★★戦国乱世へ・歴史の道程★★
■鎌倉幕府との違いを考えてみよう!!
源頼朝が開いた鎌倉幕府は、血統的には武家の統領という源家の正統であり、それだけで在郷の武士達に対する求心力は、中心的な大きな力を持っていた。しかし、頼朝の平家に対するクーデターは、在郷武士の平家に対する不満を吸収する形で行われたために、鎌倉武士団の意向を実現する形で幕府を開くことになる。
それで武士団の目的とは何か?それは、朝廷からの独立であり、国家共産主義からの経済的な政治的な自由解放である。武力によって理不尽な朝廷から権力を奪い、それを実質的に合法化する機関が必要であったということなのである。それが幕府の役目である。
ですから、合議制の連合内閣の議長が将軍ということになる。
将軍が絶対権力を持っていたというわけではないのである。
それでも、源家の直系が嗣いでいたときは、その権威は絶対的であった。
しかし、源家が3代で滅んだとき、北条執権が現れて、北条得宗家が代々執権職を嗣ぐ形で権力を維持してきた。だからこそ、北条家は絶対的な権力を維持すべく敵対勢力を破滅に追いやる内部闘争をたえず繰り返さなければならない運命にあったのである。
そして北条得宗家に対する不満が頂点に達したのと、それは御家人の困窮に原因があるのであるが、そのことは鎌倉幕府の相続制度に問題があるということになる。時を同じくして朝廷の人事問題で後醍醐天皇という最悪の天皇が出現したことで、「建武の新政」が武士の力によって出現することになるのです。
後醍醐は情勢判断が甘かったのか所詮は坊ちゃんなのか、自分の力とばかりに凝り固まった儒教思想で専制君主を目指そうとします。
そんなことがわかってくると、武士達は俺たちは後醍醐のために鎌倉幕府を倒したのではないと思うようになります。そこで、武士達は建武の新政に最も大きな力を持った足利氏に期待を寄せるようになります。何故ならば、血統的には足利氏は源家の正統な流れを最もよく引く家柄なのです。
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