しかし、米沢藩の置かれた状況はそれどころではありません。もう限界を遙かに超えてしまっています。
この運命式では、自分を守るということや自分の生き方やスタイルを簡単に変更するとはできないのです。だから、どんなに事情が悪くなっても、自分の生き方や生活を変えないという頑固さがあります。
それに仕事運では、結局頭でしかしないということですから、どうしても頭でっかちになりがちということになります。理解はしても実行力には疑問符がつくということになります。
いいところは、人気運はそれでも優しさを持っているということです。人に優しいというのは、この人の「美点仰視」ということだと思います。
★ですから、七家騒動の時は、鷹山公(治憲)を応援しています。
「隠居後も余り政治に口出ししなかったが、鷹山(治憲)が厳しい倹約令を出して家臣団から凄まじい反発を受けた(反対派の家臣芋川延親が鷹山(治憲)の袴の裾を掴んだ事もあったとされる)ことがあるが、これに重定は「養子とはいえ我が子に無礼である」と激怒し、改革の抵抗勢力であった色部照長や千坂高敦を蟄居閉門、須田満主、芋川延親を切腹にするなどの厳しい処罰、改革のブレーン細井平洲に嫉妬し抵抗勢力のブレーンであった藁科立澤も斬首に処した鷹山(治憲)の処置を支持するなど、鷹山(治憲)の改革に陰ながら協力をした。また、次男の治広が藩主になった際も、隠居した治憲に藩政後見を要望したという。」
●まとめ
東北の名君・上杉鷹山公の運命式を解析してみて、やっぱり天はこの地上の配材をちゃんとしているなと感じざるを得ないのです。
上杉米沢藩が窮地に陥ることになっても、ちゃんと存続して何かを私たちに見せてくれています。それは、