こうして武士団の力と支援を背景に足利氏は幕府を開設していきます。それが室町幕府になっていきます。
同時に、朝廷が武家の軍事を利用して権力を維持し、または己の野望を達成しようとしたところから、そこへ朝廷の権威を利用しようとする武家も現れて、恐ろしい南北朝の対立時代が訪れるようになるのです。その問題を絶対的な軍事力を室町幕府3代将軍足利義満が握ることで朝廷の内部闘争に終止符を打つようになったのです。
足利義満は、優れた策謀家でしたから、朝廷の内部闘争で国を疲弊させてはならないと、朝廷の権力を永遠に奪うことを考えていたようです。そこで、彼は自分の子を天皇にして、自分は太上天皇(上皇)の尊号を得るようにしたのです。
こうして足利氏による武士の政権を盤石なものにし、朝廷からいっさいの権威を奪い、朝廷の日本全土の土地の国有管理という共産主義からの実質的な脱皮を目指そうとしたのでしょう!
ところがその足利義満が急死してしまいます。
このことは、朝廷という権威の失墜を天が望んだのではなくて、天は別の方法を目指したと考えるべきでしょう!
天の意志というよりは、霊界にいる頼朝の意志と考えてもいいかもしれません。日本の土地を朝廷や貴族の管理から外して、武家による自由な経済体制を本格的につくらなければこの国の本当の未来はないといえることです。
その為には、まだまだ乗り越えなければならない多くのハードルが残っているということです。朝廷の首をすげ替えるだけでは結局は治まらないということなのです。
その産みの苦しみを、室町幕府は受け持ったのです。
既存の権力の破壊、そこから新しい本当の権力を生み出そうとしたのです。その時まで産みの苦しみを続けなければならないということです。
■★室町幕府4代将軍・足利義持の新たなる出発
足利義満の死がもたらしたものは、その死因が何であれ室町幕府に再び権力の空白ができてしまったということなのです。足利義持は3代将軍義満のように絶対的な権力を標榜できたでしょうか?
答えは「否」です。