■いさんでTBSへ入社したけど
勇んで入社したTBSでは、当初から冷遇された。当時の上司が軍隊にいたころ、その上司をいじめた軍曹に容姿や声がそっくりだったからという。与えられた仕事は、時報や生CMなどの雑用的な仕事ばかりだった。
「クヨクヨもしたけど、家に帰ったら、娘の顔を見て鼻歌を歌うことで気持ちを切り替えていた」
■配置転換めげなかった
入社6年目にはついにアナウンス部から出された。ディレクター、著作権担当、社会部記者……。次々に部署が変わり、そのつど一から仕事を覚えたが、めげなかった。
「格言が大好きで、不撓不屈や臥薪嘗胆(がしんしょうたん)といった言葉にずいぶん助けられた。また、孤独を恐れずにマイペースを貫いた」。苦労が認められ、アナウンサーの仕事に復帰したのは45歳の時。50歳を過ぎてニュース番組のメーンキャスターとなった。「夢を捨てなければ達成できるんだと、本当にうれしかった」
若い世代にはこう呼びかける。「いい夢を持ち、実現すると思ってほしい。それがいかに力になるか。僕の体験的実感です」
「不撓(ふとう)不屈。いいですね。大好きな言葉です」。何度も同じ言葉を繰り返した。バラエティー番組で見せる「きまじめな人」というイメージ以上に、この言葉が似合う、闘い続けてきた道のりだった。
(読売新聞ー小林佑基)
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■青雲の志を掲げて、20年以上も冷や飯を食わされた・・・
鈴木史朗さんのアナウンス姿を見るに付け、そのまじめさからは過去にそんな苦労があったとは想像もつかないのであるが、それにしても、20年以上も冷や飯を食わされ続けてよくも腐らなかったなあと関心を通り越して、あきれてしまうのである。
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