そういう小早川隆景を世に送り出した有名な話は、やはり本能寺の変の時の決断である。
秀吉が中国攻めをしているとき、本能寺の変が起こった。この時には、秀吉は備中高松城を水攻めにして城主清水宗治を自害に追い込んだ。そして世に名高い中国大返しをやってのけたのである。
この時になぜ毛利軍は秀吉を追わなかったのかということになる。
ここに小早川隆景の活躍がある。
兄の吉川元春は追撃を強硬に主張した。しかし隆景は「天下はやがてかの者(秀吉)のものとなる。今追撃すればやがてはかの者を敵に回して正面衝突するのは必定。ここは黙って見過ごし、中国者の度量を見せて彼に恩を売っておくべきだ。必ず当家にとって有利な展開になる」
事実その通りになって、秀吉は山崎の合戦で明智を破り天下人への道をまっしぐらに走ることになる。
その後、秀吉の時代になってからは、小早川隆景は秀吉から信頼され五大老の一人に数えられるまでになった。
★運命式:
24 12 23
21 35 20
32 23 32
★運命式からみた小早川隆景
小早川隆景が思慮深く、状況をよく判断しながら作戦を練ることのできた知将であるのは、その運命式がよく表している。
それは、隆景が環境を無視できない性格を持っていること、その中で何をどうすべきかという思慮深い性格も併せ持っているからである。
といって、勇猛でないかというと、戦場では強いリーダーシップを発揮することのできる主体性を持っているのである。また、人に対しても情の厚い姿勢を見せるから、多くの人が信頼を寄せるという具合になる。