因縁
家の家系をたどってまいりますと。必ず耳にしますのが、あそこの家は因縁がよいと
か、悪いとか言う言葉です。昔の人は、必ず家系にまつわる因縁話をよくしてくれたもの
です。
人工衛星が飛び交う現代でも井戸端会議の話題は人のうわさと因縁話です。そこで、こ
の因縁という言葉をもたらした釈迦と仏教について少し知らなければなりません。
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1、仏教概説
(1)お釈迦様の生涯
私達は仏教と申しますと、親しみ深いし、どこの家にも仏壇があり仏様があって信仰
しているということです。それほど信仰はしていなくても先祖として供養はしているとい
うのが日本の伝統的家庭であると思います。そこで、因縁という言葉をよく耳にします
が、仏教からきた言葉は生活の中で非常に多く見受けられます。仏教というものは、一体
何かという事を簡単に知った上で、仏教の中身を分かりやすく説明したいと思います。
まず仏様と言うと必ず“死人"というイメージでとらえられるわけですが、本当は、死人という意味ではなく正覚者、つまり悟りを開いた者と言うことなのです。そして、真理によって、私たちを導いてくれる人というのが本来の意味なのです。これはちょうどキリスト教において“メシヤ"と呼んでいるのと同じ様な称号が“仏陀"となるわけです。そして仏様と言うとすぐ私達が思い出すのは釈迦牟尼世尊つまりお釈迦様と言うことになるわけです。そして、お釈迦様とは生きて仏になられた方を言うわけです。お釈迦様は私達と同じ人間であります。そして、いつ頃の人かというと、BC560年からBC480年まで生きられた方であり、お釈迦様自身は当時のインド釈迦族の王子として、地上に誕生されたのです。お父さんは、浄飯王、お母さんは、マヤというのです。お釈迦様はこのような両親から誕生するわけですが、幼くして誕生7日には、お母さんが死んでしまいます。そして、その姉によって育てられたのです。お釈迦様の幼名は“ゴータマシッダッダ"といいます。
お釈迦様の性格は、どういう性格がと言いますと、真理を求めたりする人は一寸違っているように、お釈迦様のエピソードとして、ある人がお釈迦様を見て、この人はもし政治の世界に生きるならば、“天輪聖王"になるだろうし、宗教世界で生きるならば“仏陀"になるだろうと言う予言をしています。 |
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この様に、お釈迦様は神様によって選ばれた人であったのかもしれません。それで、その性格はお母さんが早く亡くなったせいか、非常に深く物思いに耽り思索する性格でありました。そしてある日、出家修養の生活をされる様になるのです。これが有名な四門出遊といっ事になるのです。私達でも幼年の時の環境が成人になっても影響するように、お釈迦様も王宮の王子として誕生されましたが、母を亡くしたという事や、
複雑な王宮の事情の中におりますのでお釈迦様自身も様々に思い悩み考えられる性格であったのです。
そして、王宮の門をくぐり抜けて見ればそこに死人が居たり、ある門をくぐって見ればそこに病人が居たとかいうことがあって、様々な人生の苦労とか多くの人々の苦難に直面してみたとき、それは他人事ではないのでありました。なぜ人間はその人生の中に苦難や苦があるのだろうか。人生は苦海であるということの問題を解決しなければならないと真剣になって考えられたのです。もし王宮にそのままいれば、王子となり王様になって立派な政治をされたことでしょう。
しかし王宮の栄耀栄華のすべてを捨てて、妻や一人息子のラーフラも捨ててある日、出家出道の生活に身を投じて行かれたのです。
親類縁者も捨てて、その一切を捨てて出られるということはどんなに決意のいったことでありましょうか。人間苦という問題を解決せずして、お釈迦様自身の人生もないし、平安もないと言う事を決意されて、修養の生活を始められたのです。そして、その修業をすること6年間、太陽を凝視し続けたり、断食をしたりして、まさに骨と皮だけの死にも直面する様な凄まじい程の行をし、そして人間のあらゆる問題を解決する為に、真理を求めて行かれたのが、お釈迦様であったのです。
しかし、その6年の難行苦行の末にも真理を得ることが出来ずしてついに苦行を断念されたのです。そして、尼蓮禅河という所に行かれて沐浴をされ、そこで元気を取り戻して、ブッダガヤという所にある菩提樹の下で禅定に入られました。そして、たとえ自分が死んでもここを一歩たりとも動かないという深い決意を持って、深い瞑想の世界に真理を探し求めて行かれたのです。そこにマーラという悪魔がやってきて、お釈迦様を試みる様になります。
ある時は凄まじい形相で襲いかかり、ある時は殺しにかかりましたが、お釈迦様は生きて仏様になられたのです。この悟りは本当にすばらしく、人間が抱えていたすべての問題を解決したのですが、この悟りはあまりにも難しくすべての人に理解できるものではなかったのです。しかし、梵天(天使)の強い願いによりついに教化布教活動に移ってゆかれました。そして、お釈迦様は80歳で入滅されるまでの45年間、伝道の旅を続けられたのです。そして、入滅されていくときの遺言は「法に帰依し自らに帰依せよ!全ては無常である、怠ることなかれ」という事なのです。一体これは何を意味しているのでありましょうか?この事を理解せずしてお釈迦様の仏教の本当の世界を知ることは出来ないのです。 |
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(2)仏典の内容と法則(概論)
それではお釈迦様が悟られた真理とは何だったのでしょうか。これは縁起の法則と呼ばれます。この縁起の法則によって、お釈迦様の出家の念願であった「苦」を解決されたというのですが、これを十二縁起と呼びます。物事が起こってくるには、様々な原因があるのだということです。要するに因縁と呼ばれているわけです。苦の根本つまり、苦しみはいったいどこから起こってくるのかということなのです。苦が生じる原因というのは”渇愛”であり、渇愛というのは、無明から来るのであるという事です。渇愛とはなんでしょうか。これは、喉が渇きを覚えるほど、愛の世界が砂漢において水を欲するごとく、愛が渇ききった状態であり、渇愛とは過分な激しい欲望、あるいは、利己的な欲望が起こって来るという事です。これは無明から来るのであり、無明は真理を知らないところからやって来るというのです。何故人間が無明になったかという根本原因について又はお出しになりませんでしたけれども、2500年前に悟られたという事は実に偉大なことだったのです。
「この問題を解決しなければならない」とお釈迦様は悟られたのです。苦を解決することを涅槃といいます。
無明と渇愛による人間の煩悩の火を全て消して、愛と知恵と慈悲を持って安らぎの世界を得たのが涅槃であるというのです。
この十二縁起の法則を知ることによって、苦を解決して涅槃の境地に至り、解脱することが出来るというのです。それでは解脱とは何でしょうか。何から脱するのかというと、
つまり輪廻転生の苦痛から解放されるのだという事です。輪廻転生とはインドにおいて
「人間は死んでも死なないで過去・現在・未来の三世に渡って生き続ける」という生死観
です。そして、「輪廻転生の苦痛に満ちた世界から解脱することができ、人間の喜びの平安に至る事が出来る」と説かれたのです。その為の実践として、四諦という事を言われた
のです。この「諦」という言葉の意味は、真理を意味するのです。
1.苦諦・・・・・・・・これは何か辛い事があると、四苦八苦すると言いますが、この四苦八苦
とは、生きることの苦しみ・老いることの苦しみ・病にかかることの苦しみ
そして死ぬことの苦しみをいいます。そして、人間にとってどのような苦し
みがあるかと言いますと…
*愛別離苦・・・・・愛する人と別れなければいけない苦しみ
*怨憎会苦・・・・・憎しみ合う者同士が会わなければならない苦しみ
*求不得苦・・・・・求めても得ることの出来ない苦しみ
*五陰盛苦・・・・・人問の内から起こって来る様々な想いの世界をどうすることも出来ない
という苦しみ
2.集諦・・・・・・・・・これは様々な原因が寄り集まったという事です。つまり、苦を招き集める
原因を意味し、その原因は渇愛であるとお釈迦様は説かれたのです。
3.滅諦・・・・・・・・・苦しみの世界を滅し切った涅槃の世界をいいます。
4.道諦・・・・・・・・・渇愛の世界をどのようにして滅し切って、浬葉の境地に至るのかという
具体的な修行の世界を説いたものをいいます。これは涅槃に至るまで
の道を説いたものでありますが、これをいわゆる八正道と言います。
この様な四つの真理を行っていく事によって、人間は悟りの境地に至ることができるのです。八正道を実践することによって・ここから仏教のすべての教理が出てくるようになります。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」という平家物語の一節は有名です。
お釈迦様が解かれました「縁起の法則」と、そしてそれに伴うところの四諦・八正道といわれる真理、そしてそこから生まれた「諸行無常・諸法無我」という詳しい内容を知らないと
人生の本当の哲理、つまり苦しみを理解し、そして悟りの境地を得て、生きながら仏になる(これを密教では即身成仏と言う)ことは出来ないのです。
※八正道:
正見
自己中心的な見方をしないこと。
正思
真理に照らし物事を考えること。
正語
真理に合った言葉使いをすること。
正行
真理に合った正しい行いをすること。
正命
真理に合った正しい生活を求めること。
正念
心を恒に真理の方向へ向けること。
正定
心身一致して正しい智慧を形成すること。 |
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