彼の運勢の流れは、決して悪くはない。
24才、25才で失恋レストランなどヒットを飛ばしレコード大賞新人賞をもらうなど順風満帆のように思えたのだが、31才で大麻に溺れることになる。それから4度も逮捕されながら不思議にもその度に復活を遂げることになる。
それは彼の流運の中で特に仕事運が役者に向いているいい運勢をしていることによる。また、彼自身を応援する背景も悪くない。総合的に何となく沈みそうで沈まないということだ。そこがこの名前の不思議なところなのだ。
★運命式の魔力が彼をここまで追い込んだ
自分の弱さに敗北していく清水健太郎を、判官贔屓の日本人はつい応援する。
成功体験に引きつられながら変わりきれないでそのまま来てしまったことは、彼自信が一番苦しんでいるのだろうと思う。こういう弱さがそのまま出てしまうところは、弱さを認めて精進した親鸞や放浪の俳人種田山頭火などとは似て非なる存在だ。
過去の成功体験ではなく、新しい自分を見いだすべく決意さえすれば、芸名を変えて出発しさえすればそんな破天荒な人生にならなくてすんだかも知れないのにと思う。
そういう意味では運命式が彼をここまで追い込んだということもいえるのである。
●・・・ひとこと・・・
芸名は芸人の命というけれど、その通りのことが清水健太郎にはおこってしまっている。運命式を自分がコントロールできなければ運命式に自分が操られることになる。ここでも、そういう相対的なつながりが分かる。名前負けではなく、運命式負けしないように努力と精進は必要といえる。