日記風の格言
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09年7月22日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-人間の成長は「読書と恋愛」にある。
---櫻井秀勲(評論家)---
人の成長というのは何かというと、僕が思うにはたぶん人との関わりの
中で様々なものを体験して感情も知性も行動力でも大きく変わっていく
ことではないかと思う。そういう落差の激しいのが思春期ではないか?
そんなふうに考えているんだが・・。誰もその思春期の実体はわからな
い。何故ならば当事者である本人がどんな感じ方と成長を確認している
かということだからである。それがよいことであるか悪いことであるか
は、今はわからない。時が善悪という結果をもたらしてくれる。
よく本を読め、本を読めとうるさくいわれたものだ。本などのどこが面
白いのか?あの活字の塊を見るよりも絵のついたマンガの方がよっぽど
おもしろくて簡単ではないかと思ってしまう。でも、このマンガという
のもものを見ることや読むということではとても導入にはよいといえる。
日本史や三国志などはマンガで勉強した方がイメージがしっかりと自分
の頭の中に残ってよく理解できる。だから、まだ見ぬ世界のことを知ろ
うと思えばマンガはいいなと思う。何にしても、目を通して過去や現在
未来を頭の中にインプットできるのは素晴らしいことだと思う。あらた
めて、目よ!ありがとう。
ところが人間の創造力をもっとかき立てるものが発見された。それが様
々な「本」である。とりわけ、推理小説というのは面白い。何が面白い
かというと、字を追っていくとどんどん頭の中でイメージが浮かんでく
るからだ。言葉がイメージをつくるというのは「活字」で始めて体験で
きる世界である。本が面白いのではない。実は自分の頭の世界を自分で
構築できるからこそ本の面白さがある。だから、ノウハウ本というのは
全然面白くない。必要性があって読むものかも知れないが、遊びではな
いからだ。言葉の刺激を受けることが一番面白い遊びなのだ。だから本
は原語で読まなくてはいけないと思う。でも翻訳物でも誰が訳者なのか
ということは選ばなくてはいけない。当たり前ですけどね!
だから、最高の遊びは読書にあるということがいえる。それと、やっぱ
り恋愛だろうと思う。本がイメージの世界だとすれば、恋愛は実体の世
界だ。インテリジェンスとエモーショナルという二つの世界だ。この前、
恋愛セミナーというものに参加してきた。すると、恋と愛は別物という
話であった。恋が愛に変わることはないという。恋はあくまで恋。愛は
最初から愛である。恋と愛を交互に楽しむことのできる人こそ達人とい
える。だから、自分の奥さんを恋して、そして愛する。その使い分けを
できるようになれば、人生は楽しくなるのではないか?何も危険を冒し
て他の人を今更求めてもいい結果はない。自分の半分の世界が伴侶だか
ら、まだ見ぬ未知の世界が沢山ある。やっぱり恋愛は奥が深い。
占い一言居士:
占って何が役に立つかというと、それは方向性が見えるということだ。
ここがわからないから人は悩むのである。方向性というのは目的性につ
ながる。自分はどうなるべきか?相手に何を望むのか?何をしたいのか?
そういうことが自分で構築できればすごいではないか!
09年7月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-不幸のうちに、人は始めて自分がなにものであるかを本当に知る。
---ツワイク(オーストリアの作家)---
本当の友達というのは、自分が不遇の時代にあっても変わらないで付き
合ってくれる人ではないかと思っている。しかし、一方では不遇になっ
たことを喜んでいて、同じように不遇でいることを嘆く仲間が増えたと
いっている人もいる。どちらにしても、不遇でいるというのはあまり気
持ちのいいものではない。そのままで自分を終わらせてしまうか?それ
とも、その境遇から自分を脱しきれるようにするかという違いがある。
そのことは、人生を大きく変える瞬間ということである。
神様はいろいろな機会を通して、自分を見つめさせるように事件をおこ
してくださる。日常の出来事全てが事件なのだ。そう考えてみることも
一理ある。だから、科学的な考えがいいというわけではない。人はもっ
と心理的な側面から理解しないとその人の心の真実はわからないような
気がする。そう考えてみると日常の小さな出来事に人生のサインがある
ということになる。北陸は雷のメッカのようなところで、冬には雪下ろ
しの雷様が北からやって来る。落雷も結構あるのだ。電気製品が壊れる
ことも頻繁だ。これを単なる科学現象としてすましてしまうのか?見え
ない意志が自分に何かを訴えようとしているのか?という考えをする人
とでは人生が変わってくる。
釈迦の悟りというのは、実は修行を断念した後に尼連禅河で沐浴し、身
を清めて村娘スジャータから乳粥の供養(くよう)を受けてた後に、ピ
ッパラ樹の下で坐禅をした時に悟りを開いたのである。こうして、釈尊
は仏陀になったのである。仏陀というのは覚醒者ということであって、
真理を得ることのできたものと考えてよい。すると、どうも釈尊には親
しみを持つことができる。それは、彼が修行を断念したというところで
は失敗者だからだ。そういう都合のよいところは共感を持つのだけど、
その釈尊が悟りを開いたということは僕らにも可能性がないわけではな
いと勝手に思うことになる。釈尊の命題もやはりその出家の動機である
四門出遊から、人間はなにものなのかということではなかったかと思う。
人の優劣は、大体においてあまりものごとがうまくいってないときに、
その時にどう思ってどう判断したかということなのである。そこが人生
の分かれ道になっている。ちょうど、そういう時というのは自分の内面
を見つめるときに来ているということだ。だから、奥深く自分の心を探
究するようになる。そうしていくといつの間にか自分の持っている世界
に自分自身がふれるようになる。本当は自分はどう思っているのかとい
うことなのだ。そこまでいくとシンプルだ。ダメと考えているのか?で
きると考えているのかという確信だ。根拠なんかは関係ない。そう思え
て信じているかということなのだ。要するにここで自分を信じ切ること
ができればたぶん道が開かれることになる。
相性一言居士:
人の話し声にもずっと聞いていたい人と、もう聞くのが嫌だという人と
でてくる。だから、歌声にもやっぱり好き嫌いはあると思う。自分との
波動がうまくマッチングするかどうかということは、とても重要な問題
だ。その相対的な波形がうまく同期がとれれば、そこに自分の居場所が
生まれるからだ。相性というのは、そういう相手とのつながり方と考え
ればいい。
09年7月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-退屈な人間は人徳があってもだめだ。
---奥田英朗(作家)---
人を楽しませることのできる人と、そうでない人がいる。人を楽しませ
ることのできる人は多くの人が集まるようになる。当然だ。面白くない
人のところに行ってもしょうがないから、誰しも面白くてちょっと為に
なる人のところに集まるようになるのは人情だ。だからといって、みん
なが面白い人では面白くはないではないか?という意見もあるだろう!
その通りで人は千差万別だから調和がとれているということになる。課
題はそれらの人々がお互いに連係プレイをとれるかどうかということで
ある。
人は個性があっていいのだが、その個性がぶつかり合ってお互いの個性
を壊してしまうのか?それとも、お互いの個性が助け合うのかで結果は
全然違ってくる。よくお酒が入らないと、いろいろな人と話もできない
から、お酒のつき合いは欠かせないとか、いろいろな理由がある。そん
なことは本人のいいわけにすぎない。お酒が入らなくてもお酒以上の会
話をすればいいのであるから、研究しなければならないのは会話力とい
うことにある。お酒の力を借りなければならないというのは、お酒に飲
まれているということになる。
ビジネスも楽しいということが必要だ。お金が必要以上にあれば人間と
いうのはどうも体たらくになりやすい。それも苦労なく入ってきたお金
ほど自分の身につかないといえる。まあ昔から「悪銭身につかず」とは
よく言ったものである。しかし、これはお金に対する哲学がないからこ
ういう事になった。お金というのは、人間の考え方が一番反映するもの
だから、それほどデリケートなものである。お金をうまく使える人とい
うのは、自分をうまく表現することのできる人でもある。お金が一番楽
しいこととは何だろうか?お金のみになって考えてみることも必要だ。
宝くじでお金が手に入ったとしよう!そうすると、お金の哲学がない人
はそのお金の故に家庭や夫婦関係が壊れてしまったりすることになる。
すると人は人徳がないといったりするのだが、誰でもお金という魔物を
手に入れると人徳は吹っ飛ぶかも知れない。人徳というのは何も人から
賞賛を受けるという人でもなければ、いい人だといわれる人でもない。
人から悪く言われないのも人徳と言うこともあるが、人徳というのは人
を組織しまとめ、方向性を示して、道をつくることのできる人、いわゆ
るリーダーという人であると考えた方がいいと思う。その資質が人徳で
ある。そうすると人が悪くても人徳?というものがあるかも?だったら
僕にも可能性はあるかもね?人の連係プレーをマネジメントできればい
いのだから・・!すると、誰でも人徳を持つことができるという楽しい
ことになる。
改名一言居士:
自分が求めていないのに、何となく人に言われたから、改名でも考えよ
うかなという人は、改名などはやめた方がいい。やけどをするのが落ち
だからだ。改名はちゃんと自分と向き合った人が自己を再創造するとい
う道だから、何となくでは改名の本当の価値はわからなくなってしまう。
するといつの間にか元の木阿弥になってしまう。それだけではない。自
分をもてあそべばいつか自分にそれが返ってくることになる。
09年7月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。
遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。
格言-自由を制することのできぬ人は、自由の人と称しえず。
---ピタゴラス(古代ギリシャの数学者)---
自由というものは、これを得るためにどれだけの人が命を犠牲にしてき
たのだろう!それほど自由というのは人間の基本になっている。結局人
は太古より様々な生き物の自由を犠牲にしてきた。人間同士も互いの自
由を奪い合う戦いを繰り返してきた。そこには権力や武力や政治力や財
力やいろいろなパワーが存在した。それを持つものは自由を得て、持た
ないものは自由を失った。そういう繰り返しが行われてきたといえる。
日本という国の成り立ちも、大陸からの進んだ文化の力を持った人達に
よって開拓され、そしてそのような人達が権力や政治の統治機構を造り
上げ、それらが権威や伝統ということになっていった。既得権を持った
特権階級が自由を謳歌し、そうでない人々は自由を奪われて奴隷化?し
ていった。大化の改新などは、果たして改新なのか?貴族による支配体
制を盤石なものにするために、貴族による土地という財産の国有化が進
められたのである。要するに自分たちの都合のよいように取り決めて、
それを力によって従わせようとしたということだ。これは貴族による共
産革命と同じだ。
大体貴族なるものが存在すること自体がおかしい。同じ人間なのに何故
貴賤の差別を付けるのかということだ。人間としての本来持っている価
値は同じはずなのにである。人の秩序はその役割によって担われるべき
ものであって、人の貴賤で決めるべきものではない。そういう意味では
歴史は権力者から自由を得るための戦いであった。武士という存在は、
日本の歴史の中で約700年間にわたって貴族という権力と戦ってきた
実体である。だから尊敬される内容がそこにはある。その武士は貴族化
したところから堕落が始まる。鎌倉幕府、江戸幕府は京都から距離をお
いたことは正解といえる。でも一番は織田信長だろう!貴族の権威その
ものを否定しようとしていたのだから!ただ彼は生きていれば新しい貴
族をつくったかも知れないから、そこは危ないところだった。
文化の発展はそういう意味では、徐々に大衆が自由を取り戻してきた発
展段階であるといえる。そういう意味では歴史過程を学ぶことはとても
大切なことである。それは、人間でいえば自分の人生を学ぶようなもの
だからだ。人の成長過程も何だかよく似ていて、親という権力や権威か
ら独立していく過程のようなものである。親の方もそれを知っていて、
いかに自立して巣立ちをし、自分が自由を確立して、自由に責任を持つ
ようになるかというところに教育の目標がある。人の成長過程は自由を
どう扱うかということの真理を学ぶことに費やされるといってもいい。
それを学べなかったものは長ずるに及んでも自由を手に入れることはで
きない。自由の中で最大の課題は経済からの自由である。これを学ぶこ
とが第一義である。そのことを多くの人がわかっていない。
命名一言居士:
命名では親の意向が大きく働く。それはそうだろう!自分たちの願いや
期待を次世代に託するのは当然といえるからだ。ただ、歴史的な要請が
違う。時代は家や家名を守るためというところから個人の持っている可
能性を最大限に生かすところに向かっている。そのことが国家や全体に
貢献することになるからだ。そこに必要なのは家族の愛情である。個人
の資質・運命式を活かすにも家族の愛情交流という相性がなければ運命
式のパワーは埋もれてしまう。愛情が命を守るということにつながる。
天使の占い(陽陰姓名術協会)について
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