はないか、なのにこの差は何なのだ。義姫の懐疑と自己嫌悪、憂欝は限りなくひろがり、しかしまた、不思議な誕生をした政宗には、何か心にはひっかかるものがあって、整理のつかない日々が続くのです。
○そこへ梵天丸の庖瘡事件が起こります。この当時、5才の年齢で庖瘡にかかれば、助かる見込みはほとんどなかったのです。義姫は、これは遂に神罰があたったと思ったに違いないのです。しかし、文殊堂の鳥海法印は、万海上人がついているので心配はいらぬといいます。義姫は、万海上人など、自分がつくった作り話などとはいえず、混乱してしまっていました。
○ところが梵天丸は、まさに万海上人の生まれ代わりのように、片目になって、生命は助かってしまったのです。これによって誰の目にも梵天丸が万海上人の生まれ代わりということが、事実となって明らかになってしまったのです。
○当の義姫自身も、これは本当に神仏が顕現したのではないかとも一時は考えるようになっていました。そこで、義姫は、梵天丸を呼んで次のような話をしたのです。1個のブドウの実をとりだして、「これはこなたの左の眼玉じゃ」「こなたは、この木に登って落ちたのじゃ、落ちるとき途中で枝にこの眼がひっかかた。母上、眼が出ましたと持参した故、今日まで預かっておいたが、もう返すのはやめます」といって食べてしまったのです。このことを文殊堂の長海法印は次のように説明しています。大日如来が現れて、“先祖代々の罪業によって万海と同じように片目だけはわしがしかと預かりおくといわれました。
"その眼を母御が食べてしまわれたのは、伊達先祖代々の罪業を、我が子に代わって母が食べて背負ったということなのです。これで、梵天丸はきれいさっぱりとなり、この地にその使命を果すことができるというのです。
○こうして、梵天丸は、先祖の罪業のない立場に立って自分を見つめるという長者の権利を相続した者の基本的立場に立ったのです。これから以後、梵天丸の母代わりを政岡(乳母)が行い、梵天丸を長者の権利者として、様々な人が教育を行うようになるのです。
○義姫は、伊達家代々の罪業を背負うことによって、その影響は、竺丸に現れるようになります。