改名で有名な歴史的な人物といえば、徳川家康やら豊臣秀吉などがいる。彼らは名前を変えることで出世の道を歩んだのだ。そう思うと、何とか彼らにあやかりたいと思う人も出てくると思う。ところが、改名というのは江戸時代までは普通に行われたのである。ただやたらに改名をしたというわけではない。男性にも女性にも元服式というのがあった。
もちろん、家康や秀吉のように完全なる改姓というケースではなくて自分の名前を正式な名前に変えるのである。いわゆる大人の仲間入りをするのであるから、そういう儀式は重要な意味を持ったのである。(今でいう成人式に匹敵するかな?いや、成人式の方がはるかに軽い内容みたいだ)
幼名から出発して、元服しての名前と改名するのだ。この時の改名は烏帽子親という庇護者から一字名を拝領して改名するのである。烏帽子親は生涯にわたって親に代わり、その子の行く末に責任を伴うという関係が生ずるのである。だから元服して、一字名をいただいて改名をした子供は、大人社会でその烏帽子親の手前精進せざるを得ないのである。
現代の成人式は、ただ単に成人を祝うという意味でしかないために、あまりにも大人社会の仲間入りという自覚がなさすぎる。具体的に自分を監督、自分を指導してくれる人がいるということの方がどんなにか精神的は安定するかということなのである。
荒れる成人式は、現代の若者の行き場のない”愛されていない姿”そのままが現れている。
だから、幼名はともかく元服時の名前は大変に重いものがあったことは確かである。
こういう武士社会の習慣が広く庶民にまで行き渡るようになり、この烏帽子親に相当する”名付け親”を親分と称し、元服した子供との間に生涯親分子分の関係が生ずるのである。