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B諸行無常
(A)無常
私達はよく「世の中は無常であるとか、無常感が漂っている」と口にするわけですが、
無常という事について考えていきたいと思います。つまり、諸行無常ということです。こ
のような言葉を聞きますと「人生は諦めた方がよい、世の中諦めた生き方をした方がい
いのでは……」ととらえがちになるのですが、諸行無常の本当の意味を理解しなけれ
ばいけないと思います。神仏を中心としながら力によって宇宙の全てのよろずの物が
生じてきていますので、仏教ではこれを宇宙生命であると言います。神や仏と呼んでも
誤りではないわけです。ありとあらゆるものが主体と対象の相対的な関係(縁起)を結ん
でいますが、どのような関係を結ぶかということが重要であり、この結び方を間違ってはいけないのです。この結び方がいわゆる因縁なのです。すべてが主体と対象という世界を持っているというのが、諸法無我という世二界です。本来定まっていた人間の正しい
個性を持ちつつそれらが縁起の法則でどのような関係を結ぶかということが問題であり
ます。それによって新しい形が生まれてくるわけです。神仏を中心とした時にそこから現れた主体と対象が再び一致して新しい生命が誕生するのです。わかりやすく言うならば夫と妻がいて子供が誕生する。
そして子供が成長して、男性であれば女性と相対的な関係を結んで子供が生まれてき
ます。
この様に移り変わりながら次なる方向に発展して行くという事なのです。そして発展して
行くには必ず目的があり、目的なしに発展することはあり得ないのです。常に変わって
ゆくという無常ですが、その因縁は陽陰・見えない世界、見える世界によって成り立って
います。
この陽陰・見えない世界、見える世界のそれぞれの個体そのものが諸法無我です。すなわちそれぞれの内容を持った人たちが、どのような関係を結ぶかによって因縁が作られ
て、それが一つの方向にどんどん変わっていくのです。
(B)3つの因縁
家庭を中心として見た時には、祖父母がいて、夫がいて妻がいて子供がいます。男性
が主体であり女性が対象であるわけです。目的を持って次の方向に発展してゆくので
す。良い因縁を結べば、良い発展をするし悪い因縁を結べば、悪い発展をするのです。
だから良い因縁を結ぶ為には良き内容を持たねばなりません。つまり仏教的に言うな
らば真我を持てということです。
お釈迦様は無我の境地になれば真我が現れると言われました。本当の真理・本当の
我・個性をいいます。だからお釈迦様は、悟りを開かれた時に「天上天下唯下独尊」と
言われたのです。そして、その目的は人間が幸福になることなのです。幸福になる為
にはどうしたら良いかと言いますと、そこには、はっきりとした法則があるのだということ
です。つまり、夫は夫らしくなければならないし、妻は妻らしくなければいけないし、子供
は子供らしくなければなりません。これらはどのような因縁をむすばなければならない
のでしょうか?夫と妻の因縁の結び方・夫と子供の因縁の結び方・父と子の結び方・母
と子供の因縁の結び方・嫁と姑の因縁の結び方、このような因縁の結び方があるのだ
という事です。
それで、その因縁の結び方が、一人の人を中心として見た時には、三つあるのだという事です。そしてこの因縁の結び方を間違うと失敗をするのです。そうすると、幸福にはな
らないし、発展して行かないんだということです。主体が一番で対象が二番。因縁の結
び方は、投げる者(与える者)と受ける者(与えられる者)との縁起の作用です。
この縁起の作用に於いて、誰かが何かを投げ(与え)なければならない。
この何かが愛とか慈悲とかなのですが、まずそのようなものを投げ(与え)なければ
返ってこないのです。誰が投げる(与える)かというと投げる(与える)主体が男性で
あり、男性からまず投げ(与え)なければならないのです。又、逆に言うならばこの愛を
引き出させる様にしなければならないのが女性であり、愛を受けるに相応しい者でな
ければいけないのです。
この様な関係を持って一つの目的に向かって行くならば発展していくようになるのです。
そして常に同じではなくいつも変わっているのだという事です。そうしますと、これは 一
つの円になるわけです。だから円満な家庭、円満な人格になっていくというわけです。
相対の関係が悪かったり、順番を間違う様になると、円満ではなく歪になり、
歪になった分だけ悪い因縁になるわけです。そして、それをどこかで修正しなければ
いけなくなってくるのです。それは先祖が間違った分だけそのようになるのです。
円満であるとは、どこから見ても、どの観点から見ても素晴らしい内容を持っていると
いう事です。つまり夫の観点から見ても、妻の観点から見ても、子供の観点から見ても、
先祖の観点から見てもその家庭は神の真理があり仏の真理があるわけです。
そうするとその家庭は円満であり絶対に崩れないのです。ボールはどこから来ても
はじいていく、どのようになっても変わらない。このようになるのです。だから宇宙は、
その様になっているのです。一番分かりやすいのは天体です。太陽があり、そのまわり
を地球が回り月は地球のまわりをまわっています。このように円運動をして回転して
いるのです。そして永遠なのです。諸行無常は永遠な目的を持って発展しているという
ことなのです。だから結局そこには何の不安も苦しみもなく、神仏の愛と慈悲が溢れて
幸福感に満ちた、劣りと慈しみの世界になるのです。自己の欲望と無明煩悩の世界に
生きるのではなく一つのはっきりとした真理に生きるのです。そうすると、その家庭は
苦しみではなく喜びの家庭になるのです。 |