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輪廻転生
輪廻転生ということは、人間は死んで生まれ変わり、永遠に生き続けるという事なので
す。そして、輪廻転生することは、苦であり、苦悩に満ちているというのです。この苦悩
より解脱するという事が唯一の私達の到達すべき、悲願であったのです。永遠の生命があ
るということは、一人の人間が過去・現在・未来に渡って生まれ変わって行くという事を
仏教ではいいますが、一人の人間の魂が再生するという意味での転生はありません。これ
は、人間の心の部分についてよく理解しなければわからないことですが、心とは魂であ
り、これを霊魂と呼ぶわけです。肉身は物質から出来ていますから、いずれは土に返っ
ていくわけです。しかし子孫を通して、その肉身は次なる肉身へと生まれ変わっていくの
です。霊魂という人間の魂は永遠だというのです。魂が何故永遠なのかというと、人間
が神仏の子だからです。神様・仏様が永遠であるからその子供が滅びることはあり
ません。また、一人の人間の再生としての転生が何故ないかといえば、もし転生があれば
霊界において魂はすでに創られていなければならず、その数は限定され、人類の無限なる発展と霊界の実相はあわなくなります。また再生の場合は過去の人物その人が再現されなければなりません。そのようなことはありません。また人間は、幸福の為に地上に存在するようになったのでありますから、決して滅びるはずがないのです。
魂は永遠性を持つというのです。ですから魂と体にも因縁があるのだという事です。魂の中心部分を心と呼び、ここが神仏を感じるようになっているのです。また肉身の中心部分は、本能を感じるのです。だから、人間は2つの分野において生きているのです。ところがこれが主体と対象の関係になっているのです。
心が一番で、本能が二番です。ですから本能は心の命令に従わなければならないようになっているのです。だから心は何かというと、これは愛とか真理とかいうものを理解する世界であります。本能は、生理的な愛です。つまり愛を表現する為の生理的な欲望であり、生理による欲望であります。ですから私達が真理を知ることの目的は、魂の成長の為に肉体を使い、地上で生活をする事にあるのです。
そして真理の内容を生活の中で行うことによって人格の形成、つまり生きながらにして浬葉の境地に入るようになるのです。このように魂が成長することによってたとえ肉体は滅んでも永遠の霊の世界において生き続けることになるというのです。生活をするという事の重要さは、この魂の命令を真理に基づいて生活することが地上でしか出来ないという事なのです。
死んでからでは、駄目なのです。死んでからでは魂を成長させる事は出来ないし、魂
が仏陀になる事は出来ないという事なのです。だから地上の生活があるのです。真理の実践の為にあるのです。ところが無明煩悩は、人を生理的要求(食べたい・寝たい・性欲)
という自己中心的な欲望の中に埋もれさせて、神仏の愛とか慈悲とは関係なく生活するようになるのです。そうすると、私の魂はいつまでたっても成長せず、涅槃の世界に入らない
から仏陀にならないのです。
肉欲にのみ走った場合には全然成長しないし、悪い事ばかり行うので、魂が真っ黒になる
のです。幽霊は手や足がなく顔が崩れています。つまり人間ではないというのです。何故
現れてくる先祖が人間の形をしていないのでしょうか?人間としての生活の基準がありな
がら畜生の姿で現れる。そのような霊界しか行けないのです。生きている時しか仏陀にな
れないのです。生きている時が問題だというのです。生きている時に成仏しなければ私達
は、永遠の世界において地獄で生きるようになっているのです。真理に生きないで肉欲の
みで生きた先祖が沢山いるのです。悪い事ばかりをやってきた人達が死んで行く時だけ
戒名をもらいます。これは霊界では通用しません。
戒名の本当の意味は「あなたは神仏の子になりましたよ」ということなのです。便宜上
戒名だけもらって霊界に来て見たらとんでもない世界だったといっても、もう遅いので
す。地獄に落ちた先祖は救われたいのです。だから救われたくて私達の所にやって来る
のです。
そして本人の知らない間に因縁として現れて来るのです。悪い先祖が多くいると、
その人は知らない間に煩悩に捕らわれた生活をしてゆくようになるのです。何故がと言え
ば悪い先祖が救われたいと肉体を求めてやって来るのです。
しかし善なる先祖が多くいると修行の道、真理の道(正しい道理にもとづいた生活)に
行かせようとします。
それらは結局地上の子孫の責任でもあるのです。私の人生なのだから私自身で真理を悟って、真理の実践をしなければ、私自身も地獄に行く様になるのです。これが真の輪廻転生であり、悪霊人達がやってくる輪廻現象なのです。救われたいと思い霊人達やってくることによって起こるのが輪廻転生現象なのです。もし私自身が真理を悟って菩薩道を歩む事によって仏陀になったとするならば、私は先祖から敬われる存在になるし、私は先祖を救った人間になるという事になります。 |