相続を放棄し、家を出て無頼の仲間入りをし入れ墨をしたといわれている。
(でも、見た人は誰もいないらしい)
金四郎の弟ながら跡を継いだ影善は、跡継ぎを”金四郎”とした。
その後、影善がなくなって後”金四郎”が跡を正式に継いだ。
名奉行遠山の金さんの登場である。
(実際は享保の改革の実行者のため、江戸町民を取り締まった)
●柳生一族・・・戦国時代、柳生の庄の領主・柳生石舟斎は剣術を上泉伊勢守に学んで柳生新陰流をおこした。
その後、領地は筒井順慶によってとられてしまうが、徳川の時代には剣術指南役になり、5男柳生宗矩は大和柳生藩1万石の大名にまで出世をしている。
その後、宗矩は引退するときに所領を4人の子供に分割して与えたため、
旗本に戻っている。
これは剣術指南役・大目付という特殊性を配慮したものだと思う。
3男宗冬はその後加増されて1万石の大名になっている。
尚、剣術家としての柳生家は尾張藩士となった宗矩の兄厳勝(よしかつ)の子孫が今も代々伝えている。