アテネが終わった後、昨年7月、父・英男さん(59)には、打ち明けている。「おれ、北京で終わりにしようと思う」
アテネと2度の世界選手権で重量級3階級を制覇。達成感もあり、柔道から気持ちが離れ、サーフィンに興じる日々があったのも事実だ。「早く引退しろ」と陰口をたたくコーチもいた。
この状態から、心機一転して「最後は高校3年から“本職”だった100キロ級で優勝したい。」ということで、北京を目指してきた。そしてその大舞台で敗北を喫してしまった。
そこに何があったというのだろうか?
もう一度アテネの時を見てみることにしよう!
★★★………本来は100キロ級。対戦成績3勝1分け3敗のライバル、井上康生がいたために100キロ級の代表権を得られなかった。
五輪の怖さを見せつけられた。前日、あの康生が100キロ級でまさかの敗退。日本チームは重苦しい空気に包まれた。「康生さんが負けたのには驚きましたが、それがオリンピック。緊張感が出ました」。康生さんのためにも勝ちたい。いや、勝たねばならない。
4月の全日本選手権前に、1通の電子メールを受け取った。「一緒に(全日本で試合を)やろう」という康生からのメッセージ。その返礼とばかりに全日本で康生を倒し、五輪切符を獲得。「2人で金メダルを獲ろう」と約束した。ところが…。屈辱にまみれた康生だが、この日、会場に現れ、激励してくれた。「イケよ!」。短い言葉で送り出してくれた。目を見て誓った。「絶対に勝ちます」と。そして、ニッポン柔道最強伝説を、体現してみせた。★★★
「もう一つ人の愛情をバネにするタイプ」というドラマが、アテネにはありました。それが彼の運命式に火をつけたのです。
でも、北京には、この「もう一つ人の愛情をバネにする」というドラマがありませんでした。だから、鈴木桂治選手には、力が出てこなかったのです。
★メダルを手にできなかったその他のタイプの選手
●金丸雄介選手の場合、
<金丸雄介選手の運命式……73s級以下……>
15 11 23
12 27 15
24 16 19