この時期は早稲田で勉強しながら、青雲の志を実現しようと頑張ったときであり、またTBSに入った後も自分は何でもできるという強い自信に裏打ちされた行動ができるようなときであった。だから、どんな逆境にも負けない心の強さは持てるときでもあり、それを形にすることもできたときである。
しかし、社会に出たこの時より仕事運の魔の手は鈴木史朗に迫っていたといえる。
……☆☆いさんでTBSへ入社したけど
勇んで入社したTBSでは、当初から冷遇された。当時の上司が軍隊にいたころ、その上司をいじめた軍曹に容姿や声がそっくりだったからという。与えられた仕事は、時報や生CMなどの雑用的な仕事ばかりだった。
「クヨクヨもしたけど、家に帰ったら、娘の顔を見て鼻歌を歌うことで気持ちを切り替えていた」
★30才から60才くらいまでの流運
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この時期は、鈴木史朗の運勢の中で本格的に魔の手が伸びて、自分でもどうにもならない世界に入ってしまっていることに気がつくときでもある。しかし、ここからが問題である。自分の運勢に逆らわないで、しかし決して希望や自信を失うことなくすすめたのである。それも、運命式の主体性のなさと流運の精神的な強さという矛盾するようなバランスが作り出した業であった。
運命の魔の手の攻撃に従容と従いながらも、初志をあきらめなかったことで、反対に悪魔の方があきらめて降りてしまった。そのことが晩年の「大願成就」につながるのである。
……☆☆配置転換めげなかった
入社6年目にはついにアナウンス部から出された。ディレクター、著作権担当、社会部記者……。次々に部署が変わり、そのつど一から仕事を覚えたが、めげなかった。
「格言が大好きで、不撓不屈や臥薪嘗胆(がしんしょうたん)といった言葉にずいぶん助けられた。また、孤独を恐れずにマイペースを貫いた」。苦労が認められ、アナウンサーの仕事に復帰したのは45歳の時。 |