●今日の為になる一言


●今日の為になる一言


多くの人が歴史上活躍してきた。

その人生は普通人よりも過酷であることが多い。

その体験の中で生まれたのが、その人の残した言葉である。

私たちが相続すべき多くの含蓄がその中にはある。

そんな、「為になる一言」を解説してみました。


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●著名人たちの格言をコメント


●著名人たちの格言をコメント


愛する、それはお互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることである。
(サン・テグジュペリ フランスの作家)


これはなかなか出来るようで難しい!
今のように、価値観と仕事が多様化している世界では、どうやって方向性を見つけるのかということである。

子供は様々な考えを、自由にしている。
そして、瞬間にして変わる。
そんなのにどうやって方向性を一緒に出来るだろうか?

でも、答えは簡単である。
その時々に、「そうだ!頑張ろう!」といって、考えてやることさ!
そうすれば子供の方で自分の方向性を見つけるようになる。
その時一緒に考えてやったことが子供には財産になる。

じゃあ、夫婦は?
これも答えは簡単! 共通の目的を持つことです。
でも、家を建てるとか、車が欲しいとか、そんな「したいこと、やりたいこと」の目的はダメです。

「なりたい夢!」を持てば二人は協力することが出来るようになるよ!



私たちに偉大なことはできません。偉大な愛で小さなことをするだけです。
(マザー・テレサ ユーゴスラビアのカトリック修道女)


昔、マザーテレサの物語を見たことがある。
正直言って感動したんですが、こんなことはできない。
僕にはできない。っていうのが本当の感想なのです。

ということは、偉大な愛がテレサには望んだという証明になるのです。

マザー・テレサは偉大な愛をどうやって手に入れるかを知っていたのです。
でも、そのノウハウを教えてくれないで、天国の人になりました。

それで、私たちには次の言葉がふさわしいのです。

私たちに偉大なことはできません。
偉大な愛で小さなこともできない為、ささやかなボランティアをします。



愛されるだけでは物足りない。愛の言葉もかけてほしい。
静寂の世界は、お墓の中で十分に味わえるのだから。
(ジョージ・エリオット イギリスの作家)


アイラブユー!自分のかみさんに、これがなかなか言えないのが、日本人!

そんなことはない。
今の世代は皆言っている、と反論されそうであるが、少なくとも団塊の世代ぐらいまでは、口が裂けても言うか!
何て人が多いのではないだろうか?

これは私の思い過ごしか?であればいいのだが?
かみさんに聞いてみた。
「女の人はいつになっても、わかっていても言って欲しいと思っているんだから?」 なんだって!

こんなところにも勇気を払わねばならない男って、かわいそうですね。
今からでも”静寂が欲しい”とお思いですか……??



20歳だろうが80歳だろうが、とにかく学ぶことをやめてしまったものは老人である。学び続ける者は、みな若い。人生において一番大切なこと は、頭を若く保つことだ。
(ヘンリー・フォード アメリカのフォード創始者)


こういう基準を照らし合わせてみると、最近の十代は痴呆化現象といわれますから、老人が増えていることになります。

それに学ぶことをやめた人というのは、生活感のない人でもあります。
生活をエンジョイするというのは、色々と自然やら、おばあちゃんの知恵やらいるわけです。
そういうことがなくて、外食だけで楽しむ人は、これまた老人です。

そういう意味では日本は老人天国なのです。
世の中これから2局化現象になるといわれています。
すると、いつの間にかわずかな若者と大多数の爺と婆が増えるということななるのですかねえ?

老人が老人を介護してうまくいくはずがないと思うのですが?



曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠な らざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。
(論語より-曾子)


まあ、曾子さんのように、いつも我が身の反省をしておられる人はいいのですけど、こんなに反省ばかりしていると、”何とか反省猿”なんて、現代では言われそうですけどね!

真意は別として、孔子様は貴族に対しての心構えを説かれたのであって、市井に生きる一般庶民ではなかったのですね!
でも、日本人のえらいところは、こういう高尚な指導者階級の学問を取捨選択して、庶民にも通用できるようにしてしまったのです。
これが江戸時代にはやった”心学”なんですね!

そうすると現代人は、江戸時代の人より、どうかな・・・・??考えてみて下さい。ということでしょうよ!

子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。
(論語)



世の中には地位を崇拝する人間もいるし、英雄を崇拝する人間もいる。
また、権力を崇拝する人間もいるし、神を崇拝する人間もいる。
そしてこうした架空のものをめぐって、彼らは議論をたたかわせている。
しかし彼らの誰もが一様に崇拝しているのは――金だ。
(マーク・トウェイン)


権力について考えてみた。辞典には次のように書かれている。
「他人を支配し従わせる力。
特に国家や政府が国民に対して持っている強制力」

マークトゥエインがいうように、権力とは金力なのだろうか?
他人を支配し、従わせる力は、何も金力だけの強制力だけとはかぎらない。

人間は”愛すれば”進んで従い、行動するようになる。

ということは、もし人に”愛”があれば、権力はいらないということになる。

でも、最近は”夫権””父権””暴力””母権”など権力を行使しようとするカ ップルが多くなっている。

これは、愛がなくなってきていることの証明ではないか!
--愛があれば、権力はいらなくなるか??--

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道を知っていることと実際に歩くことは違う。
---マトリックス---


これは、これからの私たちにはちょっと”ジーンと来た”のである。
現代社会は、マトリックスのように、システム化され、ほとんどそのシステムの中にうまく適応できた者のみが、富や名声、幸福をある程度獲得できる世界であると思う。

すると、そういう決められたシステマチックな世界には生きたくないという天の邪鬼な考えも一方にはある。

そのシステムに反発したくなるのである。
ところが、昔のように(団塊の世代が活躍した時代)システムの完成度が高くないときは、いろいろと武勇伝も生まれたのであるが、現代のように完成度の高いシステムができあがってくると、なかなか武勇伝は生まれないものである。

ところがどんなにシステムを知っていても、これを運用することは別問題なのである。
要するに自分で歩くことと、知っているということとは違うのである。

ここに道が隠されているように思う。

古来より日本人は、物事をうまく運用する知恵を持っていた。
もうちょっとそれを学ぶことの方が、新発見につながるかも?
古の知恵を大切にしたいものです。そういう知恵ある老人はいますよ!



資本主義には倒産がつきものだ。キリスト教に地獄があるように。
---フランク・ボーマン---


人は地獄をよく造りたがる。昔の仏教絵巻にしても、地獄絵図なんて言うのは迫力満点である。
科学的な知識を持たない昔の人は、よきにつけ悪しきにつけ、そんな超神秘的な力にひかれたものである。

今では、「誰も地獄なんか」という思いであるが、あの世の天国や地獄を信じない現代人にとっては、やっぱり救いがないと感じるのは僕だけだろうか?

何故かというと、あの世に天国や極楽があろうがなかろうが、この現実に地獄が出現するのは事実であるからであり、その地獄の住人にいつ自分がなるかも知れないという不安は、誰しも持っているからである。

そうすると、昔の人の方が心が豊かであったのは間違いのない事実のように思えてくる。
何故なら、雷様がなれば、それは自分に対する天の怒りか、何か意味のあるお告げかも知れないと考えるからである。

現代人は、「なんだ!放電現象か?」これでは、人の豊かさの指標である文化や芸術は生まれてこない。
便利な世の中になったけど、やっぱり、豊かさは昔の人に習うべきと思う。

「雷様がおへそを取りに来る!」
そう考えることは、楽しいことだと思いませんか?



自由でないのに、自由であると考えている人間ほど奴隷になっている。
---ゲーテ---


自由という言葉は、かの有名な福沢諭吉先生が訳した言葉であるといわれている。
何事も-自らをもって由とする-というのが、真意であるが、今時そういう意味で自由を生きている人はどのくらいいるであろうか?

好き勝手気ままに生きることが自由であると考えている人が、現代の若者の姿であるとすれば、それこそまさに、知らない間に決められた社会のシステムの奴隷になっているとしかいいようがないのである。

社会に抵抗しているようで、実は社会の奴隷になっているというのである。

「-自らをもって由とする-」そういう生き方ができるようにならないと、本当にいい社会はできそうもない。



たとえ信仰はもっていなくとも、祈るということはなんとなく気の休まるものである。
---チェーホフ---


確か、昔の記憶に寄るのだけれど、アメリカに行っていたときに、あるアメリカ人からこんなことを言われた。
「あなた方は何故祈らないのか?祈らないと言うことは人間ではないということだ!」

その時はずいぶんひどいことを言う奴がいるなあ!この人もファンダメンタリストか?などと思ったものである。
でもよくよく考えてみると、日本人もずいぶんと祈りの世界に生きてきていると思う。
西洋人のように「ああ、神様!」何て世界はないけれど、東洋人らしいもっと深い心情の世界で、見えないものへの希望と期待、そして願望が素直に宿っているように思う。

秋祭りも、そろそろいろいろな所で終わろうとしている。一年のうちに何回か超自然的な大きな力に自分の心をぶつけてみることは、本当の自分に出会うことなのかも知れない。
そういえば、厳しい冬を乗り切り春を迎えるところには、心のエネルギーが文化となって現れるような気がする。

祈りに関心を持つようになると言うことは、秋のせいなのか?それとも年のせいなのか?
秋のせいとしておこう!そのほうが希望があるではないか!



仕事が楽しみならば人生は極楽だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ。
---(ゴーリキー)---


健康お宅の僕は、あれやこれやと人がいいというものから、新聞やテレビで見たもの聴いたものを何でもやってみる。

でもたいがい長続きしない。我が家のママさんが一言「いくら健康にいいったからって美味しくないものが長続きするわけないでしょ!」

これは一本とられたって感じです。こういう考えが女性を長生きさせる秘訣かってその時思い知らされました。

人間にとって、やっぱり「楽しい!」ってキーワードを忘れたら、人生は地獄に変わるでしょうね!
生活の中で”感動!”を体験している女性は、いい生き方をすると思います。

ちょっとは見習わなくっちゃぁね!



蟻ほど上手に説教するものはない。しかも蟻は一言も言うわけではない。
---フランクリン---


現代人はペットをよく飼っている。ペットすなわち愛玩動物である。
愛玩動物というように、それは寂しい現代人の心をいやしてくれる最高の友である。何故なら、彼らは決して裏切ることがないからである。

それだけ、人間社会が裏切りと憎しみが横行している証明かも知れない。
それでもペットは生き物である。万物なのである。
彼らは自然という法則の中で生き、人間に対しては愛情の感応体として存在している。
簡単に言えば、人間の愛情の多少がペットに現れるのである。ですから、ペットを見れば、主人である人間の愛情の多少がわかるというものである。

昔、お爺さんがいっていた。
「石の方がいい!何故か?石は不平を言わないから!」
人生を長く生きた人だけに許された言葉である。

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