命名についてもう一度考えてみよう!名前をどうして人は付けるのかということだ。そこが不思議だからしょうがない。名前には必ず命名の由来や意味がある。そういうことがしっかりと語られていることに価値がある。もし自分の名前に何の意味も価値も見あたらなかったらどうだろうか?お母さんやお父さんに、「どうして僕、私の名前を付けたの」って聞いてみたときに、自分の名前の物語があったら何と素敵なのでしょう!それだけで生きる力や、自分の原動力になりませんか?もし「ただ何となく!」では、がっかりして「自分なんかあまり期待されていなかったんだ」と思ってしまうでしょう!
それは人生にとって大きなマイナス要因になるのです。
自分の子供に物語を与えてあげることも親としての重要な使命と考えるのがいいと思います。
だから、命名というのは考える親も大変なのですが、そこはやはり命名のプロに依頼するのが何といっても懸命なはずです。何故ならば、何百という命名のアドバイスを扱っていますから、その蓄積されたデータはすごいものがあります。
命名で一番苦労することは、本人の運命式のバランスとそれ以上に親子の相性が問題になるのです。名前の持つ運勢というのは、実はその家の持つ特徴によってある程度大きな川の流れのようになるのです。その大きな川の流れのような運勢の中に、命名する赤ちゃんの運勢がすっぽりと入ってくるのです。だからその川の流れから外れてしまうと、折角の持っているいい運勢もそれを上手に運営するスキルを身につけないで育ってしまいます。
だから命名というのは、先ず人生のスタートラインにたつ準備ということになるのです。
ここでつまずくと、それからの長い人生路程に相当後れを取ってしまいます。親の使命としてはそういう環境権の設定を十分してやることが子供に対する愛情であるはずです。