ねずみ講
■ねずみ講
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□今回は、天下を騒がせたねずみ小僧ではなくて、同じく天下を騒がせたねず
み講の創始者である内村健一です。
ねずみ講は、昭和41年内村が糖尿病で入院していた時にひらめいたアイデア
を元に,たった9人から始まりました。そして、昭和53年無限連鎖講禁止法
案が国会で成立するまでの間に、なんと180万人が会員になったのです。ね
ずみのような恐るべき繁殖力からねずみ講と呼ばれるようになりました。
□で、ご本人はというと、日本中をお騒がせして、ピラミッドまで建てちゃっ
て、挙句の果て、参議院議員選挙に立候補して、見事落選してしまい、最後は
刑務所に行って病気になり、69才であの世に勝手に行っちゃたのです。今ご
ろ、あの世でも、ねずみ講やっていると思いますよ!何しろ、あの世は永遠と
言うことですから、被害者が出ることもなく、無限に広がりを見せているので
はないかと思います。ただし、あの世でお金が通用するかどうかは、筆者はま
だ行ったことがないので、臨死体験した人に聞いてみてください。
□さて、くだんの内村健一と言う人はどんな人なのでしょうか?
彼の占い運命式(姓名判断)を見てみましょう!
社会的性格ウシ、トラ、ライオン
家庭内性格ウシ、ヒツジ、トラ
人気運ヒツジ
仕事運ドラゴン
心霊運ウシ
愛情運キツネ
流運法 人気運 仕事運 心霊運 愛情運
1~15才 チンパン タヌキ ライオン ヒツジ
(60~75才)
15~30才 カメ ウシ ゾウ トラ
30~45才 チンパン ウシ ライオン ヒツジ
45~60才 カメ ウシ ゾウ トラ
□先ず、彼の性格ですが、小さい頃を知る人によれば、反骨精神と負けん気の
強さは人一倍であったと言うことです。また、彼の妻によれば、自分の信念を
どこまでも貫き通す人であったといっております。彼をよく知る人は、朴訥だ
が頭脳は明晰であったと言っております。
□実際彼の占い運命式(姓名判断)には、社会的性格にウシ、トラ、ライオンと
あるように、自 分が一番、自分が親分、と言う自分勝手な世界があり、同時に
目的指向型でも あります。
また、彼の妻の言うように信念の強さは、心霊運がウシであることから、これ
は強烈な頑固者であったことがわかります。
□彼の占い運命式(姓名判断)で最も注目すべき点は、仕事運がドラゴンで
十字架を背負ってい ることです。それに、人気運はヒツジで自分に従ってくる
人を喜びますが、自 分自身が強すぎるので帰って運勢を壊してしまいます。
また、流運では、心霊 運がライオン、ゾウ、ライオン、ゾウ、となっています。
これは、一生涯を通 して常に何かの目標を追いかけなくてはならないように
なっています。また、 仕事運はタヌキ、ウシ、ウシ、ウシ、となって、常に仕事上
で形ある実績を追 い求めるようになります。
□このような占い運命式(姓名判断)を持つ彼は、一生涯を走りつづけ、追い求め
つづけて十字 架に倒れてしまったのです。
実際に彼の人生は激烈です。昭和17には旧制中学を中退し、昭和18年には
予科連に入隊し、特攻隊で出撃する予定でした。
終戦後、彼は目的を失い自暴自棄になっていましたが、彼は闇市の中から、こ
れからはお金だと悟り? 金儲けを目的にします。そして、何を思ったか遊郭
を経営する傍ら生命保険の外交員をはじめました。23才のときです。
□このときの彼の決意と目的は何ら変わることなく持続していたのです。時を
経て41才のとき、持病の糖尿病で入院した時、天啓がありました。保険の経
験を土台にして、ねずみ講の大本になるアイデアが浮かんだのです。これも、
占い運命式(姓名判断)の心霊運ウシ、流運の心霊運ライオンという思想と目的
型の運勢がなせ る業でした。
□こうして、彼が勧誘した最初の9人から第一相互経済研究所が出発したので
す。昭和44年のことです。それから、あれよあれよと言うまに広がりを見せ、
昭和46年には国税局が入り、内村は逮捕されましたが不起訴になりました。
□彼の流運は45才以降に入っていました。ここで、危機感を感じた内村は当
局の矛先をかわすために、天下一家の会を設立します。よく48年には宗教法
人大観宮を設立します。ここは、思想信念の心霊運を持った内村の面目躍如と
言ったところです。
□そして、昭和51年には日本武道館において1万5千名もの人を集めて、天
下一家の会の大会が行われたのです。この間にも、被害は拡大していったので
す。
昭和53年には、内村の思想が形になって現れた、ピラミッド(世界平和記念
会館)が建設されました。そしてその絶頂期に、無限連鎖講禁止の法案が国会
で成立いたしました。10月18日のことです。
□しかしながら、目的に向かって走りつづける親ねずみの内村は、昭和55年、
凝りもしないで参議院議員選挙打って出て、見事落選したのです。
昭和58年彼の刑が確定し、罰金7億円になりました。しかし、内村は、時が
金を払ってくれるといって服役しました。
□時はめぐり、流運は最初に戻ろうとするときでした。このとき流運の仕事運
はタヌキ、静かに反省する運勢に入るようになっていたのでした。
こうして彼は、平成7年1月2日、69才からあの世でねずみ講をはじめるこ
とになったのです。
□彼は、生物学者でなかったために知らなかったのでしょうが!? ねずみは
増えすぎると集団自殺をしちゃうのです。このことを知っていれば、内村のね
ずみ講も、もう少し対策があったのかもしれません。
□マネーゲームの現代、ねずみは進化し、内村の親ねずみは形を変えて、集団
自殺防止策を考えた上で、マルチ~と言うように子孫は生き残っているのです。
霊界の内村さんは、きっと笑っているのでしょうね!
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