戦国の英雄―伊達政宗
■戦国の英雄―伊達政宗
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最近ねえ! 変なニュースばかりで、何か希望が見えてこないような暗い話が
多いので、ここらでちょっと、未来に希望を持つようなものがイイナと思い、
ちょっと昔ですが、今でも僕らの心に魅力にうつる"伊達政宗"を取り上げてみ
ようと思うのです。
何故っかて? "不信"が世の中に蔓延しているような中で、"信ずること"の価
値を私達に教えてくれているからです。
これが結論です。何だ面白くないとお思いの方は、ここで読むのをやめちゃっ
ていいのですよ!
○伊達政宗は、1567年8月3日、米沢城内で城主伊達輝宗の第一子として
生まれます。母は山形城主最上義守の長女義姫です。
○結婚の動機は"はい、嫁いで一子を挙げましたら、その子に輝宗の首級を添え
て戻ってきます"という、戦国の時代とはいえ、それは凄まじいものでした。
要するに、結婚の動機は政略結婚ですから、とってもよろしくない。というこ
とはあまりいい夫婦にはならないはず・・・・・?
○輝宗夫婦は、羽黒山の行者長海法印に頼んで、亀岡文殊堂に願をかけます。
すると不思議なことに、義姫の夢枕に白髪の僧が立ち、一本の幣束を渡し、こ
れを大切に胎育するように言って消えたのです。この白髪の僧は、役の行者依
頼の神通力を持った万海上人であったというのです。
○こうして万海上人生まれ変わり伝説を仕組んで、この子を人質にしちゃおう
というのですからたいしたものです。ところが、これを本当に信じちゃった輝
宗は、すぐに一流の先生をつけて英才教育に入っちゃたのです。
○後の伊達政宗には、当代きっての名僧虎哉禅師を招いて、師として教育がな
されました。こうして、信じちゃった輝宗によって一部のすきまもなく、政宗
教育の準備がすすめられる中に、結婚の動機の悪い義姫も、理想の夫婦を演じ
ざるを得なくなりました。
○このように、政宗は周囲の絶対的な信仰の上に、虎哉禅師によって厳しい人
間教育がなされていくのです。
伊達政宗が、戦国の武将として徳川家康、豊臣秀吉と並べて賞されるのも、こ
ういう周囲の絶対的な信仰の上に、厳しい価値観を持った人間教育がなされた
からであります。
○こうして、素晴らしい活躍をするようになる政宗に対して、母義姫の葛藤と
苦しみが始まるようになり、それは政宗にとっても乗り越えねばならない母子
の戦いでもありました。
"不信から出発した母"と"周囲の絶対的な信仰によって教育された政宗"、この
"不信と信の戦い"は、何と母親の義姫が政宗を毒殺しようとする事件にまで発
展してしまいます。
これに対して、政宗は母を許します。このことは"信"が"不信"に勝利したこと
を意味します。伊達家が戦国の中で滅びないで大きな力を維持できたのも、こ
のような政宗の精神の勝利があったからです。しかしながらこの問題は、弟を
切り捨てることによって、血族の一致ということにおおきな課題を残してしま
うのです。これが、後々の伊達騒動の遠因になっていくのです。
○もともと、人間は無限の可能性の中に、どんな人も生まれてくるものです。
ただ、生まれてくるのに、環境、位置、立場、事情などが種種異なるだけなの
です。
どんな中にあっても、そこにおける教育で人の善悪、優劣が決まってくるだけ
なのです。原則にあった正しい知識を与え、信じられた中にそれを生活の知恵
として生かすことができれば、立派に人は、仏性?を備えた人格者になって行
くのです。
そういう意味で、政宗は素晴らしい人間環境の中に成長していったと思います。
名門伊達家中興の祖とうたわれた伊達政宗とその父親の伊達輝宗はどんな人と
なりであったのでしょうか? その占い運命式(姓名判断)を見てみましょう!
<信仰の人伊達輝宗の占い運命式(姓名判断)>
社会的性格 キツネ ライオン タヌキ
人気運 タヌキ
仕事運 トラ
家庭内性格 キツネ トラ ライオン
心霊運 キツネ
愛情運 タヌキ
伊達輝宗は、社会的には目的指向型の性格に細かさ、繊細さが加わります。人
に対しては思いやりがあり、仕事面では常に自分が一番であろうとします。
家庭的には、男らしいのですが、思いこみ型であり繊細です。
こういう輝宗ですから、一度こうだと思い込んでしまったら、何が何でもそれ
しかありません。それに結構細かい。こういう輝宗だからこそ、よい意味で信
じてしまったのであり、それがまた、大きな力になるのです。
<自分に厳しい作戦家・人伊達政宗の占い運命式(姓名判断)>
社会的性格 トラ タヌキ タヌキ
人気運 タヌキ
仕事運 ウシ
家庭内性格 トラ ウシ タヌキ
こういう占い運命式(姓名判断)を持った人物は、ほっておけば自分勝手で、尚且つ
自己保身がうまく、手のつけられない人物になるのですが、周囲の信仰によって支
えられ、尚虎哉禅師によって人間として、自分に厳しくということを禅を通して教えら
れ、深く物事を見つめられ、表も裏も思いやれる内容を身につけた政宗は、戦
国という不信とだましの世界の中にあっても着実に実績を残していけるように
なります。
周囲の人々の素直な信じる心が、伊達政宗という人物を教育し、乱世の中に希
に見る英雄を生み出したといえるのです。もし、この素直に信じる心、愛する
心の土台がなければ、この男は自分の欲望のために伊達家とその一族を滅ぼす
人物になる可能性は充分にありました。
政宗にとっては、母親との葛藤はありましたが、父輝宗との愛情交流はよくで
きたのが救いであったように思います。輝宗は政宗の本質的な優しさ、思いや
りに愛情を感じ、政宗は性格的に強い所はぶつかりますが、細かさと気配りに
は愛情を感じています。
<子を産むときの動機が母としての愛情のあり方と運命を決める>
ここで"不信"という2文字を背負ってしまった母義姫の苦しみを書いておきま
しょう!
間違った動機で(己の欲望のために)政宗を生んでしまった義姫は、政宗を愛
せずにおりました。政宗5才のとき、政宗が疱瘡にかかってしまいます。この
当時、5才で疱瘡にかかれば助かる見込みはほとんどなかったのです。
うろたえたのは母です。これは神罰があったのだと!
ところが、政宗は万海上人のように片目になりましたが、助かってしまいまし
た。そこで、義姫も一時は"信"を取り戻し、政宗を呼んで次のような話をした
とあります。
「一個の葡萄の実を取り出して、これはこなたの左の目玉じゃ!こなたは、こ
の木に登って落ちたのじゃ、落ちる時途中で枝にこの目が引っかかった。母上、
目が出ましたと持参したゆえ、今日まで預かっておいたが、もう返すのはやめ
ます。といって食べてしまったのです。」
このことは、左眼を失った政宗の心中を察し、何とかしたいとの思いと同時に、
政宗の左眼は自らの罪業が招いた結果であるとし、葡萄にたとえた左眼を食べ
てしまったのは、その罪業を自分が背負うことを意味したのです。
こうすることで、政宗は母の影響から解放されて、周囲の"純粋な信"の土台の
上に教育を受けていくようになり、母は自らを伊達家の罪業の中に身をゆだね、
苦しみを背負う人生を送るようになるのです。
人生において"信の動機"を持つか"不信の動機"を持つかによって運命は大きく
変化してしまうのです。
義姫と政宗は、そのことを如実にものがたり、"動機の大切さ"を教えてくれる
のです。
さて、私達はどっちの"動機"を持つべきなのでしょうか?
もし、あなたが目先の損得だけで考えるようでしたら、"すでにあなたは義姫型
"の人生なのです。
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