忠臣蔵の人間像!大石内蔵助良雄の段
■占い的に見た忠臣蔵の人間像!
-大石内蔵助が討ち入りを果たせた占い的理由-
大石内蔵助良雄の段
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前回といっても、2年前の03年12月21日の記事によれば、吉
良上野介義央と浅野内匠頭長矩の殿中における戦争は、とりあえず
幕府の裁定により一旦は吉良側の勝利のように見えたのである。
時の幕府の裁定は、浅野内匠頭が主張した「乱心ではなく、遺恨に
よる刃傷」という点については、何の調査もなく、一方的に浅野内
匠頭の切腹で裁定が終わってしまったのである。内匠頭の武士の戦
争は、「遺恨による刃傷」という主張をあえて幕府に突きつけるこ
とで、吉良との戦いの第2ステージに入ろうとしたのである。
ところが
内匠頭の誤算は、この時の将軍綱吉をはじめ幕閣は、ことの重大さ
に驚いて迅速な対応をしたものの、内匠頭の「遺恨による刃傷」
という幕府に対する戦の仕掛けを理解できず、吉良の勝利を宣言し
てしまったのである。
ここに、大石内蔵助が出る幕が上がったのである。
ここで浅野内匠頭長矩と大石内蔵助良雄の運命式を見てみよう!
◆<浅野内匠頭長矩の占い運命式>
30 20 28
19 38 19
27 18 29
◆<大石内蔵助良雄の占い運命式>
20 8 15
15 27 12
22 19 24
…◎◎…
前回、浅野内匠頭の刃傷事件の性格的な背景を、占い運命式から次
のようにまとめた。
「浅野内匠頭の社会的性格と人気運の関係を見てみますと、人に接
するときの態度というのがよくわかります。頑固で自分なりの考え
がしっかりとあって、それが性格として現れてくるのですが、人気
運を見ると、どうしても人当たりは強くて生意気、偉そうになるの
です。
要するに人に物事を教えてもらうような謙虚な態度はとれない人で
あるというわけです。浅野内匠頭は、何年か前にも同じ役を経験し
ていますから、今更吉良に教えてもらわなくてもわかっていると考
えたに違いありません。
そこで浅野内匠頭は自分なりの考えを持つようになります。」
実はこういう性格が高家吉良との武士の戦(いくさ)の原因になっ
たのだろうが、浅野内匠頭にはもう一つ別の顔がある。
それはなかなかの作戦かということだ。単なる恨み骨髄で、激情に
走っての刃傷ということではないのだ。なかなかの確信犯というこ
となのである。自分が戦争を仕掛けて、果たしてどう敵が出てくる
かということを予想しての行動であったに違いない。それは、彼の
仕事運と社会的な性格に起因するところなのだ。浅野内匠頭の特長
は生一本というか、自分の価値観と信念に基づいて、作戦をしっか
りと立てて行うということなのである。
…◎◎…
ここで大石内蔵助のことについて触れておこう!
大石良雄 (よしたか)1659年~1703年3月20日は、江戸時代の武士、
播磨国赤穂藩家老。姓は藤原を称する。内蔵助(内蔵助)は通称で、
名は良雄(よしたか)。幼名は喜内(きない)。
延宝元年(1673年)父良昭が早くに亡くなったため、祖父良欽(通称、
大石内藏助)の養子となる。内蔵助は山鹿素行より軍学を、伊藤仁斎
より儒学を学ぶ。延宝5年(1677年)祖父良欽の遺領1500石を継ぎ家
老になる。「昼行燈」と渾名されるような凡庸な家老ぶりだったと
伝えられる。
・・・以上ウィキペディア(百科事典)より!
ここで重要なのは、大石内蔵助が山鹿流軍学を学んだということだ。
「山鹿素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰る
ことを主張し、武士道を政治哲学まで高めた(山鹿流兵法)」
…◎◎…
元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松之大廊下で浅野内匠頭が吉良
上野介に刃傷におよんだ。殿中での刃傷に将軍徳川綱吉は激怒し、
浅野内匠頭は即日切腹、赤穂浅野家は断絶と決まった。一方、吉良
上野介には何らの咎めもなかった。
・刃傷事件と浅野内匠頭切腹の報は直ちに赤穂にもたらされた。
・城を明渡した上で浅野内匠頭の弟浅野大学を立てて浅野家再興を
嘆願し、あわせて吉良上野介の処分を幕府に求めることで藩論を
統一。
・4月19日、赤穂城は幕府の収城使に明渡された。
・大石内蔵助は家族とともに京都山科に移り。旧藩士たちと連絡を
とりながら御家再興運動を行った。この頃から、内蔵助の遊興が
激しくなる。
・元禄15年(1702年)4月妻りくを離別。幼い子どもたちの長女くう、
次男吉之進、次女るりとともに実家の豊岡へ帰す。
・同7月、浅野大学の広島藩浅野宗家への永預けが決定。内蔵助は京
都円山で吉良上野介への仇討ちを決定する。
・12月15日未明。47人の赤穂浪士は本所吉良屋敷に討ち入り、本懐
を果たし、浅野内匠頭の墓がある泉岳寺へ引き揚げ、吉良上野介の
首級を供えて仇討ちを報告した。
…◎◎…<大石内蔵助に関するまとめ>
①武士道を政治哲学まで高めた山鹿流兵法を学んだ内蔵助
②「昼行燈」と渾名されるような凡庸な家老ぶりの内蔵助
③刃傷事件と内匠頭の切腹の方がもたらせられたときの内蔵助
④反論を統一するときの内蔵助
⑤女遊びを激しく行う内蔵助
⑥家族を離縁する内蔵助
⑦仇討ちを決定し、討ち入りを果たす内蔵助
⑧辞世の句を詠む内蔵助
あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人
…◎◎…
大石内蔵助の動きをながれで追ってみると、この人でなければ”赤
穂浪士の仇討ち”はできなかったはずだと誰もが思うはずだ。
それほど自然でありながら、戦略的には優れていることに気が付か
れると思う。多くの人に凡庸と思わせながら、仇討ちに持っていく
までの人心収攬の巧みさ、それに世間を欺かんとする遊興ぶり!
これなどは、元々女好きでなければできないことだし、筋金入りで
なければ世間は欺されまい。誰もが納得する家族の離縁。
そして仇討ちに際しての完全武装という用意周到ぶり。
まさに、大石内蔵助あっての”赤穂浪士の仇討ち”ということにな
る。
…◎◎…
こういうことをやってのける大石内蔵助良雄とは、占い運命式的に
は如何なる人物か?その辺を知らなければならない。あらためて内
蔵助の占い運命式を出してみよう!
◆<大石内蔵助良雄の占い運命式>
20 8 15
15 27 12
22 19 24
この運命式の特徴は、「乱世型」ということがいえる。何故かとい
えば、何ら主体的な要素が見あたらないからである。平常時は自分
が無い人間なのだ。
ただ本性は頑固な芯を持っているが、それは表面にはすぐに現れな
い。
誰に対しても合わせる相対的な人気運。真面目な着実型の仕事運。
ただ心霊運だけは天下の状況に左右されるという特殊な運命式を
持っているのだ。
だから誰しも平時は②の凡庸な家老と思いこんでしまう。
刃傷事件の報告がもたらせられたとき、「乱心ではなく、遺恨によ
る刃傷」という点を知ったときに、これは藩をも巻き込んだ内匠頭
の”政治戦争”と瞬時に判断したに違いない。内蔵助は、浅野内匠
頭の「自分の信念を貫く作戦型の性格」
◆<浅野内匠頭長矩の占い運命式>
30 20 28
19 38 19
27 18 29
を長年側にいて知っていたに違いない。だからこそ、その後の血判
状をとっての、穏便な反論統一。④という作戦にでたのだ。こうい
うことができるのも彼が特殊な心霊運を持っているからに他ならな
い。だから、誰も大石内蔵助がどんな人間なのかを判断できなかっ
たに違いない。
その後の彼の女遊びは半端ではなかった。女に子供まで産ませてい
るのだ。これは根っからの女好きでなければできない相談だ。置か
れている状況は複雑なはずだ。その中での⑤の女遊びなのだ。これ
は内蔵助の持つ愛情運のなせる業なのだ。女無しでは生きられない
世界を持っているのだ。
こういう愛情運をも仇討ちという大儀のための道具にしてしまうほ
どの激しさを彼の心霊運は持っていた。
当然のごとく⑥の家族の離縁が成立した。誰も不思議に思わない。
むしろ、大石内蔵助という人間性をも誰もが疑うという事態を招く
のが当たり前だ。それを承知で行っている。すさまじいとしかいい
ようがない。
元禄15年12月15日未明、吉良邸への討ち入りが決行された。
⑦その時の赤穂の浪士達は、「討ち入りの際は火事装束に似せた黒
装束でまとめ、頭巾に兜、黒小袖の下は鎖帷子を着込んだ完全武装」
という出で立ちだったのだ。仮名手本忠臣蔵に出てくる太鼓を叩い
てということはない。
こういう用意周到ぶりは大石内蔵助良雄の本性や家庭内性格から来
る気配りの細かさ、緻密さがよく現れている。これでは、寝込みを
襲われた吉良邸はどうすることもできなかったに違いない。
見事首級を討ち果たし、内匠頭の眠る泉岳寺へ引き上げた赤穂浪士
達のその後は、誰もが知っているとおりである。
⑧大石内蔵助の辞世の句は、この討ち入りが「政治戦争」であった
ことを物語っていると考えられる。
……「極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人」……
最後に、この刃傷事件の時の大石内蔵助の流運を見て終わろう!
◆<大石内蔵助の流運・占い運命式>
12 14
12 16
浅野内匠頭の刃傷事件から、吉良邸までの討ち入りの、この時の大
石内蔵助の流運は、まさに時代の影響を直接受けて、人生が変化す
ることを物語る流運を表しているのだ。
●今回の一言
兵とは詭道なり。・・・孫子
故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近
くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこ
れを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこ
れを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、(卑にしてこれを驕らせ、
佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す)。其の無備を攻め、そ
の不意に出ず。此れ兵家の勝にして、先きには伝うべからざるなり。
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