彼らは仕事には困らないので、店のために頑張ろうという気持ちになってくれないんです。
店は繁盛しても、従業員が居着かない。どうすれば定着してくれるのか。調理師たちと話すうちに、彼らが自分の店を持ちたがっていることに気づく。それならと社員の独立を支援する制度を作った。
「最初のうちは『どうせ社長の身内だけだろう』と社内でも半信半疑の人が多かったようですが、公募で入社してきた人が店長になってから、みんなの目の色が変わった。
部下を育てて独立させた店長の給料を上げる制度も作り、グループは拡大していった。だが、店を増やすには資金がいる。「持ち株が値上がりすると、幹部が出て行くよ」との知人の忠告に悩みながらも株式を公開したのも、拡大のための資金作りだった。
■地方にも帰したい
「庄や」のスタートから35年、今やグループの店舗数は1000の大台に近づきつつある。拡大路線にはいつか限界が来るのでは、という問いに、平はこう答える。
「うちの元店長で、東北の実家に戻り、畑仕事の傍ら、近所の集会所代わりの店を開いた人がいる。地方には、後継者不足に困っている農村や漁村が多いですから、そんなふうに人を帰していきたいんです」
佐渡の自然の中で生まれ育った平にとっては、ごく自然な発想なのかも知れない。
敬称略(片山一弘)
(2008年7月7日 読売新聞)
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■自分の周囲の環境を整備していったことが足がかりになった
「「庄や」「やるき茶屋」などの大衆料理店グループを率いる平が、初めて開いた飲食店には、まったく客が入らなかった。「店を開けばお客さんは入るものだと思っていたけれど、全然だめでした」
高校を出て東京の大企業に勤めたが、残業と満員電車が嫌になって退社。いくつかの仕事を経た後、東京・大田区に焼き鳥店を開いた。味には自信があったが、客は来ない。残った焼き鳥を持ち帰って自家消費する日々から脱却するため、思いつく限りのことをやった。
仕込みを終えた午後、銭湯に入り、居合わせた客の背中を流しながら自己紹介すると、風呂帰りに寄ってくれる客が現れ始めた。駅前では手製のビラを配り、店の前の通りを端から端まで掃除した。