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<親と子の関係>
親子の関係というのは、とてもむつかしく、そしてデリケートな問題です。“親子だから、
いいんじゃない"という甘え、一般的にいって親子だからという共通認識で問題が解決す
ることはありません。かえって、親子であるからこそ、問題が複雑で、根っこが深く、解決
できないことというのがたくさんあります。
多くの良識ある善男善女が、何故に宗教を求め、修養の生活を志すのか?それは、この世
の血統を一度断ち切って、神または仏と再び親子の関係を結び直し、人生の新しい出発を
しようとするものなのです。それで、このようなお話しが仏典の中では、釈迦如来と多宝如
来の出会いの説話となって残っておりますし、聖書では、イエス様が次のように言われて
ます。“何人も新しく生まれ変わらずして天国に入ることはできない''
人間の最も基本となる親子の関係からもう一度やり直そうとする人間の深刻な動機がそこ
にはあるのです。宗教において、出家であろうが在家であろうが、信仰生活を送ること
は、現世の関係を一度否定し、見直し、新たに自分を再出発させようとの強い願望がそこ
にはあるのです。
そこで、親とは何だ!子とはなんであるか!という問いかけから始めてみる必要がありま
す。自分が産んだから親なのか、又は産む原因をつくったから親なのかということであり
ます。子供からしてみれば、小さいときからパパ、ママ、お父さん、お母さんと呼ばされ
てきた。なるほど自分を産んだという証拠はあるらしい。それに毎日ごはんを食べさせて
もらってきた。だから自分の親なのか、自分はその人の手なのか、ということなのです。
鳥の世界では、すりこみという現象があって卵からかえったヒナが最初に見たものを親と
思い込むという現象があります。こうしてヒナは親に従い、親から保護を受けて生命の保
障を得ようとするのです。また、他の動物の世界では、臭いでかぎわけるとか、いろいろ
な特徴はあると思いますが、一貫して言えることは、種の保存という絶対的な命題に向
かって、その本能はフルに発揮されるようになっているのです。より強いものを求めて交
尾するのは、自然の厳しい提の中で生き残る為の彼らの知恵なのです。
自然界は、種の保存という絶対的な命題の為に、親は子の保護者となり、子は生きる為
に親を必要とし、求めるのです。しかし、それだけではないのです。
親は自分の生活様式を子に見せて、尚、子を訓練し、自分と同じような能力を身につけ
た親にしようとするのです。
そして子はまた、親と共にあって、常に学習をしているのです。そして、その学習能力が
自分と同じようになったと見るとき、巣立ち→親子の別れが始まるのです。この場合、
親自身が子に対して、自主的に別れを告げるのです。簡単に言えば、親の方が子を追い
出し、一人立ちをさせるのです。こうして、再び新しい挑戦が始まるのです。自然のサイ
クルは私達に重要なポイントを教えています。
私達人間には考えて見れば、不思議なことがあります。人間どうしで殺し合うこと、それ
も戦争などという集団殺人が行われ、時には親子で殺人があり、兄弟でも殺し合いがあ
ります。また、親は子供に何も教えないということがあります。ひどい時には、自分のよう
になるなと子供に言います。また、別の親は、何でも親がやってしまうので、子は何もし
なくてよくなります。そして、子は自信を失い、悩み、自分をうばった親に対して復讐が
始まるのです。また、放置される子供もいます。親が保護を与えない為、子は生きること
さえ困難な状況に置かれるのです。こうして、この子は成長した後も、どこかで常に失わ
れた保護を求めるようになるのです。また、巣立ちをさせない親がいます。子が未来に向
かって、新しい世界に向かって挑戦する道を妨害する親がいるのです。全く信じられない
ことです。危険は常につきまといます。しかし、そのような試練を克服する能力を身につ
けてきたはずです。学習してきたはずなのです。少なくとも子供はそう思ってます。これ
を妨害するのです。これでは親と言えるでしょうか。
以上きりがありませんので、このくらいにしておきます。私達人間は自然に対してあまり
にも恥ずかしいではありませんか。人間の親は、自然界の親以上でなければならないの
ではありませんか?
男女が結婚して、夫婦になり、子供を産む、これで親になる、ということなのでしょう
か。親になるとは、どういうことなのでしょうか。この答えを出せば親とは何か、子とは
何かという答えも出てくると思います。
そこで人類最初の親になったのは神様ですから、これは神様にお尋ねしてみなければな
りません。神と人間の関係は、聖書をよく読んでみるとわかります。 |