この味をなんとしても持って帰りたいと願った空海は、せんべいの作り方を詳細に教えてもらったそうだ。
日本に帰ってから空海は、京都府南部にある山城国の職人にその製法を伝授視点米を再現した。これを空海は「亀の子せんべい」と命名した。
この日本で初めての「せんべい」は当時の嵯峨天皇にも献上された。
その後せんべいは日本流に工夫がなされ、江戸時代には庶民のお菓子にまでなった。
◆栄西
★臨済宗の開祖栄西はお茶の師匠でもあった
お茶そのものは、既に仏教伝来と共に伝わって来ていたらしいが、そのお茶が武家社会にまで広まるようになったのは、栄西の熱心な伝道の成果でもある。
栄西は「喫茶養生記」の中で、「お茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」といっている。
栄西は中国からお茶の種を持ち帰り、すぐに佐賀と福岡の県境の背振山に種を蒔いている。その栽培方法をよく知っていたのだろう!
たぶん、お茶は栄西の伝道の武器であったのかも知れない。
その栄西が明恵上人とであって、茶の種を渡している。その明恵上人は京都の栂尾で栽培を始めて、この木を宇治に移したのが今の宇治茶の始まりなのである。
そのお茶の武家社会でのはじまり物語はこのようなものであった。
「鎌倉将軍源実朝が二日酔いで苦しんでいたところ、栄西が現れお茶と一緒に喫茶養生記を献上したという。飲んでみると苦かったのであるが、その二日酔いがよくなってしまった。こうして栄西とお茶の評判が瞬く間に武家社会に広まっていった」
お茶の効能は誰もがよく知っているカテキン作用である。抗酸化作用はビタミンEの20倍もあるとされ、血中コレステロールを下げ、インフルエンザを防いでくれ、虫歯や口臭も防いでくれるという当時としてはスーパーパワーの食品であった。もちろんカフェインは脳の活性化には最適であった。
◆大村益次郎
★明治維新の立役者・大村益次郎の頭は豆腐脳?
豆腐というのは、江戸時代から実に健康や美容に大人気であったというらしい。第11代将軍の徳川家斉公の側室は100人もいたらしいが、その側室達が美貌を争って熾烈な闘争を繰り広げていた。そこに一役買ったのが豆腐らしい!
美貌を磨くのに大奥では豆乳風呂が流行っていて、その為に江戸中の豆腐が不足してしまったというわけだ。