第7代将軍の足利義勝は赤痢にかかって病死してしまいますから、すぐに第8代将軍足利義政の代になります。
この足利義政から応仁の乱が起こり、時代は戦国時代へと突入していくことになります。国中が混乱をしているかといえば、そうでもあるでしょうが、それよりも固定されてしまった身分が崩れて、実力を持てば出世していく道が見えてきたということは、そういう意味ではいい時代といえないこともありません。
どちらにしても、こういう社会のシステムがゆるんでしまうときがなければ、新しい階層が力を持てるときはなかなかやってこないものです。それでも、長い歴史の中でもそういう興亡盛衰の中に多くは過去からの遺産を受け継いで繁栄の基礎を築いてきているというのは事実です。
チャンスは平等にということは、なかなか理想であっても実現は今でも難しいことです。
応仁の乱以後の世界は、今までの血統信仰から、たとい在郷の武士であっても領国を経営できるようになるという、一国一城の主という希望を持つことができるようになったということです。努力と才覚が道を開くという時代があって、既存の権力と権威が失墜していくことこそ新しい時代になるということである。
その象徴が足軽から身を立てた豊臣政権ということである。そして、徳川という守護でも何でもない在郷の武士が天下を取っていくという変遷を通して、真実に必要な体制が残されていくようになるということかも知れない。
室町幕府の役割があるとすれば、既存の権威をことごとく失墜させたという点では大きな使命があったといっていいのである。そして、その最大の功労者が「足利義政」ということになるであろう! 足利幕府は「犠牲の政権」を担ったということになるのである。