■病に倒れても変わらない姿勢
「ある夏の明け方、自室で企画書を書いていた平山は、突然倒れる。脳内出血だった。
記憶は1週間戻らず、死線をさまよい、40日間の入院と長期のリハビリを余儀なくされた。それでも企画書のことしか頭になく、退院の翌日、映像会社を訪問した。
そのがむしゃらさの根底にある気持ちは、「仮面ライダー」を作った時と同じだ。
時が流れ、かつて共に番組を作った仲間が、定年などで映像作りの第一線を退くことを余儀なくされた。「志もやる気も、作品を作る腕もあるのに『場』がない彼らと、また一緒に仕事をしたいんだ」
2006年には、特撮ヒーロー番組のアクションを担当する事務所、レッド・エンタテインメント・デリヴァーの取締役に就任。アクションとも連携した企画を考案中だ」
1995年、脳内出血で倒れた。しかし、頭の中にあったのは、がむしゃらな企画に対する想いだけであった。
ここでもう一度彼の運命式を見てみよう!
<平山亨さんの運命式>
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やっぱり強い思い入れが平山亨さんを支えていることは確かだ。しかし、それ以上にもう一つの側面がある。それは、親分肌ということだ。
自分がやらなければならない。自分がやらなければ仲間を何とかできない。そんな親分としての責任が現れている。しかもそれも偶直なまでに変わらない想いのひとつでもあるのだ。だから、面白い人ともいえる。長く付き合えば味が出る人でもある。
もう一つ平山亨さんの魅力がある。それは親分型で頑固なわりには、自分のパートナーを必要とする愛情有似るということなのだ。だから、どこかで人に頼ろうとするところがある。そこのところのバランスがさじ加減だ。いい年齢になればそれが生きてくる。
病を克服できるのもそこにエネルギーがあるからだ。
この生き方が次のような平山亨さんの「前向きに生きる3か条」となっている。