聖書)---

年頭にこの言葉を持ってきたのは、「一年の計は元旦にあり」というこ
とから、目標の設定がどのくらい重要かを自分自身が自覚するためでも
ある。だから、僕のパソコンのデスクトップの壁紙には、イチロー選手
の今年の目標と抱負が語られた新聞記事が貼り付けられている。

もちろんその下には自分の今年の目標と何をどうするかという具体的な
行動の指標も書いてある。イチローのように完璧に目標を達成するとい
うようなことは本当にすごいことで、そう簡単ではない。当たり前だが、
目標というのは数値化することが大切だ。単なる「想い」は、自分の概
念でしかない。そういえば、イチローは今年「年男」だそうだから、丑
のように運勢をたがして欲しいものだ。

ここでもう一つ目標について考えておくと、目標というものには二つの
要素が必要になる。一つはもちろん具体的な数字として目標値を設定す
ることである。同時に大切なことは、「イメージ化」することである。
この2つが同時に設定されていないと、「絵に描いた餅」で終わってし
まうということになる。それに戦略や作戦ということになる。

この手の話は、どこの企業でもそうだが方法論ばかりに走ることが多い。
そこが問題となる。方法論というのは、いつでもどこでも変更していい
ものだから、いつの間にか安易な方向へと流されて生きやすい。その内
にいつの間にか「初心忘るべからず」などという格言まで飛び出して終
わってしまうことになる。日本の政治も「百年の計」がないから、与党
も野党もつまらない混迷の種ばかり振りまいていることになる。少しは
芥子種を見倣ったらどうかな?

 

天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

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