鎌倉から室町へ時代は移り変わりながらも、朝廷を中心とした公家勢力と武家勢力は、この終わることのない戦いを続けてきた。それでも、武士社会のトップは貴族との深い関係を築いてきた。実体は、貴族→支配階級の武士→地方の土着の武士という具合で、本当に自分たちの権益をしっかりと守れているかというとそこには、様々な矛盾を抱えていたことになる。
そこへ天佑というべきか足利8代将軍の義政によって、応仁の乱が起こるようになった。この乱自体は京都を焼け野原にしてしまうひどいものであったが、嬉しいことにここで大きな大変革が起こったのである。それが、下克上であった。在郷の武士や、地方の国人達にもチャンスがめぐるようになってきたのである。実情にあった領国経営が官位や血筋などとは関係なく実力によってできるようになったのである。時代が新しい風をおこそうとしていた。それが、戦国という時代なのである。その旗手として選ばれたのが信長ということなのである。
既存の権力や、貴族の権威などそれまでのどうにもならないお荷物を一切否定して、新しい国を作るという希望がいろいろな人達に生まれるようになったということだ。その中で、唯一天下ということを標榜して現れたのが織田信長であったということなのだ。
それは信長の家系にも影響している。織田氏は守護大名の斯波氏の被官である織田氏のまたその被官であるからだ。その中央から見れば、虫けらのような織田氏が実力をつけて尾張一国を支配するようになるところから新しい歴史の息吹が聞こえるようになったのである。
ここで考えておかなければならないことは、時代には「時代の意志」というものがあるらしいということなのである。これは何人といえどもそれに反対すれば滅ばざるを得ないというものなのだ。これを運勢といえばそうなのだが、時代の神が付いているかどうかということが大きな分かれ道になる。
それでは、時代の神が目指していたものは何だろうかということである。それは既存の権威を否定して、理念を中心として、人民の代表としての武士による実情にあった領国経営ということである。
■戦国時代の武士の実情
信長という人がどのくらい凄かったかということを、当時の時代の目で見る必要がある。現代の民主主義という政治体制の中での眼ではなく、その当時の人々の意識レベルから見るということなのである。