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B道徳生活(夫婦)
道徳生活と修養の基盤によって、竹千代が誕生しましたが、本来は於大夫婦が次のステップである、夫婦による真理の基盤を立てていかねばならないところなのです。しかし、政略によって華陽院が水野家を離縁させられたように、今また、於大は政略によって岡崎を離縁させられるようになってしまったのです。こうして竹千代の運命は今川への人質になっていくようになるのですが、・・…。
祖父清康も側近によって暗殺され、父、宏忠も同じく暗殺されたというように、松平家は親子2代にわたって、主を失うという悲劇にみまわれ、幼い主従は今川への人質の運命となったのです。因縁によって同じ事件が起こるとはいえ、天は勝利した家庭を祝すべく、苦難の中にも準備をしたのでした。
それは、今川の執権雪斎禅師と華陽院です。この二人によって、華陽院以来伝達されてきた女性の道徳生活は具体的思想として、戦略、戦術として、将としての人間教育として、現実化されるのです。
“雪斎とて、臨済の法を継ぐ者、み仏が今彼に求めているものは、決して小さな今川一家への忠誠ではない。今川家を通して、百年この方つづいた暗黒無道の乱世を救えという、声なき声のお告げを聞けばこそである"
“わしは竹千代が欲しいのじゃ、これを織田信長が手から奪い返して駿府のわしの手元で育ててみたい、と申したら、もはや岡崎衆になぜむごいかはお分かりでござろう"
竹千代は、名を元康にあらため、関口親永の娘(今川義元のめい)鶴姫(築山殿)を正室に迎えたのです。ここで問題なのは、築山御前が華陽院の思想の影響を受け、元康を助け、道徳生活の女性の基盤を相続し、夫婦が一致して、夫婦が共同して、夫婦としての道徳生活をたてることができたかどうかということなのです。実際には、築山御前は、今川の権力を傘に着て、人質元康を下に見て、自分勝手の振る舞いをしてきたのです。
こうして元康は築山御前と一致できぬまま、力によってしか岡崎、帰る道はなかたのです。もし、元康と築山御前が一致し、築山御前が元康の為に、元康の思想、信条を理解して、義元に対して窓口になれば、また、義元が信長を倒して京にのぼっていたならば、元康の働き方も全然違ったものになっていたと思います。しかし、元康と築山御前が一致できなかった為に、天は、悪魔と協力して、義元を倒してしまったのです。古い体質を残さず、新しい時代を迎える為、義元を倒す必要があったからであり、悪魔は、自分の思い通りの世界を実現する為、義元が邪魔になったのです。こうして、義元は信長によって滅ぼされ、信長の時代が到来し、元康は、岡崎という寄って立つ基盤を確保したのです。
こうして、道徳生活を相続できずに、夫婦が一致できずに失敗した築山御前、そしてその築山御前と一緒に駿府で生活し、築山御前の思想影響を最も強く受け長男信康は、結局、武田に内通した罪で信長に殺されることになりました。(武田家は、女性の失敗により、天のみ心は離れ自滅するようになる)
岡崎に入って、元康は名を改めて再出発するようになります。松平を徳川に改め、いよいよ悲願達成に向かって動き出すのです。この改名は、とても重要な意味を持っているので
す。松平家の殺傷の因縁から脱出し、この乱世に終止符を打つ大きな意味を持った名前に変わっているのです。
ここで、家康は大きな宿題を背負ったまま進んで行きます。それは、夫婦による道徳生活の基盤の成立であり、修養生活をたてて、次世代への相続という大きな問題が、残されたのです。
これからの家康は、不思議なことに、政略結婚による正室を持たなかったのです。ここに家康という人物の非凡さが隠されているのです。(但し、後に秀吉によって押しつけられた朝姫という人質の正室はいた) |
家康1 家康1-1 家康2 家康2-1 家康2-2 家康2-3 |
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