(3)孔子「性相近きなり、習い相遠きなり。」
人間は先天的なものの差はたいしたことないが、その後の教育如何においてはその差が生じるということを意味している。
自分の中に持っている設計図をどうやって、芽を出し花を咲かせるかということは、自分自身に肥料や水をくれてやらねば、芽の出ようがないのは当然である。だから、改名は自分の可能性を引き出してくれる肥料や水の役目を果たしてくれるのである。少しでも可能性が出てくると周囲の人はそれをちゃんと引き立ててくれるようになるのだ。そういうことが人の教育につながる。自分自身だけで人は育つものではないから、育ててもらえる自分になるかということが大切なのである。そういう可能性を改名は引き出してくれる。
(4)孔子「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)る事なかれ過ちて改めざるをこれ過ちという」
間違いは誰にでもある。その間違いを隠したり、ごまかそうとすればするほど人間は”どつぼ”にはまる。もっと素直に、間違いは間違いとして改めることのできる人が勇気のある人であり、立派な人になることができるのであると思う。問題は、様々な間違いやら行き違いを改めないことの方が”過ち”なのである。
改名は、自分の人生が間違いというところから出発するのではなく、「人にはいいところもあり、良くないところもある。そういう微妙なバランスの上に成り立っているのが人の心だ。」という観点から、できる限りその人の良い点を引き出してあげられるように、自分の持っている心のバランスを整えてあげるのである。だから、これまでのような、様々なミスを「何度も繰り返す」というようなことがなくなるのである。
人は自分を改めたいと思っているが、「どうやって改めればいいのだろう?」と悩むのが常である。その方法論でつまづくのだ。どんなに哲学を学んでみても、それはかえって混乱を来すだけだし、世の中には惑わすものがいっぱいある。理屈はいいから、自分を変える方法は?というのが本音だろう!
改名は、自分の過去を改めて、新たな出発をするための最も簡単で、しかも最も効果のある方法なのである。「これを知らない人は”損”をすることになる。」と思う。
(5)臨機応変…(時と場合によって適切な対応をすること)
昔の人は大変便利だった。何故かというと、時と場合によって使う名前を変えていたからである。字や諱(本名)、役職や官位の名前、雅号や俳流の名前などを持っていて、これらを自由に使っていたからである。ということはそれによって自分を変えていたのである。