中島 誠之助さん
●「いい仕事」…
古伊万里染付を世に紹介
骨董商 中島 誠之助さん
東京都渋谷区の戸栗美術館で開館20周年記念特別展「からくさ―中島誠之助コレクション」が開かれている(12月24日まで)。人気テレビ番組「開運!
骨董商 中島 誠之助さん
江戸っ子だ。さっぱりした性分に唐草文様はよく合ったのでは、と聞くと「合ってたねぇ。安かったしな」と破顔一笑(戸栗美術館の展示室で)=小西太郎撮影
なんでも鑑定団」でおなじみの中島さんは、港区南青山に構えた名店「からくさ」で古伊万里染付(そめつけ)を扱い、広く価値を知らしめた人だ。以下は展覧会を機にうかがった、骨董(こっとう)商として“いい仕事”をした一代記――。(前田恭二)
◆プロフィール
1938年、東京生まれ。茶道具の目利きだった父・文吾氏の店を手伝い、骨董商の道へ。68年、まず最初の店を持った。
■目指したもの
私が主体としたのは18世紀後半から19世紀前半、市民文化が爛熟(らんじゅく)したころの古伊万里染付です。優れた器はあるが、食器の世界。展覧会を開いて頂けるようになるとは夢にも思わなかったね。着眼する人はわずかで、人によっては「幕末の雑器」と一くくりにしていた。父の世代まで「型物」と呼ばれる贈答用の優品でないと、古伊万里と言わなかった。
1938年、東京生まれ。茶道具の目利きだった父・文吾氏の店を手伝い、骨董商の道へ。68年、まず最初の店を持った。
本当は桃山の茶陶や中国の陶磁を扱いたかった。しかし力がないと立ち入れない世界でね、利益を得るのが難しい。70年にはこれじゃいかんと店を壊した。若かったんだねえ、大黒柱をノコで切り倒して。天井が崩れてきたよ。在庫も換金して旅に出た。主に美濃地方で、業者や市場を回った。すると自分の知らなかった、あらゆる古物市場がある。それが転機となって、染付が目に留まった。
■古伊万里染付
なぜ染付かというと、一番商売になるわけだ。安くて無数にある。そばちょこを段ボール1箱3万円で買ったら、200個以上入っていたこともあった。ただし、私が地方の市場や業者から集める時、茶会席で使える道具という基準線があった。父が茶道具商だからね。めりはりが利いて、間の取り方がいいもの。中島っていう若造の買うものはきれいだと言われたね。
仕入れた2000点を元に76年、「からくさ」を開店。正札・現金取引など新たな発想を打ち出した。
お客さんの顔を見て、値段を言うのも一つのやり方です。しかし雑器と呼ばれた古伊万里染付だ。発想を転換しないといけない。店の造りは銀座のテーラーを研究した。同業者は出入り禁止。逆に婦人雑誌の料理欄の担当者と知り合って、器を使わないかと。雑誌が出ると全国から注文の電話が来た。たちまち軌道に乗って、700日連続で売れ続けた。
だんだん一流の業者までが古伊万里染付を扱うようになったね。だから私は手を引いたんだ。テレビに出始めて、ただで見てくれ、なんていう人も来るようになったので2000年で店を畳んだ。
店舗とは別に、鑑賞陶磁も扱ってきた。先月14日死去した収集家で、戸栗美術館理事長の戸栗亘琉(とおる)氏にも名品を納めている。本展覧会もその縁による。「たこ唐草文瓶」など100点余りは茶道具仕込みの目で集め、手元に残った名品だ。
■格がない人には売らない頑固さ
高買いして、売れなかったもの。だからいいものだ。私は格がない人には売らなかったしね。ただし正直に言うと、たこ唐草は下手(げて)なもんです。いいものは1000点に1点ですよ。そこを分かった上で、たこ唐草なり、古伊万里に取り組んで欲しいよね。中国や桃山時代という原点を勉強して、もう一度古伊万里染付をやると、見方が深くなります。
戸栗さんにはいいものだけお見せしていました。訳の分からないもの、薄汚いものはだめで、お互いさっぱりしていたから合ったんじゃないか。お世話になった方だし、寂しいよ。しかし、人間誰にでも別れは来る。男ってのはベタベタしちゃいけない。だから私は悲しまないよ。
(2007年11月16日 読売新聞)
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■頑固さと情熱はお父さん譲り
「本当は桃山の茶陶や中国の陶磁を扱いたかった。しかし力がないと立ち入れない世界でね、利益を得るのが難しい。70年にはこれじゃいかんと店を壊した。若かったんだねえ、大黒柱をノコで切り倒して。天井が崩れてきたよ。在庫も換金して旅に出た。主に美濃地方で、業者や市場を回った。すると自分の知らなかった、あらゆる古物市場がある。それが転機となって、染付が目に留まった。」
自分の目指すものにここまで頑固になるのかと、ここまで情熱的になれるものかと驚きたくなる世界だ。だからこそ、目利きの世界で第一人者になれたのではないかと思う。
その中島誠之助さんの運命式を見てみよう!
<中島誠之助さんの運命式>
24 14 30
14 37 26
27 23 33
<中島誠之助さんの流運>
18 15 18 24 18 24 18 24
21 18 21 18 21 18 21 18
中島誠之助さんの運命式からは、
社会的な性格は、しっかりとしたこだわり、頑固さ、自分の世界を持っていて、その中にあらゆるものを当てはめてみる尺度があります。
そして仕事運は、自分が一番でリーダー的な強い運勢を持っています。ですから、この頑固でこだわりの性格と強い仕事運では、自分一人の見識で仕事をしていくのに向いています。
しかも、流運を見ると、安定した運勢のある流運の流れなのです。仕事的に人と関わりを持つ運勢もありますし、とてもいいのですが、何しろ激しい性格がでてしまいます。こだわりと自分を守る世界がしっかりとあるのに、それを実現するのにあまりに極端に激しさが出てしまうのです。それが、良い意味で回転しているのが、中島誠之助さんです。
これはお父さんの力を引き継いでいるといえるでしょう!
■父・文吾氏の運勢
<中島文吾氏の運命式>
21 14 18
11 25 14
15 11 21
<中島文吾氏の流運>
18 15 18 24 18 24 18 24
12 18 21 18 21 18 21 18
◆驚いたことは、お父さんとそっくり!
親子二人の運命式を並べてみると、ビックリします。それは二人が全くうり二つのような運命式を持っているからです。
もちろん家庭内では性格的にお父さんの文吾氏とは異なって、誠之助さんの方がもっと強い親分的なところがあるのですが、それにしても、社会活動の面ではこんなにも似ている親子は珍しいといえます。
ただ文吾氏の方は仕事運がもう少し、静かで作戦を考えながら進めていくのに対して、誠之助氏は思いっきりの良い明るく男性的な、氏が言われるように「江戸っ子」的な気っぷのいい仕事の運勢を持っています。
そういう違いはあっても、自分の持っている頑固、こだわりと情熱の世界は文吾氏も誠之助氏も同じなのです。
■商売のうまさ
「お客さんの顔を見て、値段を言うのも一つのやり方です。しかし雑器と呼ばれた古伊万里染付だ。発想を転換しないといけない。店の造りは銀座のテーラーを研究した。同業者は出入り禁止。逆に婦人雑誌の料理欄の担当者と知り合って、器を使わないかと。雑誌が出ると全国から注文の電話が来た。たちまち軌道に乗って、700日連続で売れ続けた。」
中島誠之助さんの仕事ぶりは運命式的によくわかるのですが、骨董商というのは結局は商売ですから、商売的にはどうなのかということになります。
中島誠之助さんの経済運を見てみましょう!
これを見ると、考えた買い付けをして、分かる人にしっかりと販売する。こういうスタイルが経済が回転する道になります。
その通りに、発想の転換をして新しい分野で商品を買い付け、販売にあたってはそれに価値付けをしっかりと行い、分かる人に販売する。
そういうやり方は、まさに中島誠之助さんの運命式にあっているわけです。
■格がない人には売らない頑固さ
「高買いして、売れなかったもの。だからいいものだ。私は格がない人には売らなかったしね。ただし正直に言うと、たこ唐草は下手(げて)なもんです。いいものは1000点に1点ですよ。そこを分かった上で、たこ唐草なり、古伊万里に取り組んで欲しいよね。中国や桃山時代という原点を勉強して、もう一度古伊万里染付をやると、見方が深くなります。」
自分の仕事に対する頑固さというのは、凄いプライドにも通じる。そういう頑固さと筋を曲げない価値観のすごさをしっかりと持っているところが、かえって信頼を骨董の世界では築くのに役立ったはずです。
その頑固さがありながら、人気運は人の中で人のつながりを大切にしていくということから生まれます。骨董という特殊な世界にいるからこそ、この頑固さが財産なのだと思います。それがあるから、かえって人のつながりという人気運に良い意味で信頼がでたのでしょう!
本来は、頑固さは人のつながりという人気運に影を落とすのですが、中島誠之助さんの場合はいい方向にでているといえます。
●ポイント
頑固さに通じる価値観は、これからの大きなポイントになります。価値観の幅を広げていく勉強をしていくことで、もっと大きく良い意味で運命式を使うことができるからです。「なんでも鑑定団」これからは、歴史上の人間までも鑑定して欲しいものと思います。
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