それによく知られているのは、日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門なのだ。それは、中国から儒者を招いていたので、その儒者の接待料理に、ラーメンが含まれていたのである。
それにしても医食同源を実践した黄門様は、73才まで大日本史の編纂をしていたというから、その頭の柔軟性に驚きである。
◆独眼竜・伊達政宗
★独眼竜の伊達政宗は料理人であった。
仙台みそを有名にして、日本で初めてみそ工場を
造ったのも政宗公だ。このみそは、秀吉の朝鮮出兵の
時にも、他の藩のみそがみな腐ってしまったのに、
仙台のみそだけは腐らなかったのだ。このみそは
大豆の多い赤味噌である。
その他政宗公は、海鞘を好んで食べたらしい。この海鞘は海のミルクといわれるほど栄養が豊富なのだ。
政宗の反骨精神は、みそと海鞘にありということなのかも知れない。
厨房に立つこともあった政宗は、料理は多ければいいというよりは、季節なあった料理を一二品整えるのが大切なのだとか!
その政宗公はこんなこともいっている。「朝夕の食事は美味ならずともほめて食うべし。元来この世は客のみなれば好き嫌いは申されまじ」
◆徳川家光の乳母・春日局
★大奥を取り仕切った春日局は、玄米と赤鰯を食べていた。
江戸城大奥のドンといえば春日局である。
3代将軍家光の乳母となった春日局であるが、
豪奢な生活のイメージとはほど遠く、食べていた物は
何と玄米がほとんどで、たまに赤鰯を食べる程度と
いうから、その質素さにはビックリするのである。
しかし、これが健康と長寿の一番の秘訣であることは
いうまでもない。
玄米はそれだけで全ての栄養素が含まれているほどの完全食品だ。今でも玄米食は推進されている。昔のように玄米は炊きにくくなくて、圧力釜がある。これを使えばすぐに玄米ごはんを普通のごはんと同じように食べられるから、圧力釜は一度お試しである。