◆ 人としての見本になる
次に「人としての見本になるべし」。それでも、社会要請として「なぜ、教員は人としてのあり方を教えてくれないのか」と問われるでしょう。でも、それは教えるものではなく、「見せるもの」。我々は教員である前に、一人の人間です。多感な時期の子供たちと触れ合う以上、私たちの後ろ姿を見て、子供たちが「こんな人間になってみたい」と思えるような、「人としての見本」になるべきです。
私は15歳から塾で教え始め、「ずっと塾で生きて行く」と思っていました。障害学級の先生をしていた母親に、「彼らを教える塾を作らないか」と言われたのがきっかけです。それが、なぜ公教育の道に進んだかというと、「塾の人間が教育を語るな」と言われたから。以来、現在まで、ずっと教育現場一筋です。
◆ いい教員とは
いい教員とは、「自分の知識や経験を押し付けるのでなく、子供から学ぶことができる人」。私が受験校にいたころは、優秀な教科の先生を務め、夜間学校では「夜回り先生」になりました。「子供が何を求めているか」は子供が教えてくれます。教員は、その場に応じて適応していくだけ。親や教育委員会に何と言われようと、いい教員、悪い教員を判断するのは子供ですから。
私は子供たちが大好きで、彼らを笑顔にしたい。彼らに恥ずかしくない生き方をしたい。私が何より恐れているのは、子供たちに「嘘(うそ)つき」と言われること。これまで自分の信念を貫いてこられたのは、子供たちがいたからです。
◆ 僕はガン
僕はガンなので、いつ死んでもいいように「いいんだよ」(日本評論社)という本を出しました。悩んでいる人がページをめくった時、生きる力になればとの思いからです。夜中も子供たちからメール相談を受けるので、睡眠は移動中と午後の仮眠で1日2時間ほどです。でも、2時間眠れば大丈夫。私が疲れていると、ガンも疲れて痛くないからいいんです。楽をすればガンも暴れますから。人生、なるようにしかならない。皆、あまり考え過ぎるから病気になったり、苦しくなったりするんです。(談)
(2008年9月19日 読売新聞)
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