このように見ていくと、元服して吉法師から信長へと名前を改名行くまでの時代というのは、複雑の状況を肌で感じながら、真剣に自分を磨いて学んできた時代ではなかったかと思う。
このように吉法師時代をベースにして、信長時代へと引き継がれていくのであるが、愛情に敏感であった分だけその感受性が、次の信長時代への変化に影響を与えるようになる。
そこで、織田信長になってどう変わったのか? 信長の運命式を見てみよう!
<織田信長の運命式>
31 23 32
26 40 14
35 17 22
この信長の運命式を見る限り、この運命式が凄いリーダーシップ型の強い運命式であるかというと、そうでもない。よく言われるように信長を悪魔の化身のように言う人もいるが、この運命式ではそんなことはない。
この運命式が強烈な変化を遂げるのは、吉法師時代から引き継いできた愛情問題にある。ここに信長という人を理解するキーポイントがあるということになる。
■信長はどうして「大うつけ」になったのか?
<信長の縁組みと大うつけ>
◆このような平手中務の才覚で織田三郎信長を斎藤山城道三の婿とする縁組みが結ばれ、道三の息女である濃姫を尾張に呼び寄せられた。こうして何れの方面も平穏無事であった。
信長は十七、八歳頃までは、これといった遊び事はありませんでした。
馬を朝夕に稽古、又、3月から9月までは川で水泳をされていたが、水泳は上手であった。
その時、竹槍による叩き合いをご覧になり「とかく槍が短くては具合が悪い」と仰られて、三間柄か三間半柄の槍に変更された。
そのころの信長公の身なりは、胴衣の袖を外して半袴で、ひうち袋などいろいろ衣服に付けていた。髪型はちゃせん髷で、紅や萌葱の糸で髷を結っていた。太刀は朱鞘にさし、お付きの者全てに朱色の武具をまとわせた。
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