◆ 心霊運
心霊運は、自分自身の問題だ。ここでは、自分が新しい自分をどうやって発見するかという作業が行われている。だから、心霊運では常に創造的な作業が行われているということなのだ。ここにトラブルが発生すると、あらゆる創造性がストップしてしまうことになる。特に自分に対する創造性は深刻だ。
改名ということでは、ここの心霊運が大きな力を持つことはいうまでもない。何故ならば新しい自分を創造するためには、ここが大きなポイントになるからだ。改名というのは、新しい自分を造るための大きな作業の第一歩になるのだから、その原点ともいうべきものが心霊運となる。
「我思う故に我あり」はデカルトさんの命題だが、ここ心霊運もその命題があてはまることになる。どんな風に自分を想定するかということなのである。これができないと新しい出発ができないことになるからだ。
改名によって、この心霊運が変わることになるから、「我思う故に我あり」の我がどのように思うかと言うことが変わってくることになる。これが自分に対するデザインだ。デザインというのは、現実に対する課題の解決方法を提示することだから、どのように自分をデザインするかという問題になる。これは自分をどう思うかと言うことになる。
改名というのは、そのように自分に対する大きなアプローチの変化を推進してしまうことになるから、結果的に自分の変革につながることになる。
◆ 愛情運
人は誰かに愛情を感じていないと、自信が持てないものだし、決して競争力も身につかない。だから、愛情を感じて生活することは、人生にとって最も重要なことになる。
愛情運は、人がどのような愛情に反応するかということを表している。人がどんな愛を持っているかということではない。愛は無限である。愛は命を上回るパワーを持っている。だから愛を失うと人は命を絶つことにつながる。何故ならば、愛が命を産み落としたからである。それが原因で自分があるという原点だ。その愛情は、決してひとりで成立しないのも真実だ。
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