こうして、足利氏による独裁体制は完成せずに室町幕府は、諸侯による権力闘争の場へと、創業当初の振り出しに戻ってしまったのである。
これは、真の自由を獲得して、武士による現実に即した政治と土地の支配を行うという鎌倉以来の武士の理想を実現するには、室町幕府では多くの問題がありすぎることになる。
そこで、天の配材か?この理想を実現するにふさわしい人物が現れることになる。それが第8代将軍足利義政である。
■君臨すれど統治せず
足利尊氏の理想である「君臨すれど統治せず」は、地方分権が確立されて成立するようになる。
足利尊氏の幕府創建の理想である「君臨すれど統治せず」は、室町幕府内の権力闘争の故に実現することができなくなってしまった。
本来は、守護大名達が将軍家を支え、在地にあって領国経営をしっかりと行い、権力基盤がその地方の領国にあるというのが理想的ではある。
しかし、それには守護大名達の将軍家に対する忠誠心が必要になる。そういう権威がどこから生ずるのかということになる。際限のない土地に対する飽くなき欲望と、近接する領地の境の争い、水争いなど常に利権を求めて一触即発の状況が出現していることも事実なのである。
こういう様々な問題を抱えながらでは、越えなければならないハードルが大きすぎたのも事実だ。
地方分権というのは、そのままでは将軍家から見れば、飢えた虎を野に放つようなものなのである。そんな危ないことなどできはしないのだ。
歴史が求めた理想というのは、貴族による土地の国有化の完全なる阻止、貴族型の共産主義体制の破壊、自由な競争社会、搾取社会ではなく人々の権利が保障される社会構造ということになる。
今でもこんな社会はできあがってはいないのだけれども、その第一歩というべき改革が時間をかけて、一歩ずつ作り上げられてきたのである。
それが室町幕府の改革なのである。ただ、そのままでは理想的な改革の方向性とずれてしまってきているので、天の配材によって登場したのが、第8代将軍の「足利義政」なのである。
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