それは猜疑心が強いということです。それから、自分の受けた仕打ちは絶対に忘れないということです。このことが時という時間を味方にさせ、人々の記憶から抜けてしまったようなときに奇襲をかけるチャンスをつくるのです。そして、彼の仕事運は、自分の立てた戦略は必ず成功させるという運勢を持っているのです。足利義教の油断でした。
と同時に側近にそういうブレーンがいなくなってしまったことも意味しています。
■★室町幕府をして、
この国を根本から転換するための天の深慮遠謀
第6代室町幕府将軍・足利義教が暗殺されたことから、この国の秩序はどんどん崩壊していくことになります。公家や朝廷に秩序も崩壊し、既存の武士勢力の秩序も崩壊し、下克上が起こってきます。こうして大化の改新以来の輸入されてきた貴族による共産主義世界、それから貴族につながる武士階級の譲護者としての源氏や平家につながる有力守護大名、寺社勢力など全ての権威が意味を持たなくなります。戦乱の巷が訪れるようになったのです。
真の自由競争時代という洗礼を経て、本当にこの国に必要な秩序と文化を形成するときが来るようになります。それを天は待ち望んでいるように思います。
室町幕府時代という戦国時代は、そういう国造りの産みの苦しみの時であったと考えるべきなのです。
だからこそ、室町幕府に絶対権力者が誕生してはいけなかったのです。
後醍醐というのは、結局は天皇親政を模索したのですが、それは貴族による共産主義独裁世界の復活を意味しますから、時代の意志に逆らった行為なのです。だからこそ、天は足利尊氏に味方したといっていいのです。
足利尊氏が示した「君臨すれど統治せず」というのは、この段階で政治理想としては早すぎたのです。だからこそ、これまでの支配勢力の野望が打ち砕かれて、日本にとっての真の平和とは何かを考えなければならない時が必要であったということになるのです。
そういう時が室町という戦国時代になってくるのです。
6代将軍足利義教は、そういう意味では室町幕府の真の使命を理解していなかったのです。自由と平和は独裁政治とは異なるのです。歴史の中での段階として、その課題をどのように実現すべきかということを考えなければならなかったのですが、現実の課題解決に走った目的と作戦が、武力による独裁という結論になってしまいました。
武力による独裁者の出現というのは、天が望んだことではないということなでしょう!
そのことを心に留めながら、次の応仁の乱を考えるべきであると思います。
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