<長谷川 公彦の流運>
20 15
12 16
長谷川公彦時代の運勢を見ていこうと思います。具体的には18才くらいまでなのですが、もう一度簡単な履歴を見てみましょう!
「10代の頃はボクシングジムに通った。
1973年には京都府高校フライ級1位を獲得。
中学時代は学校の窓ガラスを割ったりなど札付きの悪。
少年時代は暴走族。
高校のとき教師叱られて「おもろい不良になろう」と改心。
あだ名は「泣き虫みー君」ー泣きながら熱く喋るらしい。
将来の目標は寿司屋か競艇の選手か漫才師。」
長谷川公彦の運命式を見ていきますと、すぐに特徴がわかります。
それは、彼が目的指向型であるということです。どういうことかといいますと目標がわからないと力が出てこない人であるということです。それに、意外と物事を深く考える思索型でもありますから、こんなことしてどうなるのだろうかとか、どういう方法でやればいいのかとか、結構悩む人でもあります。
「鳴泣きながら熱く語る」ということからすると、漫才師は良いと思います。
目標が見えてくるとそれに向かって一生懸命になりますから、漫才師という目標を決めたことは、大正解といえるでしょう。
また、家庭内での愛情運や性格を見ていきますと、自分をわかって欲しいという思いが強いので、その表現が強い主体性と男気から激しい行動に出るようになっているのです。それが、ボクシングや、暴走族という方向に向かっていったのだと思います。
問題は、社会運でそのままの名前では、仕事運でえらい苦労をしなければならないし、人間関係も意外と律儀でしっかりとつくるところがありますから、寿司屋とか競艇の選手では、芸名やペンネームという世界ではありませんから、自分の運勢から脱皮できなかったと思います。
そういう意味で、漫才師というのは大きな選択であったと思います。