2)知恵と権謀術数に優れた武将
以下に挙げる三人の武将は、知恵や知識、戦略、技能、情報を駆使して、自らの生き方を開いてきたといえる。だから、武断派というよりは、情報や知識、技術を駆使した頭脳派ということがいえる。これらを最大限に利用して自らの組織を守り、乱世の中でサバイバルを成し遂げることができたということだ。
◆藤堂高虎:
藤堂高虎という人物は、戦国時代にあって主人を7回も取り替えているのである。この激動の時代を乗り切り、江戸時代には外様大名の筆頭にまで上り詰めることになる。このような人物が何故江戸幕府で重きをなすことができるようになったのか? そのことを考えてみる必要がある。
藤堂高虎は、近江の国の生まれで浅井長政に仕え、姉川の決戦では徳川軍と死闘を演じている。しかし、浅井氏が滅亡すると様々な大名に仕えてはやめてしまうということが続くようになる。要するにこれといった人物に出会わなかったということになる。
そんな時に、自分を高く評価してくれたのが秀吉の弟・羽柴小一郎秀長である。この時代、主人を変えることはそれほど悪いことではなく、今の転職時代と同じでごく普通に行われていた。ただ彼の場合は、変えた主人の数が異常に多かったということである。
しかし、よき主人に出会えた高虎は、よく頑張って家老にまで上り詰め軍政両面に渡って活躍するようになる。ところがその秀長が死去してしまうと、去就に迷い一時高野山に隠棲することになった。
しかし、人材を募集していた秀吉は高虎に目をつけ秀吉の招請で直参の大名となったのである。朝鮮の役でも活躍をしたが、秀吉亡き後は徳川家康に近づき関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦った。
家康は高虎を高く評価していた。それは、彼が忍者をうまく使えたということ、築城術に優れていたこと、鉱山開発ができたこと、鉄砲の扱いに優れていたこと等彼が特殊能力のレベルが相当高かったことを意味している。
そして何よりも、彼は時代を読むことがッできたといえる。だから、次の一手を間違えないで打つ準備ができたということなのである。