桎梏化してしまった既得商業権益である「市」や「座」を廃止して、自由な商業政策をとり、流通を活発化させた。これも旧来の室町政権からの制度を破壊し、戦国大名達の勢力を拡大するためである。
※■楽市・楽座とは?
楽市・楽座(らくいち・らくざ)は、日本の近世(16世紀から18世紀ごろまで)において織田信長、豊臣秀吉の織豊政権や各地の戦国大名などにより城下町などの支配地の市場で行われた経済政策である。楽市令。破座。「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となった意味。
既存の独占販売権、非課税権、不入権などの特権を持つ商工業者(市座、問屋など)を排除して自由取引市場をつくり、座を解散させるものである。中世の経済的利益は座・問丸・株仲間によって独占され既得権化していたが、戦国大名はこれを排除して絶対的な領主権の確立を目指すとともに、税の減免を通して新興商工業者を育成し経済の活性化を図ったのである。■※
「天下布武」全てはこの理念の元に集約されるということになる。信長にとって武家政権に敵対するものは何かということを考えてみる必要がある。
それは、天皇という権威、宗教という権威である。
次に宮廷と結びついた室町幕府以来の様々な制度である。これらは、武家政権のためには改革しなければならない対象ということなのである。
だから、貴族が築いてきた平安京の理想である「平安楽土」という思想を、武家政権を中心として実現しようとしたのである。
その改革の象徴が楽市楽座に表れ、流通革命をしようとしたと考えられる。
そこで、もう一度安土城の位置を考えてみよう!
京都は結界に守られた政治都市であった。魔界との戦いのためにその封じ込め作戦が御所を中心とした碁盤の目の都市計画である。
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