●-占いなんて、ナンセンス!-


●-占いなんて、ナンセンス!-



天使の占い・姓名判断・鑑定概要(内容)

■占いのいやなイメージ

でも私は直感的で霊的というのとは本質的に違います。

見えない世界はあるかもしれない。
でも不思議な世界をただ鵜呑みにするのは嫌いでした。

なんでもすぐに盲目的に信じてしまうのはいやでした。

物事には必ず理由があるはずです。原因と結果があるからです。

不思議な世界は理由はないのに結果だけが一人歩きしてしまいがちになることが多いように思います。

ですから、私自身、摩訶不思議の占いは、小さい頃からあまり好きではありませんでした。

いまでも、占いというと水晶玉が出てきたり、黒い服をしてベールをかぶっているというイメージで言われることがあります。

何か密室的で、暗く陰気な感じがします。私も小さい頃からやはり占いは何処か分からない変なイメージばかり持っていました。



● 陰気くさい占い

ところで私は七尾市出身です。
小さい頃特に小学校の頃、デカ山すなわち青白祭が待ち遠しいかったのを覚えています。

なぜなら、七尾の町の中の親戚のおじさんの所に行ってお呼ばれ出来て美味しいご馳走が食べられたことと、お小遣いがもらえたこと、そして学校が休みになったからです。

こんないいことずくめなことは、そんなに滅多にありません。

そしてもう1つの楽しみは、町の中に並ぶ屋台や野師の数々です。
見ているだけで楽しいではありませんか。

ほとんどお金をつかわないで、見学をしていました。

ただ、ものを売っていると言うものよりも、見せ場のあるものが面白かったように思います。凄いパフォマンスの世界です。いわば大道芸人に似たところがあります。

中でも鮮明に今でも覚えているのは筆1本で蛇の絵を描く人がいたことです。
鱗までしっかりかきあげるのです。その場で絵の実演をするのです。
それもわずかな時間でさらりとやってのけるのです。

もう名人芸です。その場で盛り上がって買っていく人がいるのです。

今どきは、そうい人は見かけませんが・・・。
面白くって沢山の人だかりでした。

また、バナナのたたき売りです。昔はバナナは貴重品でしたから、大きな1房を見ると思いっきり食べてみたいと思った記憶があります。

それとあの独特のカリスマ性のある名ぜりふでそこも勢いがあって人が一杯でした。

でも、それとは対照的にひっそりいる所がありました。
それは言わずとしれた占いのおじさんでした。

手相占い、易棒を使った占い、なんだかしょぼくれて見えました。
陰気くさく見えたのです。

なんだか人が集まらなくて可愛そうな気さえしてきたのです。
おじさん達、そんな職業でご飯が食べれるの?とさえ心配までしている私でした。

でも、私には全く関係のない世界でした。
何にも占ってもらいたいことなんかないもん!
それに変なことでも言われたら困ると思って、その前は早足で通った記憶があります。

人が面白く、楽しいから喜んで集まってくる花形の所と、人が沢山集まらないでひっそりとして静かにしている所では子供心に、イメージとしては前者に軍配が上がったのです。

占いって陰気くさい、暗い感じ、恥ずかしいことを相談する所、いかがわしいようなイメージがついたようです。

それに言っていること本とかな?も加わって職業として最低のイメージがついてしまったことも間違いありません。



● 説明のつかないものはいや

特別な世界でその人しかわからない主観的世界です。

悪く考えれば、うそも言えるのです。
客観的世界が乏しくインチキぽい気がしたからです。

マジックにはトリックがつきものですが、占いもどこかにトリックが隠されているようで 最初から全面的に信じがたい気がするからです。

占いは当たるも八卦当たらないも八卦と言われるように丁か半の世界です。

それは50%の世界です。

どうも私には、そういう世界は肌から合わない気がしたのです。
もっときちんと客観的に説明のつくものでないと、受け入れがたい気がしたのです。

ほとんどが雰囲気作りから始まる世界はマユツバぽく感じたのです。
雰囲気はいいから、その中身は? と意地悪にも思ってしまうのです。

ちゃんと説明のつくものにして欲しいのです。

説明の使いないものを信じるのは冒険です。
そんなに心は飛べません。と言いたくなるのです。

不思議な世界はある。でも占いなんてナンセンスなんじゃない?!
と思っていたのです。

それだけ私が霊的感性が特別ではないからだと思います。
普通と同じ感性だからです。

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●-私の出身は看護学校です-


●-私の出身は看護学校です-



■私が看護婦を目指したわけ!

私は中学校くらいから看護婦(今は看護師と言われていますが、私の頃は看護婦だったのでそのまま使います。)になりたいと思っていたのです。

それも今から考えると2つの理由からだと思います。

①純粋に人助けをしたいと思ったからです。

ある時、可愛そうなインドの貧しい人たちの内容がテレビを見てしまったのです。

マザーテレサのお話だと思います。

貧しくて病院にも行けない人々がゴロゴロと道に倒れていた。

そこをマザーテレサが訪ねながら、手当てをしていた。

また病院のような修道院のような施設で、収容している病気の人々の悲しそうな姿が目に焼き付いたのです。可愛そうに、日本では考えられないレベルです。

世の中にこんなことがあること自体信じられない。
少しでも将来お役に立ちたい。と幼心に思ったのです。

本当は医者になれたらいいな~と思っていました。
でも、それほどまで頭は良くない。

せめてその補佐の看護婦さんにはなれるのじゃないかしら?
とにかく、真面目に直接的に人助けしたいと思っていたのです。

人の痛みの分かる看護婦になって、少しでも痛みを緩和するお手伝いをしたい。
将来もしできるなら、インドに行ってお手伝いしたいなあ~と思ったのです。

②そして、もう1つの理由は、何か私の思っている疑問が解けるかもしれない。
看護婦は人の生と死に直に触れるお仕事です。

そういう中で、死んだらどうなるのかもっと考える機会があるから、何か自分で悟ることが出来るのではないかとというほのかな期待があったのです。

本当に子供じみているのですが当時は、一生懸命そう思っていたのです。

③それと現実的には、国公立の看護学校はお金がいらなかったからです。

今はどうか分かりませんが、当時、もう30年ぐらい前ですが看護婦不足で看護婦になるための優遇措置でほとんど経費がかからなかったのです。

高校卒業して3年間ほとんどただのようなものです。
全寮制ですし、寮費ダダ、食費はタダです。

その代わり病院の患者さんと同じものを食べていました。

1ヶ月1万円のお小遣いだけが仕送りされていました。

もちろんアルバイトなんてやる暇はありません。
経済的には親孝行です。そして自分の目標としている看護婦にもなれるのです。

一挙両得!。それで看護学校に進んだのです。

次は-京都の看護学校時代-へ

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