創世記2章21節
「そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠ったときに、そのあばら骨の一つをとって、そのところを肉でふさがれた。主なる神は人からとったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。「これこそついに、/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。男からとったものだから、これを女と名付けよう。」
ここでは、女は”骨”で表されています。ヘブライ語で骨というのは「本質そのもの」を表します。だから、骨を女としたのは、女は男アダムの「自分の本質そのものだ」という物語があるのです。
男と女にはこういう物語と因縁があるのです。だからこそそこには男と女が出会い結ばれる決定的なが関係が隠されていることを意味します。聖書には次のようにある。
創世記2章24節
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び会い、一体となるのである」
だから人間が何故結婚するのか?何故男と女は引き合うのか?
そういう単純だけど深遠な疑問は、人類の創世記の物語にあったのです。
女は男の骨だから、本質だから、男は女の言葉を無視できないのです。それは自分に最も必要だと骨(本質)が言っているのだから・・・。
男も女も、夫も妻もちゃんと向き合って互いの本音を話し合うことが、自然なのです。これができることが本当の夫婦といえるでしょう。