だから土地ということが名字の背景にはあるので、名字については先祖達が大きな関心を寄せるようになるところということがいえる。
ここが問題である。先祖が関心を持つということは、当然に先祖とのつながりを示すものだから、様々な先祖的な影響が出てくるのは当然のことである。いずれにしても、先祖との関わりを抜きにしては自分を語ることはできないのですから、姓の持つ意味は好き嫌いにかかわらず、先祖と私の架け橋ということになるでしょう!
◆ 名の持つ意味:
さて名前というのは、私たちの両親が誕生してから一生懸命考えてつけてくださった尊い名前なのである。でもその名前は両親のいっぱい願いが込められた名前なのであるけれど、両親のつけたその名前をずっと背負わなければならないのも自分自身であるという現実もあるのである。
そういう意味では江戸時代までの方が名前については自由であったということがいえる。それは、名前は子供が成長する段階に合わせて返るようになっているからである。具体的には元服の時に幼名から大人の正式名をもらい、世に出て大きな活動をするようになると、雅号をつけて自分を自己主張することが頻繁に行われたのである。
それに、武士以外は正式名は持たなかったようにいわれているが、それは間違いで皆ちゃんと先祖以来の姓名をしっかりと持っていたのである。ただ、公式の場でそれを名乗ることができないとされていたに過ぎないのである。
だから名前は個人を表すものなのだけれど、その個人の変化に合わせて名前を自由に変えることができたという便利さがあった。
現代は、戸籍が固定されてしまっているから、勝手に名前を変えることもできなければ、勝手に名告ることもできないというやっかいなことになっている。それは税金や相続などお金に関わる個人を識別する必要があるために、勝手に名告ることができなくなっただけである。
本来、名前というのは付ける親の方も、元服するときにしっかりとした社会的な有力者に烏帽子親になってもらい、行く末の後ろ盾になってもらったのである。だから、社会に出るようになって愚かなことはできないような仕組みが社会的にできていたということがいえる。