これは、自分よりも社会的に地位のある者の庇護を受けることによって少しでも優位に立とうとする自然の行為であったように思う。こういう人間関係の深さが、その人の人格形成にも大きな影響を与えることになる。社会基盤が安定するということの中にはこういうすぐれた制度があって、個人を陰に陽に援助してきたのである。
現代社会は”自由”であるが、そのことはすべての責任が個人に降りかかることを意味しているから、それだけ厳しい社会ということもできる。そのことを自覚した教育があまりにもなおざりにされていることの方が、問題といわざるを得ない。
長く人生を生きて、業績を上げてくると”号”という名前を称するようになった。いわゆるペンネームである。これはこれで実に重要な要素を持っていて、この”号名”で社会に通っている人も多いのである。いわゆる知識人は、時代の節目に字や号名を用いることによって、自分の覚悟を新たにし、社会にその名をもって貢献しようとしたのである。だから、”号”(ペンネーム)は、その人の社会的な大きな運勢を形成する重要な役目を持っていたのである。
例えば、蘭学者の佐久間象山は子明、新井白石は在中、荻生徂徠は茂卿、藤田東湖は彪、虎之助、誠之進などのように字や本名があったのに、号ですべてが通ってしまう人がかなりいた。そこには漢字文化としての大きな意味が隠されている。
だから名前を変えるということは、自分を大きく転換したり、決意を新たにしたり、覚悟を決めたりと、その人の人生を決定する大きな分水嶺になったのである。
そういう意味から名前の改名は、素晴らしいアイテムとして活用されてきたのである。
名字や名前が固定化されてしまった背景には、江戸幕藩体制が崩壊し、明治新政府になって富国強兵政策のもと、徴税や徴兵制度を迅速に進めるために、便利なように戸籍を整理する必要があったからだ。それで結果的に庶民に名字や名前を正式に名のる権利が与えられたのである。1870年(明治3年)の太政官布告である。そして、勝手に名前を変えることは法律で禁止されてしまったのである。
面白いことにこの辺の混乱期には、嫁いでいった女性は、夫の姓を名のることが許されず、しばらくは自分の生家の姓を名乗っていた時期があるのである。何か現代とは反対のような気がしないでもないのであるが?
結婚して夫の姓を名乗ってはいけないなどと法律で決めようものなら、世論は喧々囂々の総反発をしそうな気がする。